人物志 / 材理
剛略之人,不能理微;故其論大體則弘博而高遠,歷纖理則宕往而疏越。
新字:剛略之人,不能理微;故其論大体則弘博而高遠,歴繊理則宕往而疏越。
書き下し
剛略の人は、微を理むる能わず。故に其の大体を論ずれば則ち弘博にして高遠なるも、繊理を歴れば則ち宕往にして疏越す。
現代語訳
大まかで豪快な性質の人は、細かい機微を丁寧に扱うことができない。それゆえ、大局を論じさせれば、広く高い視野で見事に語るが、細かな理屈を扱わせると、話が逸れて粗雑になってしまう。
解説
大局観に優れた人ほど、細部を詰める作業を苦手とする傾向がある、という人物観察である。方針や構想を語らせると視野の広さに感心させられる一方で、実務の細かな詰めを任せると急に精度が落ちるという人は、身近にも思い当たるだろう。これは能力の優劣ではなく、得意な領域の違いにすぎない。大局を語る力と細部を詰める力を同じ人に両方求めるより、それぞれが得意な場面で力を発揮できる組み合わせを考えるほうが、物事はうまく進む。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
得意不得意大局観細部への弱さ
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