智囊 / 遠猶・李沆
〔馮述評〕《左傳》,晉、楚遇於鄢陵,范文子不欲戰,曰:「唯聖人能內外無患。自非聖人,外寧必有內憂。盍釋楚以為外懼乎?」厲公不聽,戰楚勝之。歸益驕,任嬖臣胥童,誅戮三卻,遂見弒於匠麗。文靖語本此。
新字:〔馮述評〕《左伝》,晋、楚遇於鄢陵,范文子不欲戦,曰:「唯聖人能内外無患。自非聖人,外寧必有内憂。盍釈楚以為外懼乎?」厲公不聴,戦楚勝之。帰益驕,任嬖臣胥童,誅戮三却,遂見弒於匠麗。文靖語本此。
書き下し
〔馮述評〕《左伝》に、晋・楚、鄢陵に遇い、范文子戦うを欲せず、曰く、「唯だ聖人のみ能く内外患無し。聖人に非ざる自りは、外寧ければ必ず内憂有り。盍ぞ楚を釈きて以て外の懼れと為さざる」と。厲公聴かず、戦いて楚に勝つ。帰りて益々驕り、嬖臣胥童を任じ、三郤を誅戮し、遂に匠麗に弑せらる。文靖の語は此に本づく。
現代語訳
〔馮夢龍の評〕『左伝』によれば、晋と楚が鄢陵で対峙したとき、范文子は戦うことを望まなかった。彼は言った。「聖人だけが内にも外にも憂いがない。聖人でなければ、外が安らかなら必ず内に憂いが生まれる。楚をそのままにして、外の脅威として残しておいてはどうか」。厲公は聞き入れず、戦って楚に勝った。帰国後ますます驕り、お気に入りの胥童を任用し、三郤を誅殺し、ついに匠麗で殺された。李文靖(李沆)の言葉はこれに基づいている。
解説
ここでは李沆の名言の出典が示されています。范文子は、外敵がいなくなれば君主の驕りが内側から国を壊すと警告しました。厲公は忠告を退けて楚に勝ちましたが、その勝利のあとで寵臣を重用し有力者を殺し、自分が殺されました。勝利そのものが次の危機を呼ぶ構造が、はっきり描かれています。現代の組織でも、大型案件の成功や競合の撤退のあとに、傲慢や内部抗争で崩れる例があります。成功の直後ほど、緊張を保つ仕組みや自分を戒める外部の目を意識して置くことが、長い繁栄の条件になります。
この章句が説くこと
外寧ければ必ず内憂有り鄢陵范文子驕り成功の罠危機感
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