智囊 / 遠猶・呂端
李繼遷擾西鄙。保安軍奏獲其母,太宗欲誅之,以寇準居樞密,獨召與謀。准退,過相幕,呂端謂准曰:「上戒君勿言於端乎?」准曰:「否。」告之故。端曰:「何以處之?」准曰:「欲斬於保安軍北門外,以戒凶逆。」端曰:「必若此,非計之得也。」即入奏曰:「昔項羽欲烹太公,高祖願分一杯羹。夫舉大事不顧其親,況繼遷悖逆之人乎?陛下今日殺之,明日繼遷可擒乎?若其不然,徒結怨,益堅其叛耳。」太宗曰:「然則如何?」端曰:「以臣之愚,宜置於延州,使善視之,以招來繼遷。即不即降,終可以係其心,而母生死之命在我矣。」太宗拊髀稱善,曰:「微卿,幾誤我事!」其後母終於延州。繼遷死,子竟納款。〔馮述評〕具是依,則為俺答之款;具是違,則為奴囚之叛。
新字:李継遷擾西鄙。保安軍奏獲其母,太宗欲誅之,以寇準居枢密,独召与謀。准退,過相幕,呂端謂准曰:「上戒君勿言於端乎?」准曰:「否。」告之故。端曰:「何以処之?」准曰:「欲斬於保安軍北門外,以戒凶逆。」端曰:「必若此,非計之得也。」即入奏曰:「昔項羽欲烹太公,高祖願分一杯羹。夫舉大事不顧其親,況継遷悖逆之人乎?陛下今日殺之,明日継遷可擒乎?若其不然,徒結怨,益堅其叛耳。」太宗曰:「然則如何?」端曰:「以臣之愚,宜置於延州,使善視之,以招来継遷。即不即降,終可以係其心,而母生死之命在我矣。」太宗拊髀称善,曰:「微卿,幾誤我事!」其後母終於延州。継遷死,子竟納款。〔馮述評〕具是依,則為俺答之款;具是違,則為奴囚之叛。
書き下し
李継遷、西鄙を擾す。保安軍、其の母を獲たりと奏す。太宗、之を誅せんと欲し、寇準の枢密に居るを以て、独り召して与に謀る。準退き、相の幕を過ぐるに、呂端、準に謂いて曰く、「上、君に端に言う勿れと戒めたるか」と。準曰く、「否」と。之が故を告ぐ。端曰く、「何を以て之を処せんとするか」と。準曰く、「保安軍の北門の外に斬り、以て凶逆を戒めんと欲す」と。端曰く、「必ず此の若くんば、計の得たるに非ざるなり」と。即ち入りて奏して曰く、「昔、項羽、太公を烹んと欲せしとき、高祖は一杯の羹を分かたんことを願えり。夫れ大事を挙ぐる者は其の親を顧みず、況んや継遷は悖逆の人をや。陛下今日之を殺さば、明日、継遷を擒にすべきか。若し其れ然らずんば、徒らに怨みを結び、益々其の叛を堅くするのみ」と。太宗曰く、「然らば則ち如何」と。端曰く、「臣の愚を以てすれば、宜しく延州に置き、善く之を視しめ、以て継遷を招来すべし。即ち降らずとも、終に以て其の心を係ぐべく、而して母の生死の命は我に在らん」と。太宗、髀を拊ちて善しと称し、曰く、「卿微かりせば、幾ど我が事を誤らんとせり」と。其の後、母は延州に終わる。継遷死し、子、竟に款を納る。〔馮述評〕具に是に依れば、則ち俺答の款と為り、具に是に違えば、則ち奴囚の叛と為る。
現代語訳
李継遷が西の辺境を荒らしていた。保安軍が継遷の母を捕らえたと報告してきたので、太宗は彼女を処刑しようと考え、枢密使の寇準だけを呼んで相談した。寇準が退出して宰相の幕舎の前を通ると、呂端が声をかけた。「陛下は私には言うなと君に戒められたのではないか」。寇準は「いいえ」と答え、わけを話した。呂端が「どう処置するつもりか」と尋ねると、寇準は「保安軍の北門の外で斬り、凶悪な反逆者への見せしめにしたい」と答えた。呂端は「そうするのは上策ではない」と言い、すぐ宮中に入って奏上した。「昔、項羽が高祖の父の太公を煮殺そうとしたとき、高祖は自分にも一杯の吸い物を分けてくれと言いました。大事を成そうとする者は親にこだわらないもので、まして継遷のような道に背く者はなおさらです。陛下が今日母を殺せば、明日継遷を捕らえられるでしょうか。そうでなければ、ただ恨みを買って、かえって叛意を固くさせるだけです」。太宗が「ではどうすればよいか」と問うと、呂端は答えた。「愚見では、延州に住まわせて手厚く世話をし、継遷を招き寄せるのがよいでしょう。すぐには降伏しなくても、いずれ彼の心を繋ぎとめられますし、母の生死の決定権は我々の手に残ります」。太宗は腿を打って称賛し、「卿がいなければ、危うく事を誤るところだった」と言った。その後、母は延州で亡くなった。継遷が死ぬと、その子はついに降伏を申し出た。〔馮夢龍の評〕この方針に従えば俺答の帰順のような結果になり、背けば奴隷や囚人の反乱のような結果になる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
