智囊 / 通簡・龔遂
宣帝時,渤海左右郡歲飢,盜起,二千石不能制。上選能治者,丞相、御史舉龔遂可用,上以為渤海太守。時遂年七十歲,召見,形貌短小,不副所聞。上心輕之,問:「息盜何策?」遂對曰:「海瀕遼遠,不沾聖化,其民困於飢寒而吏不恤,故使陛下赤子盜弄陛下之兵於潢池中耳。今欲使臣勝之耶,將安之也?」上改容曰:「選用賢良,固將安之。」遂曰:「臣聞治亂民如治亂繩,不可急也,臣願丞相、御史且無拘臣以文法,得一切便宜從事。」上許焉,遣乘傳至渤海界。郡聞新太守至,發兵以迎,遂皆遣還,移書敕屬縣:「悉罷逐捕盜賊吏;諸持鋤,鉤田器者皆為良民,吏毋得問;持兵者乃為盜賊。」遂單車獨行至府。盜賊聞遂教令,即時解散,棄其兵弩而持鉤、鋤。〔馮述評〕漢制,太守皆專制一郡,生殺在手,而龔遂猶云「願丞相,御史無拘臣以文法」。況後世十羊九牧,欲冀卓異之政,能乎?古之良吏,化有事為無事,化大事為小事,蘄於為朝廷安民而已;今則不然,無事弄做有事,小事弄做大事,事生不以為罪,事定反以為功。人心脊脊思亂,誰之過與?
新字:宣帝時,渤海左右郡歳飢,盗起,二千石不能制。上選能治者,丞相、御史舉龔遂可用,上以為渤海太守。時遂年七十歳,召見,形貌短小,不副所聞。上心軽之,問:「息盗何策?」遂対曰:「海瀕遼遠,不沾聖化,其民困於飢寒而吏不恤,故使陛下赤子盗弄陛下之兵於潢池中耳。今欲使臣勝之耶,将安之也?」上改容曰:「選用賢良,固将安之。」遂曰:「臣聞治乱民如治乱縄,不可急也,臣願丞相、御史且無拘臣以文法,得一切便宜従事。」上許焉,遣乗伝至渤海界。郡聞新太守至,発兵以迎,遂皆遣還,移書勅属県:「悉罷逐捕盗賊吏;諸持鋤,鉤田器者皆為良民,吏毋得問;持兵者乃為盗賊。」遂単車独行至府。盗賊聞遂教令,即時解散,棄其兵弩而持鉤、鋤。〔馮述評〕漢制,太守皆専制一郡,生殺在手,而龔遂猶云「願丞相,御史無拘臣以文法」。況後世十羊九牧,欲冀卓異之政,能乎?古之良吏,化有事為無事,化大事為小事,蘄於為朝廷安民而已;今則不然,無事弄做有事,小事弄做大事,事生不以為罪,事定反以為功。人心脊脊思乱,誰之過与?
