竹馬抄 / 物語に人の振る舞いを学ぶ
一尋常しき人は、かならず光源氏の物がたり、清少納言が枕草子などを、目をとゞめていくかへりも覺え侍べきなり、なによりも人のふるまひ、心のよしあしのたゞずまひを敎へたるものなり、それにてをのづから心の有人のさまも見しる也、あなかしこ、心不當に人のためわろくふるまひ、かたくなに欲ふかく能なからん人を友とすべからず、人のならひにてよきヿは學びがたく、あしきヿは學びよきほどに、をのづからなるゝ人のやうになりもて行なり、此ヿは我身に深く思ひしりて侍なり、鳥の跡ばかりかなど書つくる事は、はづかしく思ひ侍し女の、ものよく書侍しにあひて學侍き、かたのごとく和歌の道に入て、二代の集に名をかけて侍ると、連歌などいふとも、みな若き友だちといどみあひ侍りて、はじめは我執をおこし、中ほどは名聞を思ひ侍りしほどに、おのづから年月の行につけて、心の數奇侍て、かたのどくの人づらにもたちまじはり侍也、老の後は人にいとはれて、さし出がたきヿかや申なれば、かたはらの能だにもなからましかば、
新字:一尋常しき人は、かならず光源氏の物がたり、清少納言が枕草子などを、目をとゞめていくかへりも覚え侍べきなり、なによりも人のふるまひ、心のよしあしのたゞずまひを教へたるものなり、それにてをのづから心の有人のさまも見しる也、あなかしこ、心不当に人のためわろくふるまひ、かたくなに欲ふかく能なからん人を友とすべからず、人のならひにてよきヿは学びがたく、あしきヿは学びよきほどに、をのづからなるゝ人のやうになりもて行なり、此ヿは我身に深く思ひしりて侍なり、鳥の跡ばかりかなど書つくる事は、はづかしく思ひ侍し女の、ものよく書侍しにあひて学侍き、かたのごとく和歌の道に入て、二代の集に名をかけて侍ると、連歌などいふとも、みな若き友だちといどみあひ侍りて、はじめは我執をおこし、中ほどは名聞を思ひ侍りしほどに、おのづから年月の行につけて、心の数奇侍て、かたのどくの人づらにもたちまじはり侍也、老の後は人にいとはれて、さし出がたきヿかや申なれば、かたはらの能だにもなからましかば、
書き下し
一尋常しき人は、かならず光源氏の物がたり、清少納言が枕草子などを、目をとゞめていくかへりも覺え侍べきなり、なによりも人のふるまひ、心のよしあしのたゞずまひを敎へたるものなり、それにてをのづから心の有人のさまも見しる也、あなかしこ、心不當に人のためわろくふるまひ、かたくなに欲ふかく能なからん人を友とすべからず、人のならひにてよきヿは學びがたく、あしきヿは學びよきほどに、をのづからなるゝ人のやうになりもて行なり、此ヿは我身に深く思ひしりて侍なり、鳥の跡ばかりかなど書つくる事は、はづかしく思ひ侍し女の、ものよく書侍しにあひて學侍き、かたのごとく和歌の道に入て、二代の集に名をかけて侍ると、連歌などいふとも、みな若き友だちといどみあひ侍りて、はじめは我執をおこし、中ほどは名聞を思ひ侍りしほどに、おのづから年月の行につけて、心の數奇侍て、かたのどくの人づらにもたちまじはり侍也、老の後は人にいとはれて、さし出がたきヿかや申なれば、かたはらの能だにもなからましかば、
現代語訳
物腰の整った人は、必ず光源氏の物語や清少納言の枕草子などを、心をとめて何度も読んで覚えておくべきです。何よりも、人の振る舞いや心の善し悪しの様子を教えるものです。それによって、おのずから心ある人の様子も見て取れます。くれぐれも、心が正しくなく人のために悪く振る舞い、頑なで欲深く芸のない人を友としてはなりません。人の習いとして、よいことは学びにくく悪いことは学びやすいので、自然とその友のようになっていきます。このことは、私自身が深く思い知っています。文字を書き散らすことは恥ずかしく思っていたところ、書の上手な女性に出会って学びました。型どおり和歌の道に入り、二代の集に名を連ねましたし、連歌なども、みな若い友人と競い合い、初めは我執を起こし、中ほどは名聞を思ったのですが、年月がたつにつれて自然と心に風雅を好む思いが生まれ、しかるべき人々の仲間にも交わるようになりました。老いてからは人に疎まれて出しゃばりにくいものですから、そばに芸の一つもなかったならば、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』外篇・品藻・至此不為君子、真小人なり君子事に當たれば、則ち小人も皆な君子と為る。此に至りて君子と為らざるは、真の小人なり。小人事に當たれば、則ち中人も皆な小人と為る。此に至りて小人と為らざるは、真の君子なり。
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『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。
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『講孟余話』滕文公下 第六章「一薛居州、独り宋王を如何せん」。此の章の義極めて明白、比喩極めて的切、而して到底又此の一句に帰す。然れども是れ独り人君の知るべきのみに非ず。卿大夫士に至るまで、争臣争友少なくては、善をなすこと甚だ難し。更に一転して思ふに、心の存する所、身の行ふ所、接する所の事、翫ぶ所の芸、皆善に非ざることなくば、何を以て不善の人たらんや。故に云ふ、「小人間居して不善をなす」と。不善の萌しは必ず無事による者なれば、是れを思ひて、身を孝悌文武の内に漸漬して、他念を生ずるに暇なくすべし。是れ亦荘嶽に置くの意なり。
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『新書』保傅秦に及びて然らず、其の俗は固より辞譲を貴ぶに非ず、上ぶ所は告訏なり。固より礼義を貴ぶに非ず、上ぶ所は刑罰なり。趙高をして胡亥に傅きて之に獄を教えしめ、習う所は人を斬劓するに非ざれば、則ち人の三族を夷するなり。故に今日位に即き、明日人を射、忠諫する者は之を誹謗と謂い、深く之が為に計る者は之を妖言と謂い、其の人を殺すを視ること艾草菅の若く然り。豈に胡亥の性悪ならんや。其の之を集め道く所以の者、理に非ざる故なり。
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『呻吟語』内篇・修身・入る所を慎み、接する所を慎む廟に入れば敬を期せずして自ら敬し、朝に入れば肅を期せずして自ら肅たり。是を以て君子は入る所を慎むなり。嚴師を見れば則ち收斂し、狎友を見れば則ち放恣なり。是を以て君子は接する所を慎むなり。
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。

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