智囊 / 見大・燕昭王
燕昭王問為國。郭隗曰:「帝者之臣,師也;王者之臣,友也;伯才之臣,賓也;危國之臣,虜也。唯王所擇。」燕王曰:「寡人願學而無師。」郭隗曰:「王誠欲興道,隗請為天下士開路。」於是燕王為隗改築宮,北面事之。不三年,蘇子自周往,鄒衍自齊往,樂毅自趙往,屈景自楚歸。〔馮述評〕郭隗明於致士之術,便有休休大臣氣象,不愧為人主師。漢高封雍齒而功臣息喙,先主禮許靖而蜀士歸心。皆予之以名,收之以實。
新字:燕昭王問為国。郭隗曰:「帝者之臣,師也;王者之臣,友也;伯才之臣,賓也;危国之臣,虜也。唯王所択。」燕王曰:「寡人願学而無師。」郭隗曰:「王誠欲興道,隗請為天下士開路。」於是燕王為隗改築宮,北面事之。不三年,蘇子自周往,鄒衍自斉往,楽毅自趙往,屈景自楚帰。〔馮述評〕郭隗明於致士之術,便有休休大臣気象,不愧為人主師。漢高封雍歯而功臣息喙,先主礼許靖而蜀士帰心。皆予之以名,収之以実。
書き下し
燕の昭王、国を為むるを問う。郭隗曰く、帝者の臣は師なり。王者の臣は友なり。伯才の臣は賓なり。危国の臣は虜なり。唯だ王の択ぶ所のままなり、と。燕王曰く、寡人は学ばんと願えども師無し、と。郭隗曰く、王誠に道を興さんと欲せば、隗は請う、天下の士の為に路を開かん、と。是に於いて燕王は隗の為に宮を改築し、北面して之に事う。三年ならずして、蘇子は周より往き、鄒衍は斉より往き、楽毅は趙より往き、屈景は楚より帰す。〔馮述評〕郭隗は士を致すの術に明らかにして、便ち休休たる大臣の気象有り、人主の師たるに愧じず。漢高の雍歯を封じて功臣喙を息め、先主の許靖を礼して蜀士心を帰す。皆な之に予うるに名を以てし、之を収むるに実を以てす。
現代語訳
燕の昭王が国の治め方を尋ねた。郭隗は言った。帝者の臣は師であり、王者の臣は友であり、覇者の臣は賓客であり、亡びる国の臣は捕虜です。どれを取るかは王のお選び次第です、と。燕王は言った。私は学びたいが師がいない。郭隗は言った。王がまことに道を興したいのなら、私から始めて天下の士のために道を開きましょう、と。そこで燕王は郭隗のために宮殿を改築し、北面して弟子として仕えた。三年とたたないうちに、蘇秦が周から、鄒衍が斉から、楽毅が趙から、屈景が楚から来た。〔馮の評〕郭隗は士を招く術に通じ、おおらかな大臣の気象があって、君主の師にふさわしかった。漢の高祖が雍歯を封じて功臣が口を閉ざし、先主劉備が許靖を礼遇して蜀の士が心を寄せた。いずれも名を与えて、実を収めたのである。
解説
この章句が説くこと
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