竹馬抄 / 老いて名を残す道
さらに侍まじきやらん、たゞわかくさかりなるほどは、なにとなくさまのよくみゆれば、それにのみほこりて我はと心ひとつに思ふまゝに、心をもたしなまず、能をもほしくせぬなり、目心はづからん人にあひては、たちまちみおとされてこそせんずらめ、無能ならん人の、としのよるやうを思ひやるに、たゞ狐狸などの年經ぬるにてこそあらんずれ、いかゞすべく〱、業平中將の、老らくのこむといふなるゝ、行平中納言の、なみだの瀧といづれたかけむとよみ、黑主が、年經ぬる身は老やしぬるとゝ詠じ、小侍從が、八十の年の暮なればとよみたればこそ、花なりし昔もさこそ戀しかりけめと、あはれにもやさしくも聞ゆれ、たゞ若き人の、年のよりたるばかりは、何ほどの思ひやりかは侍べき、夢幻のやうなれども、人の名は末代にとゞまり侍なり、或はよき佛法の上人、或は賢人聖人、又はすける人などならでは、誰人かながく世にしられて侍りける、人木石にあらずと申ためれど、いたづら人のながらへんは、谷かげの朽木にてこそ侍らんずらめ、たしなむべし、
新字:さらに侍まじきやらん、たゞわかくさかりなるほどは、なにとなくさまのよくみゆれば、それにのみほこりて我はと心ひとつに思ふまゝに、心をもたしなまず、能をもほしくせぬなり、目心はづからん人にあひては、たちまちみおとされてこそせんずらめ、無能ならん人の、としのよるやうを思ひやるに、たゞ狐狸などの年経ぬるにてこそあらんずれ、いかゞすべく〱、業平中将の、老らくのこむといふなるゝ、行平中納言の、なみだの滝といづれたかけむとよみ、黒主が、年経ぬる身は老やしぬるとゝ詠じ、小侍従が、八十の年の暮なればとよみたればこそ、花なりし昔もさこそ恋しかりけめと、あはれにもやさしくも聞ゆれ、たゞ若き人の、年のよりたるばかりは、何ほどの思ひやりかは侍べき、夢幻のやうなれども、人の名は末代にとゞまり侍なり、或はよき仏法の上人、或は賢人聖人、又はすける人などならでは、誰人かながく世にしられて侍りける、人木石にあらずと申ためれど、いたづら人のながらへんは、谷かげの朽木にてこそ侍らんずらめ、たしなむべし、
書き下し
さらに侍まじきやらん、たゞわかくさかりなるほどは、なにとなくさまのよくみゆれば、それにのみほこりて我はと心ひとつに思ふまゝに、心をもたしなまず、能をもほしくせぬなり、目心はづからん人にあひては、たちまちみおとされてこそせんずらめ、無能ならん人の、としのよるやうを思ひやるに、たゞ狐狸などの年經ぬるにてこそあらんずれ、いかゞすべく〱、業平中將の、老らくのこむといふなるゝ、行平中納言の、なみだの瀧といづれたかけむとよみ、黑主が、年經ぬる身は老やしぬるとゝ詠じ、小侍從が、八十の年の暮なればとよみたればこそ、花なりし昔もさこそ戀しかりけめと、あはれにもやさしくも聞ゆれ、たゞ若き人の、年のよりたるばかりは、何ほどの思ひやりかは侍べき、夢幻のやうなれども、人の名は末代にとゞまり侍なり、或はよき佛法の上人、或は賢人聖人、又はすける人などならでは、誰人かながく世にしられて侍りける、人木石にあらずと申ためれど、いたづら人のながらへんは、谷かげの朽木にてこそ侍らんずらめ、たしなむべし、
現代語訳
まったくいないのでしょうか。ただ、若く盛りの間は、何ということなく様子がよく見えるので、それにだけ誇り、自分こそはと心一つに思うまま、心を磨かず、芸も欲しがりません。目も心も恥ずかしくなるような人に会えば、たちまち見下されるでしょう。無能な人が年をとっていく様子を思いやると、ただ狐や狸が年を経たのと同じでしょう。どうしたものでしょう。業平中将が「老いらくのこむといふなる」と詠み、行平中納言が「なみだの瀧といづれたかけむ」と詠み、黒主が「年経ぬる身は老やしぬると」と詠じ、小侍従が「八十の年の暮なれば」と詠んだからこそ、花であった昔もさぞ恋しかったことだろうと、しみじみと優しく聞こえます。