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『春秋左氏伝』襄公十八年 太子、剣を抜きて鞅を断つ十二月戊戌、秦周に及びて雍門の萩を伐つ。范鞅雍門に門す。其の御追喜、戈を以って犬を門中に殺す。孟莊子其の橁を斬りて、以って公の琴と為す。己亥、雍門及び西郭・南郭を焚く。劉難・士弱、諸侯の師を率ゐて、申池の竹木を焚く。壬寅、東郭・北郭を焚く。范鞅揚門に門す。州綽東閭に門す。左驂迫りて、東門の中に還り、枚を以って闔を數ふ。齊侯駕して、將に郵棠に走らんとす。大子と郭榮と馬を扣へて曰く、「師速やかにして疾し、略するなり。將に退かんとす。君何ぞ懼れん。且つ社稷の主は、以って輕んずべからず。輕んずれば則ち眾を失ふ。君必ず之を待て」と。將に之を犯さんとす。大子劍を抽きて鞅を斷つ。乃ち止む。甲辰、東のかた侵して濰に及び、南のかた沂に及ぶ。
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『春秋左氏伝』襄公九年 宋の大火と天道九年春、宋災あり。樂喜、司城と為り、以て政を為す。伯氏をして里を司らしむ。火の未だ至らざる所は、小屋を徹し、大屋を塗り、畚挶(ほんきょく)を陳ね、綆缶(かうふ)を具へ、水器を備へ、輕重を量り、水潦を蓄へ、土塗を積み、丈城を巡り、守備を繕ひ、火道を表す。華臣をして正徒を具へしめ、隧正に令して郊保を納れ、火所に奔らしむ。華閱をして右官を討めしめ、官ごとに其の司を庀(をさ)めしむ。向戌をして左を討めしむること、亦た之の如し。樂遄をして刑器を庀めしむること、亦た之の如し。皇鄖をして校正に命じて馬を出さしめ、工正に車を出さしめ、甲兵を備へ、武守を庀めしむ。西鉏吾をして府守を庀めしめ、司宮・巷伯に令して宮を儆めしむ。二師、四鄉の正に令して敬んで享せしむ。祝宗、馬を四墉に用ゐ、盤庚を西門の外に祀る。晉侯、士弱に問ひて曰く、「吾之を聞く、宋災あり、是に於てか天道有るを知ると。何の故ぞ」と。對へて曰く、「古の火正は、或いは心に食し、或いは咮(ちう)に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と為し、心を大火と為す。陶唐氏の火正閼伯(あつはく)、商丘に居りて大火を祀り、而して火もて時を紀す。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人、其の禍敗の釁(きざし)を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり」と。公曰く、「必すべきか」と。對へて曰く、「道に在り。國亂れて象無ければ、知るべからざるなり」と。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「罪無くして士を殺さば、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮せば、則ち士以て徙る可し。」
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史記 刺客列伝千金の資幣物を持ちて、厚く秦王の寵臣中庶子蒙嘉に遺る。嘉為に先づ秦王に言ひて曰く、「燕王誠に大王の威を振怖し、敢て兵を挙げて以て軍吏に逆らはず、願はくは国を挙げて内臣と為り、諸侯の列に比し、貢職を給すること郡県の如くにして、先王の宗廟を奉守するを得んと。恐懼して敢て自ら陳べず、謹んで樊於期の頭を斬り、及び燕の督亢の地図を献じ、函封し、燕王庭に拝送し、使をして以て大王に聞せしむ。唯だ大王之に命ぜよ」と。秦王之を聞き、大いに喜び、乃ち朝服し、九賓を設け、燕の使者に咸陽宮に見ゆ。荊軻、樊於期の頭の函を奉じ、而して秦舞陽地図の柙を奉じ、次を以て進む。陛に至り、秦舞陽色変じ振恐す。群臣之を怪しむ。荊軻顧みて舞陽を笑ひ、前みて謝して曰く、「北蕃蛮夷の鄙人、未だ嘗て天子に見えず。故に振慴す。願はくは大王少しく之を仮借し、使を前に畢ふるを得しめよ」と。秦王軻に謂ひて曰く、「舞陽の持つ所の地図を取れ」と。軻既に図を取りて之を奏す。秦王図を発く。図窮まりて匕首見る。因りて左手に秦王の袖を把り、而して右手に匕首を持ちて之を揕す。未だ身に至らず。秦王驚き、自ら引きて起つ。袖絶ゆ。剣を抜かんとするも、剣長く、其の室を操る。時に惶急し、剣堅く、故に立ちどころに抜くべからず。荊軻秦王を逐ふ。秦王柱を環りて走る。群臣皆愕き、卒かに意はざるに起こり、尽く其の度を失ふ。而して秦の法、群臣の殿上に侍する者は尺寸の兵を持つを得ず。諸郎中の兵を執るもの皆殿下に陳なり、詔召有るに非ずんば上るを得ず。急なる時に方り、下の兵を召すに及ばず。故を以て荊軻乃ち秦王を逐ふ。而して卒かに惶急し、以て軻を撃つ無く、而して手を以て共に之を搏つ。是の時侍医夏無且、其の奉ずる所の薬嚢を以て荊軻に提つ。秦王方に柱を環りて走り、卒かに惶急して、為す所を知らず。左右乃ち曰く、「王剣を負へ」と。
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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