書き下し
宣帝の時、渤海の左右の郡、歳々飢え、盗起こり、二千石も制する能わず。上、能く治むる者を選ぶ。丞相、御史は龔遂を挙げて用うべしとし、上は以て渤海太守と為す。時に遂は年七十歳なり、召見するに、形貌短小にして、聞く所に副わず。上心に之を軽んじ、問う、「盗を息むるに何の策かある」と。遂は対えて曰く、「海瀕は遼遠にして、聖化に沾わず、其の民は飢寒に困しむも吏は恤れまず、故に陛下の赤子をして陛下の兵を潢池の中に盗弄せしむるのみ。今、臣をして之に勝たしめんと欲するか、将た之を安んぜんと欲するか」と。上は容を改めて曰く、「賢良を選用するは、固より将に之を安んぜんとするなり」と。遂曰く、「臣聞く、乱民を治むるは乱縄を治むるが如く、急にすべからず。臣願わくは丞相、御史、且く臣を文法に拘すること無く、一切便宜に従いて事に従うを得しめんことを」と。上は焉を許し、乗伝を遣わして渤海の界に至らしむ。郡は新太守の至るを聞き、兵を発して以て迎う。遂は皆な遣わして還らしめ、書を移して属県に敕す、「悉く盗賊を逐捕する吏を罷めよ。諸々の鋤、鉤、田器を持つ者は皆な良民たり、吏は問うを得ざれ。兵を持つ者のみ乃ち盗賊と為す」と。遂は単車にて独り行きて府に至る。盗賊は遂の教令を聞き、即時に解散し、其の兵弩を棄てて鉤、鋤を持つ。〔馮述評〕漢制、太守は皆な一郡を専制し、生殺手に在り、而るに龔遂は猶お云う「願わくは丞相、御史、臣を文法に拘すること無かれ」と。況んや後世は十羊に九牧、卓異の政を冀わんと欲するも、能うや。古の良吏は、有事を化して無事と為し、大事を化して小事と為し、朝廷の為に民を安んずるを蘄うのみ。今は則ち然らず、無事を弄して有事と做し、小事を弄して大事と做し、事生ずるも以て罪と為さず、事定まれば反って以て功と為す。人心脊脊として乱を思うは、誰の過ちならんや。
現代語訳
宣帝の時代、渤海郡の左右の郡が毎年飢饉に見舞われ、盗賊が蜂起して、二千石の太守たちも抑えられなかった。帝は治められる者を選ぼうとした。丞相と御史が龔遂を推挙し、帝は彼を渤海太守に任じた。このとき遂は七十歳であり、召し出して会ってみると、背が低く小柄で、評判に見合わなかった。帝は内心で軽んじ、「盗賊を鎮めるにはどんな策があるか」と尋ねた。遂は答えた。「海辺は遠く離れていて、陛下の教化が行き届かず、民は飢えと寒さに苦しんでも役人は憐れみません。それで陛下の赤子が、陛下の武器を、小さな池の中でもてあそんでいるだけのことです。いま、臣に彼らを打ち負かさせたいのですか、それとも安んじさせたいのですか」。帝は表情を改めて言った。「賢良な者を選んで用いるのは、もとより民を安んじさせるためである」。遂は言った。「臣は聞いております。乱れた民を治めるのは、もつれた縄を解くようなもので、急いではなりません。願わくは丞相、御史には、しばらく臣を法令の条文で縛らず、すべて臣の判断で事を進めさせていただきたく存じます」。帝はこれを許し、伝車で渤海の境へ赴かせた。郡では新しい太守が来ると聞き、兵を出して迎えた。遂はみな帰らせ、属県に文書を回して命じた。「盗賊を追捕する役人をすべて罷免せよ。鋤や鉤、農具を持つ者はみな良民であり、役人は問いただしてはならない。武器を持つ者だけを盗賊とする」。遂は一台の車で独り府に到着した。盗賊たちは遂の命令を聞くと、すぐに解散し、武器や弩を捨てて鉤や鋤を持った。〔馮夢龍の評〕漢の制度では、太守はみな一郡を専断し、生殺の権を手にしていたのに、それでも龔遂は「どうか丞相、御史は私を法令の条文で縛らないでください」と言った。まして後世のように、一人の羊飼いに九人の牧者がいるような状況で、優れた政治を望んでもできようか。昔の良い役人は、事ある状態を無事に変え、大事を小事に変え、朝廷のために民を安んじることだけを願った。今はそうではなく、無事なものを事ありとし、小事を大事に仕立て、事が起これば罪とせず、事が収まればかえって功とする。