ただ若い人が年をとっただけでは、どれほどの思いやりがあるでしょう。夢幻のようであっても、人の名は末代まで残ります。優れた仏法の上人、賢人聖人、また風雅を好む人などでなければ、誰が長く世に知られたでしょう。人は木石ではないと言いますが、いたずらに長生きするのは、谷陰の朽木のようなものでしょう。よく心がけるべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『竹馬抄』・芸を身につけ恥をかかぬ一能の有人は、心のほども思ひやられ、その家も心にくき也、世中は名利のみなり、能は名聞なれば、不堪といふとも猶たしなむべし、心のおよび學びもて行くほどに、物のへたといふとも、功の入ぬる事は、かたはらいたきヿのなき也、よくする事はまれなり、尋常しくなりて、人なみに立まじはるまでを詮とすべし、いかに高き家に生れ、みめかたちよく侍人も、歌よむとて短冊とる所、詩作るとて韻などさぐり、管絃の所の器のまへわたし、連歌の中にせぬ人にて他言うちまじへ、音曲する人の座しきにつらなりてつらづゑつき、鞠などの塲に露をだにえはらはず、又わかき友だちのよき手跡にて消息かきかはしなどするに、他人の手をかりて口筆をだにはか〱しくえせぬもいふがひなきに、あまつさへ女の方への文などの時、人の手をやとひ侍るほどに、忍ぶべきこともあらはになり侍るは、いかゞ口おしからぬや、圍碁、象基、雙六やうのいたづらとだにも、その座につらなりて、知り侍らぬはつたなくこそ侍れ、弓箭とりにて、的、笠懸、犬追物など嗜むべきとは、云ふにをよばず、もとよりのヿなり、
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『竹馬抄』・物語に人の振る舞いを学ぶ一尋常しき人は、かならず光源氏の物がたり、清少納言が枕草子などを、目をとゞめていくかへりも覺え侍べきなり、なによりも人のふるまひ、心のよしあしのたゞずまひを敎へたるものなり、それにてをのづから心の有人のさまも見しる也、あなかしこ、心不當に人のためわろくふるまひ、かたくなに欲ふかく能なからん人を友とすべからず、人のならひにてよきヿは學びがたく、あしきヿは學びよきほどに、をのづからなるゝ人のやうになりもて行なり、此ヿは我身に深く思ひしりて侍なり、鳥の跡ばかりかなど書つくる事は、はづかしく思ひ侍し女の、ものよく書侍しにあひて學侍き、かたのごとく和歌の道に入て、二代の集に名をかけて侍ると、連歌などいふとも、みな若き友だちといどみあひ侍りて、はじめは我執をおこし、中ほどは名聞を思ひ侍りしほどに、おのづから年月の行につけて、心の數奇侍て、かたのどくの人づらにもたちまじはり侍也、老の後は人にいとはれて、さし出がたきヿかや申なれば、かたはらの能だにもなからましかば、
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『竹馬抄』・友によって芸は身につく人に有とも思はれず、我心をも何にてか慰め侍べき、鞠などもわかゝりし時は、人數のかけたる所に、せめ立られまいらせし程に、辱なきまじらひし侍しほどに、終にはかひ〱しからね共、そのしるしは、人の名足又上手下手の振舞、心づかひなどは見しりて侍れば、いかなる上手なりとも、などかは辱給はざらん、又絲竹の道は、さしも親の重ぜられて、三曲にいたるかひにとて、物の心もしらざりし比は、わづかに七ばちなどばかり敎へられ侍りしを、世に仕へしいとまなさに中絶き、其後はかやうの事學ぶ友だちにも、そひ侍らざりしほどに、心ざしを空しくし侍りき、口おしきヿ也、これにつけても、友によりて能はつきぬべし、むかしより今までも、男女の色好の名をとりたる人は、別の子細なし、たゞ心を花月にしめて、世間の常なき色をくはんじて、心を細くもち、物の哀をしりて、志をうるはしくせしかば、能も才も人にすぐれて、やさしきかたより、此道の名をとり侍りき、かやうのヿを思ひつゞけ侍れば、今の世には、色好といふべき人、
