智囊 / 見大・蕭何・任氏
沛公至咸陽,諸將皆爭走金帛財物之府分之,何獨先入收秦丞相、御史律令圖書藏之。沛公具知天下阨塞、戶口多少強弱處、民所疾苦者,以何得秦圖書也。宣曲任氏,其先為督道倉吏。秦之敗也,豪傑爭取金玉,任氏獨窖倉粟。楚漢相距滎陽,民不得耕種,米石至萬,而豪傑金玉盡歸任氏。〔馮述評〕二人之智無大小,易地皆然也。又蜀卓氏,其先趙人,用鐵冶富。秦破趙,遷卓氏之蜀,夫妻推輦行。諸遷虜少用餘財,爭與吏求近處,處葭萌。唯卓氏曰:「此地狹薄。吾聞岷山之下沃野,下有蹲鴟〔馮注:芋也〕,至死不飢,民工於市,易賈。」乃求遠遷。致之臨邛,即鐵山鼓鑄,運籌貿易,富至敵國。其識亦有過人者。
新字:沛公至咸陽,諸将皆争走金帛財物之府分之,何独先入収秦丞相、御史律令図書蔵之。沛公具知天下阨塞、戸口多少強弱処、民所疾苦者,以何得秦図書也。宣曲任氏,其先為督道倉吏。秦之敗也,豪傑争取金玉,任氏独窖倉粟。楚漢相距滎陽,民不得耕種,米石至万,而豪傑金玉尽帰任氏。〔馮述評〕二人之智無大小,易地皆然也。又蜀卓氏,其先趙人,用鉄冶富。秦破趙,遷卓氏之蜀,夫妻推輦行。諸遷虜少用余財,争与吏求近処,処葭萌。唯卓氏曰:「此地狭薄。吾聞岷山之下沃野,下有蹲鴟〔馮注:芋也〕,至死不飢,民工於市,易賈。」乃求遠遷。致之臨邛,即鉄山鼓鋳,運籌貿易,富至敵国。其識亦有過人者。
書き下し
沛公、咸陽に至るや、諸将は皆な争いて金帛財物の府に走りてこれを分かつに、何は独り先に入りて秦の丞相・御史の律令図書を収めてこれを蔵す。沛公の天下の阨塞、戸口の多少強弱の処、民の疾苦する所の者を具さに知るは、何の秦の図書を得しを以てなり。宣曲の任氏は、その先は督道の倉吏たり。秦の敗るるや、豪傑は争いて金玉を取るに、任氏は独り倉粟を窖す。楚漢、滎陽に相い距ぎ、民は耕種するを得ず、米は石ごとに万に至り、豪傑の金玉は尽く任氏に帰す。〔馮述評〕二人の智は大小無く、地を易うれば皆な然り。又た蜀の卓氏は、その先は趙人、鉄冶を用いて富む。秦、趙を破り、卓氏を蜀に遷す。夫妻、輦を推して行く。諸の遷虜は余財を少しく用い、争いて吏に与って近き処を求め、葭萌に処る。唯だ卓氏のみ曰く、「此の地は狭薄なり。吾聞く、岷山の下は沃野にして、下に蹲鴟有り〔馮注、芋なり〕、死に至るまで飢えず、民は市に工みにして、賈し易し」と。乃ち遠遷を求む。臨邛に致り、即ち鉄山に鼓鋳し、運籌貿易して、富は敵国に至る。その識も亦た人に過ぐる者有り。
現代語訳
沛公(劉邦)が咸陽に入ると、諸将はみな争って金銀や絹、財宝の蔵へ走り、それを分け合いました。ところが蕭何だけは先に入って、秦の丞相・御史の持つ法令や地図・文書を収めて保管しました。沛公が天下の要害、戸口の多寡や強弱の所在、民の苦しみまでつぶさに知ることができたのは、蕭何が秦の図書を得ていたからです。宣曲の任氏は、先祖が督道の倉庫の役人でした。秦が敗れると、豪傑たちは争って金玉を奪いましたが、任氏だけは倉の穀物を地下に蓄えました。楚と漢が滎陽で対峙し、民は耕作できず、米が一石で万銭にもなると、豪傑たちの金玉はすべて任氏のもとに集まりました。〔馮夢龍の評〕この二人の知恵に大小の差はなく、立場を入れ替えても同じことをしたでしょう。また蜀の卓氏は、先祖が趙の人で、製鉄で富を築いていました。秦が趙を破ると、卓氏は蜀に移されました。夫婦で手押し車を押して行きました。他の移住者たちはわずかな余財を役人に使い、争って近い土地を求め、葭萌に住みました。ただ卓氏だけが言いました。「この地は痩せて狭い。聞くところでは、岷山のふもとは沃野で、里芋が育ち、死ぬまで飢えることがなく、民は商いに巧みで商売がしやすいという。」そこで遠い土地への移住を願い出ました。臨邛に着くと、すぐに鉄山で鋳造を始め、采配を振るい取引を重ねて、その富は国に匹敵するほどになりました。その見識もまた、人並みを超えていました。
解説
この章句が説くこと
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