言志四録 / 南洲手抄
著眼高、則見理不岐。
書き下し
眼を著くること高ければ、則ち理を見ること岐せず。
現代語訳
目のつけどころを高く置けば、道理を見るのに迷い分かれることがない。
解説
「着眼を高く」——高い視点から物事を見よ、と一斎は説きます。目線が低いと、枝葉末節にとらわれて、どの道理が正しいのか分かれ道で迷ってしまう。しかし高いところから全体を見渡せば、筋道は一本に見通せます。仕事でも人生でも、細部の議論が紛糾するのは、たいてい視座が低いからです。あえて一段高い目的や大局に立ち返ると、判断はぶれなくなります。短い一句ながら、迷ったときにどこへ立ち位置を移せばよいかを教えてくれる言葉です。
この章句が説くこと
着眼大局観視座判断
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老子・第14章之を視れども見えず、名づけて夷と曰う。之を聴けども聞こえず、名づけて希と曰う。之を搏てども得ず、名づけて微と曰う。此の三者は詰を致すべからず、故に混じて一と為る。其の上は皦らかならず、其の下は昧からず。縄縄として名づくべからず、無物に復帰す。是を無状の状、無物の象と謂い、是を惚恍と謂う。之を迎うれども其の首を見ず、之に随えども其の後を見ず。古の道を執りて、以て今の有を御す。能く古始を知る、是を道紀と謂う。
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孟子・公孫丑章句下孟子、齊を去る。尹士、人に語りて曰く、「王の以て湯・武為る可からざるを識らざれば、則ち是れ不明なり。其の不可なるを識りて然も且つ至らば、則ち是れ澤を干むるなり。千里にして王に見え、遇わざるが故に去る。三宿にして而る後に晝を出づ。是れ何ぞ濡滯なるや。士は則ち茲に悅ばず。」高子以て告ぐ。曰く、「夫の尹士は惡くんぞ予を知らんや。千里にして王に見ゆるは、是れ予が欲する所なり。遇わざるが故に去るは、豈に予が欲する所ならんや。予、已むを得ざるなり。予、三宿して晝を出づるも、予が心に於いては猶ほ以て速かなりと為す。王、庶幾わくは之を改めよ。王如し諸を改めば、則ち必ず予を反さん。夫れ晝を出でて、而も王、予を追わざるなり。予然る後浩然として歸志有り。予然りと雖も、豈に王を舍てんや。王由ほ用て善を為すに足れり。王如し予を用いば、則ち豈に徒に齊の民安きのみならんや。天下の民舉な安からん。王庶幾は之を改めよ。予日々に之を望めり。予豈に是の小丈夫の若く然らんや。其の君を諫めて受けられざれば、則ち怒り、悻悻然として其の面に見れ、去れば則ち日の力を窮めて、而る後に宿せんや。」尹士之を聞きて曰く、「士は誠に小人なり。」
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説苑・說叢寸にして之を度れば、丈に至りて必ず差う。銖にして之を稱れば、石に至りて必ず過つ。石稱丈量は、徑にして失少なし。絲を簡び米を數うるは、煩にして察せず。故に大較は智を為し易く、曲辯は慧を為し難し。
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説苑・政理楊朱、梁王に見え、天下を治むるは諸を掌に運らすが如しと言う。梁王曰く、「先生一妻一妾有りて治むる能わず、三畝の園芸すること能わず、天下を治むるは諸を手掌に運らすが如しと言うは何を以てか。」楊朱曰く、「臣之有り。君夫の羊を見ずや、百羊にして群れ、五尺の童子をして杖を荷いて之に随わしむれば、東せんと欲すれば東し、西せんと欲すれば西す。君且つ堯をして一羊を牽かしめ、舜をして杖を荷いて之に随わしめば、則ち乱の始めなり。臣之を聞く、夫れ舟を吞むの魚は淵に遊ばず、鴻鵠高く飛びて汙池に就かず。何となれば則ち其の志極めて遠ければなり。黄鐘大呂は繁奏の舞に従う可からず。何となれば則ち其の音疏なればなり。将に大なる者を治めんとする者は小なる者を治めず、大功を成す者は小しく苛せず、此を之謂うなり。」
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孟子・離婁章句下子產、鄭國の政を聽き、其の乘輿を以て、人を溱洧に濟せり。孟子曰く、「惠なれども政を為すを知らず。歲の十一月には徒杠成り、十二月には輿梁成らば、民未だ渉るを病まざるなり。君子、其の政を平らかにせば、行きて人を辟けしむるも可なり。焉くんぞ人人にして之を濟すを得ん。故に政を為す者は、人每にして之を悅ばさんとせば、日も亦た足らず。」
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人物志・材理剛略の人は、微を理むる能わず。故に其の大体を論ずれば則ち弘博にして高遠なるも、繊理を歴れば則ち宕往にして疏越す。