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『竹馬抄』・公の姿と最期の覚悟よろづのことにおほやけすがたと云と眼と云ことの侍るべきなり、このごろの人おほくはそれまでおもひわけて心がけたる人すくなく侍るなり、弓箭とりと云は、わが身のヿは申におよばず子孫の名をおもひて振舞べきなり、かぎりある命をおしみて永代うき名をとるべからず、さればとて二なき命をちりはいのどくにおもひて、死まじき時身をうしなふは、かへつていひがひなき名をとるなり、たとへば一天の君の御ため、または弓箭の將軍の御大事に立て身命をすつるを本意といふなり、それこそ子孫の高名をも傳へけれ、當座のけいさかひなどはよくてもあしくても家のふかく高名になるべからず、すべて武士は心をあはつかにうか〱とは持まじきなり、万のことに兼て思案してもつべきなり、常の心は臆病なれど、綱と云けるものゝ末武におしへけるも最後の大事を兼てならせとなるべし、おほくの人はみなその時にしたがひ折に望みてこそ振舞べけれとて、過るほどに俄に大事の難義の出來時はめいわくするなり、死べき期をおし過しなどして後悔するなり、よき弓とりと佛法者とは用心おなじことゝぞ申める、すべてなにごともこゝろのしづまらぬは口おしき事なり、人のこゝろときとも案者の中にのみ侍るなり、
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『竹馬抄』・心は使い方で利にも鈍にも此比は或はめたれをみ、或はわゝく心のみ侍ほどに、一すぢにやはらかにうるはしき人をば、人のいやしむる也、無心の道人などゝて、佛法者などの、目も心もなき樣にみえて、三歳の孫のごとくなどいふは別のヿなり、又愚痴の人は、もの〱惡もわきまへず、只默々としたるは、よき人といふべきにあらず、是程のヿはよく〱思ひわくべき也、坐禪する僧達などは、生つきより利根なる事はなきも、心をしづかにするゆへに、諸事に明かなり、學問などする人も、その事を一大事に心をしづめて覺え侍るほどに他事にもをのづから利根に侍なり、たゞ人の心は、つかひやうによりてよくもなり、あしくもなり、利根にも鈍にもなるべきなり、人のさかりは、十年には過侍らず、そのうちになににどもたしなむべし、十ばかり十四五までは、眞實物の興もなく侍也、四十五十になりぬれば、又心鈍になりて、よろづ物ぐさきほどに、はか〱しきけいこもかなはず、十八九より三十ばかりまでの事なれば、物をしるとゝのへておもしろき根源に至事は、たゞ十二三年に過べからず、不定の世界には、とくけいこすべきなり、
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『竹馬抄』・親の言葉を手本にする一我身をはじめておもふに、おやの心をもどかしう敵をあざむくことのみ侍るなり、おろかなるおやといふとも其敵にしたがはゞまづ天道にはそむくべからず、まして十に八九はおやの詞は子の道理にかなふべきなり、わが身につみ知られ侍なり、いにしへもどかしうおしへをあざむく事のみ侍りしおやのこと葉はみな肝要にて侍るなり、他人のよきまねをせんよりはわろきおやのまねをすべきなり、さてこそ家の風をもつたへその人の跡ともいわるべけれ、

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