人々の心が落ち着かず乱を思うのは、誰の過ちであろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』經務・汪立信・文天祥北人南侵し、文天祥疏を上りて言う、「朝廷は姑息牽制の意多く、奮発剛断の意少なし。乞う、師孟を斬りて鼓に釁り、以て将士の気を作せ」と。且つ言う、「宋は五季の乱に懲り、藩鎮を削り、邑郡を建て、一時は以て尾大の弊を矯むるに足ると雖も、然れども国は変を以て弱まり、故に敵一州に至れば則ち一州破れ、一県に至れば則ち一県残われ、中原陸沈す。痛悔何ぞ及ばん。今宜しく天下を分かちて四鎮と為し、都督を建てて其の中に統御せしむべし。広西を以て湖広に益し、閫を長沙に建つ。広東を以て江西に益し、閫を隆興に建つ。福建を以て江東に益し、閫を番陽に建つ。淮西を以て淮東に益し、閫を揚州に建つ。長沙には鄂を取らしめ、隆興には蘄・黄を取らしめ、番陽には江東を取らしめ、揚州には両淮を取らしむ。其の地をして大きく力をして衆からしめ、以て敵に抗するに足らしめ、日を約して斉しく奮い、進む有りて退く無く、日夜之を図らしめば、彼は備え多く力分かれ、奔命に疲れん。而して吾が民の豪傑なる者、又た間を伺いて其の中より出でん。此の如くんば、則ち敵を却くること難からず」と。〔馮評〕靖康に李綱有るも用いず、而して黄潜善・江伯彦を用う。咸淳に汪立信有るも用いず、而して賈似道を用う。徳祐に文天祥有るも用いず、而して陳宜中を用う。然れば則ち宋は金に衰えず、自ら衰うるなり。元に亡びず、自ら亡ぶるなり。
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史記 淮陰侯列伝因りて王に問ひて曰く、「今東郷して権を天下に争ふは、豈に項王に非ずや」と。漢王曰く、「然り」と。曰く、「大王自ら料るに勇悍仁彊、項王に孰与れぞ」と。漢王黙然たること良久しくして、曰く、「如かざるなり」と。信再拝して賀して曰く、「惟だ信も亦大王如かずと為すなり。然れども臣嘗て之に事ふ。請ふ項王の人と為りを言はん。項王喑噁叱咤すれば、千人皆廃す。然れども賢将に任属すること能はず。此れ特だ匹夫の勇のみ。項王人を見るに恭敬慈愛、言語嘔嘔たり。人疾病有れば、涕泣して食飲を分かつ。人をして功有りて当に封爵すべき者あらしむるに至りては、印刓敝するも、忍びて予ふること能はず。此れ所謂婦人の仁なり。項王天下に覇として諸侯を臣とすと雖も、関中に居らずして彭城に都す。義帝の約に背くこと有りて、親愛を以て王とす。諸侯平かならず。諸侯の項王の義帝を遷逐して江南に置くを見るや、亦皆帰りて其の主を逐ひて自ら善地に王たり。項王の過ぐる所残滅せざる者無し。天下怨み多く、百姓親附せず、特だ威彊に劫かさるるのみ。名は覇と為すと雖も、実は天下の心を失ふ。故に曰く其の彊は弱め易しと。今大王誠に能く其の道に反し、天下の武勇に任ぜば、何の誅せざる所あらん。天下の城邑を以て功臣を封ぜば、何の服せざる所あらん。
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『智囊』靈變・吳郡卒蘇峻の乱に、諸庾は逃げ散る。庾冰は時に呉郡たり、単身にして奔り亡る。吏民は皆去り、ただ郡卒のみ独り小船を以て冰を載せて銭塘の口を出で、蘧蒢を以てこれを覆う。時に峻は賞募して冰の属を覓め、所在の搜括は甚だ急なり。卒は船を市の渚に泊め、酒を飲み酔いて還り、棹を舞わして船に向かいて曰く、「何れの処にか呉郡を覓むる。この中に便ち是れなり」と。冰は大いに驚き怖るるも、敢えて動かず。監司は船小さく装い狭きを見て、卒の狂酔と謂い、都べて復た疑わず。自ら送りて浙江を過ぎ、山陰の魏家に寄せ、免るるを得たり。後に事平らぐや、冰は卒に報いんと欲し、その願う所を問う。卒曰く、「廁下より出で、名器を願わず。少くして執鞭に苦しみ、恒に快く酒を飲むを得ざるを患う。酒をして余年に足らしめば、畢わらん」と。復た須うる所無し。冰は為に大舎を起こし、奴婢を市い、門内に百斛の酒有らしめて、その身を終えさせたり。時に謂う、この卒は唯だ智有るのみならず、且つ亦た生に達すと。
