智囊 / 遠猶・張昭
張昭先逮事唐明宗。明宗諸皇子競侈汰。昭疏訓儲之法,略云:「陛下諸子,宜各置師傅,令折節師事之。一日中但令止記一事,一歲之內,所記漸多,則每月終,令師傅共錄奏聞。俟皇子上謁,陛下輒面問,倘十中得五,便可博識安危之故,深究成敗之理。」明宗不能用。〔馮述評〕此可為萬世訓儲之法,勝如講經說書,作秀才學問也。
新字:張昭先逮事唐明宗。明宗諸皇子競侈汰。昭疏訓儲之法,略云:「陛下諸子,宜各置師傅,令折節師事之。一日中但令止記一事,一歳之内,所記漸多,則毎月終,令師傅共録奏聞。俟皇子上謁,陛下輒面問,倘十中得五,便可博識安危之故,深究成敗之理。」明宗不能用。〔馮述評〕此可為万世訓儲之法,勝如講経説書,作秀才学問也。
書き下し
張昭は先に唐の明宗に逮事す。明宗の諸皇子は競いて侈汰す。昭は疏して訓儲の法を陳べ、略ぼ云う、「陛下の諸子は、宜しく各おの師傅を置き、節を折りてこれに師事せしむべし。一日の中、但だ止だ一事を記さしめ、一歳の内に、記する所漸く多ければ、則ち月の終ごとに、師傅をして共に録して奏聞せしめん。皇子の上謁するを俟ちて、陛下は輒ち面り問い、倘し十に五を得ば、便ち安危の故を博識し、成敗の理を深究すべし」と。明宗は用うる能わず。〔馮述評〕此れ万世の訓儲の法と為すべし。経を講じ書を説き、秀才の学問を作すに勝れり。
現代語訳
張昭は以前、唐の明宗に仕えていました。明宗の皇子たちは競っておごりぜいたくに走っていました。張昭は上疏して、皇太子の教育法を述べ、おおよそ次のように言いました。「陛下の皇子たちには、それぞれ師傅(教育係)を置き、へりくだって師に学ばせるべきです。一日のうちに、たった一つの事柄だけを記録させ、一年のうちに、記すことがしだいに多くなれば、毎月の終わりに、師傅たちが共に書き取って陛下に上奏するようにします。皇子が拝謁するときを待って、陛下がその場で尋ね、もし十のうち五を答えられれば、国家の安危の理由を広く知り、成功と失敗の道理を深く究めることができるでしょう。」明宗は用いることができませんでした。〔馮夢龍の評〕これは万世にわたる、後継者教育の方法といえます。経書を講じて書を説き、書生の学問をなすよりもはるかに優れています。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』遠猶・商高宗商の高宗、太子たりし時、其の父小乙、嘗て久しく民間に居らしめ、小民と出入して事を同じくし、以て其の情を知らしむ。〔馮述評〕太祖は太子を教諭するに、必ず命じて備に農家を歴せしめ、その居処・服食・器用を観て、農の労苦を知らしむ。洪武の末、秀才を選び、春坊の官に随いて班を分けて入直し、前に近づきて民間の利害等の事を説かしむ。成祖は北京を巡行するに、二皇長孫をして村落を周行せしめ、農桑の事を歴観せしむ。教諭する者は宜しく以て法と為すべし。
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『智囊』遠猶・喻樗張濬と趙鼎は志を同じくして治を輔け、務めて幸門を塞ぎ近習を抑うるに在り、相い得ること甚だ歓ぶ。人は其の将に並びに相たらんとするを知る。史館校勘喻樗、独り曰く、「二人は宜しく且つ同じく枢府に在るべし。他日、趙退かば則ち張之に継ぎ、事を立て人を任ずること、未だ甚だしくは相い遠からざれば、則ち気脈長し。若し同じく相位に在りて、万一合わずして去らば、則ち必ず更張す。是れ賢者自ら相い悖戻するなり」と。〔馮述評〕曹は以て蕭に継ぐべく、費・董は以て諸葛に継ぐべし。此れ君子の自ら其の気脈を衍ぶる所以なり。乃ち李を貴ばず力を責め、以て孝和に遺し、張斉賢を貴ばず、以て真廟に遺すが若きは、是れ人主自ら私恩を以て市を為し、帝王の公に非ざるなり。
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貞観政要・尊敬師傅臣聞く、四方を郊迎するは、孟侯の徳を成す所以なり。学に齒して三たび譲るは、元良の是に由りて貞を作す。斯れ皆な主祀の尊を屈し、下交の義を申(の)ぶ。故に芻言も咸な薦むるを得、睿問も旁く通ず。軒庭を出でずして、坐して天壌を知る。茲の道に率由し、永く鴻基を固くする者なり。生まれて深宮の中に在り、長じて婦人の手に在るが若きに至りては、未だ曾て憂懼を識らず、風雅を暁(さと)る由無し。復た神機測られず、天縦の生知なりと雖も、而も物を開き務を成すは、終に外の獎(すす)めに由る。夫の彼の干籥を崇び、茲の謡頌を聴くに匪(あら)ずんば、何を以て庶類を辨章し、彜倫を甄覈(けんかく)せんや。歴(あまね)く聖賢を考うるに、咸な玉を琢くに資る。是の故に周の儲は上哲なるも、望・奭を師として裕(ゆたか)さを加う。漢の嗣は深仁なるも、園・綺を引きて徳を昭らかにす。原(たず)ぬるに夫れ太子は、宗祧の是れ係る所なり。善悪の際、興亡斯に在り。始めに勤めずんば、将に終わりに悔いん。是を以て晁錯は書を上りて、政術に通ぜしめんとす。賈誼は策を献じて、礼教を知るに務む。窃かに惟うに、皇太子は玉裕挺生し、金声夙に振るう。明允篤誠の美、孝友仁義の方、皆な天姿より挺(ぬき)んず。審諭を労するに非ず。固より華夷は徳を仰ぎ、翔泳も風を希(ねが)う。然らば則ち寝門に膳を視るは、已に三朝に表る。芸宮に道を論ずるは、宜しく四術に弘むべし。春秋に富むと雖も、躬を飭(つつし)むこと漸有り。実に恐る、歳月は往き易く、業を墮ちて譏りを興し、適を晏安に取ること、此より始まらんことを。臣は愚短を以て、幸いに侍従に参ず。儲明を広めんことを思い、暫く聞徹せんことを願う。敢えて曲げて故事を陳べず。切に請う、聖徳を以て之を言わん。
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