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『智囊』集哲・李文姬李固がすでに策免されると、禍を免れぬことを知り、二子を郷里に帰らせた。時に燮は十三歳、姉の文姫は同郡の趙伯英の妻で、賢くて智があった。二兄の帰るのを見て、ことの本末を知り、黙然として独り悲しみ、言った、「李氏は滅びる。太公以来、徳を積み仁を累ねてきたのに、どうしてこのようなことに遭うのか。」密かに二兄と謀り、あらかじめ燮を隠し、京師に還ると托言したので、人は皆これを信じた。ほどなく難が起こり、郡に下って固の三子を捕らえ、二兄は害を受けた。文姫は父の門生王成に告げた、「君は義を執って先公に仕え、古人の節がある。いま六尺の孤を君に託します。李氏の存滅は君にかかっています。」成はその義に感じ、燮を連れて江を下り、徐州の界内に入り、姓名を変えて酒屋の雇人とさせ、自分は市で卜を売った。名は異居としながら、陰で往来し、燮は学を受けた。酒屋の主はこれを怪しみ、尋常の人ではないと思い、娘を燮に妻わせた。燮は経学に専心した。十余年のあいだに梁冀が誅され、災異がしばしば現れ、翌年、史官が上言した、「赦令を出すべきで、また冤死した大臣の子孫を存録すべきです。」ここに天下に大赦し、あわせて固の後嗣を求めた。燮は本末を酒屋の主に告げ、主は車を整えて厚く贈ったが、皆受けなかった。郷里に還り、姉弟は相見えて、悲しみは傍らの人を感動させた。やがて燮を戒めて言った、「先公は正直で、漢の忠臣であったのに、朝廷の傾乱に遭い、梁冀が虐を恣にして、我が宗祀の血食を絶やそうとした。いま弟が幸いに生き延びたのは、天ではないか。衆人との交わりを絶ち、みだりに往来してはならない。慎んで梁氏に一言も加えてはならない。梁氏に加えれば主上に連なり、禍が重ねて至る。ただ咎を引き受けるのみである。」
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『智囊』序・智囊自敘或ひと又た曰く、舜・孔の事は則ち誠に然り。然れども『智囊』なる者は、固より大夫錯の膏もて漢市に焚かれし所以なり。子は何を取らんや。馮子曰く、不、不。錯は智に死せず、愚に死せり。其の坐して兵を談ずるに方たりては、人主色を動かせしも、七国の事起こるに迨びて、乃ち天子をして将たらしめ、己は居守せんと欲す。一たび不智を為せば、讒興りて身滅ぶ。然りと雖も、錯は身を衛るに愚にして、国を籌るに智なり。故に身死して数千年、人猶お之を痛み、名臣に列す。輓鬥宵の流は、身を衛るに偏えに智にして、国を籌るに偏えに愚なり。此を以て彼に較ぶれば、誰か妍にして誰か媸なるか。且つ『智囊』の名、子は其の一を知りて、二を未だ知らざるなり。錯に前んずる者に樗里子有り。錯に後るる者に魯匡・支謙・杜預・桓範・王倹有り。其の皇明に在りては、楊文襄公並びに此の号を擅にす。数君子は、跡は一軌ならざれども、亦た多く功を成し勲を豎て、身は栄え道は泰かなる者有り。子は其の利を捨てて其の害を懲らす。是れ猶お一人の溺るるを睹て、舟楫の用を廃するがごとし。夫れ亦た愈いよ不智なり。或ひと又た曰く、子の『智囊』を述ぶるは、人をして智を学ばしめんとするなり。智は性より生ずるか、紙上に由るか。馮子曰く、吾れ向に固より之を言えり。智は猶お水のごとし。然して地中に蔵するは性なり。鑿ちて之を出だすは学なり。井澗の用は、江河と参す。吾れは夫の人性の土石に錮せらるるを憂え、紙上の言を以て之が畚鍤と為す。応世に廖ゆること有るに庶からんのみ。
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