竹馬抄 / 芸を身につけ恥をかかぬ
一能の有人は、心のほども思ひやられ、その家も心にくき也、世中は名利のみなり、能は名聞なれば、不堪といふとも猶たしなむべし、心のおよび學びもて行くほどに、物のへたといふとも、功の入ぬる事は、かたはらいたきヿのなき也、よくする事はまれなり、尋常しくなりて、人なみに立まじはるまでを詮とすべし、いかに高き家に生れ、みめかたちよく侍人も、歌よむとて短冊とる所、詩作るとて韻などさぐり、管絃の所の器のまへわたし、連歌の中にせぬ人にて他言うちまじへ、音曲する人の座しきにつらなりてつらづゑつき、鞠などの塲に露をだにえはらはず、又わかき友だちのよき手跡にて消息かきかはしなどするに、他人の手をかりて口筆をだにはか〱しくえせぬもいふがひなきに、あまつさへ女の方への文などの時、人の手をやとひ侍るほどに、忍ぶべきこともあらはになり侍るは、いかゞ口おしからぬや、圍碁、象基、雙六やうのいたづらとだにも、その座につらなりて、知り侍らぬはつたなくこそ侍れ、弓箭とりにて、的、笠懸、犬追物など嗜むべきとは、云ふにをよばず、もとよりのヿなり、
新字:一能の有人は、心のほども思ひやられ、その家も心にくき也、世中は名利のみなり、能は名聞なれば、不堪といふとも猶たしなむべし、心のおよび学びもて行くほどに、物のへたといふとも、功の入ぬる事は、かたはらいたきヿのなき也、よくする事はまれなり、尋常しくなりて、人なみに立まじはるまでを詮とすべし、いかに高き家に生れ、みめかたちよく侍人も、歌よむとて短冊とる所、詩作るとて韻などさぐり、管絃の所の器のまへわたし、連歌の中にせぬ人にて他言うちまじへ、音曲する人の座しきにつらなりてつらづゑつき、鞠などの塲に露をだにえはらはず、又わかき友だちのよき手跡にて消息かきかはしなどするに、他人の手をかりて口筆をだにはか〱しくえせぬもいふがひなきに、あまつさへ女の方への文などの時、人の手をやとひ侍るほどに、忍ぶべきこともあらはになり侍るは、いかゞ口おしからぬや、囲碁、象基、双六やうのいたづらとだにも、その座につらなりて、知り侍らぬはつたなくこそ侍れ、弓箭とりにて、的、笠懸、犬追物など嗜むべきとは、云ふにをよばず、もとよりのヿなり、
書き下し
一能の有人は、心のほども思ひやられ、その家も心にくき也、世中は名利のみなり、能は名聞なれば、不堪といふとも猶たしなむべし、心のおよび學びもて行くほどに、物のへたといふとも、功の入ぬる事は、かたはらいたきヿのなき也、よくする事はまれなり、尋常しくなりて、人なみに立まじはるまでを詮とすべし、いかに高き家に生れ、みめかたちよく侍人も、歌よむとて短冊とる所、詩作るとて韻などさぐり、管絃の所の器のまへわたし、連歌の中にせぬ人にて他言うちまじへ、音曲する人の座しきにつらなりてつらづゑつき、鞠などの塲に露をだにえはらはず、又わかき友だちのよき手跡にて消息かきかはしなどするに、他人の手をかりて口筆をだにはか〱しくえせぬもいふがひなきに、あまつさへ女の方への文などの時、人の手をやとひ侍るほどに、忍ぶべきこともあらはになり侍るは、いかゞ口おしからぬや、圍碁、象基、雙六やうのいたづらとだにも、その座につらなりて、知り侍らぬはつたなくこそ侍れ、弓箭とりにて、的、笠懸、犬追物など嗜むべきとは、云ふにをよばず、もとよりのヿなり、
現代語訳
芸能のある人は、その心のほども思いやられ、その家も奥ゆかしいものです。世の中は名と利ばかりで、芸は名聞のことですから、不得手であってもなお嗜むべきです。心の及ぶ限り学んでいくうちに、たとえ下手でも、努力を重ねたことには見苦しいことがなくなります。上手になることはまれです。人並みになって、普通に交われるようになるまでを目標とすべきです。どれほど高い家に生まれ、容姿が優れていても、歌を詠む場で短冊を取り、詩を作る場で韻を探り、管絃の場で楽器を前に回され、連歌の席で句をつけない人は他の言葉を交え、音曲をする人の座敷に連なって頬杖をつき、蹴鞠の場で露さえ払えず、また若い友人と美しい筆跡で手紙をやりとりするときに、他人の手を借りて口述さえてきぱきとできないのは言いがいもないことです。そのうえ女性への手紙などの折に人の手を借りるので、秘めておきたいことまで露わになるのは、なんと残念ではありませんか。囲碁、将棋、双六のような遊びでさえ、その座に連なって知らないのは拙いものです。武士として、的、笠懸、犬追物などを嗜むべきことは言うまでもなく、当然のことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『竹馬抄』・友によって芸は身につく人に有とも思はれず、我心をも何にてか慰め侍べき、鞠などもわかゝりし時は、人數のかけたる所に、せめ立られまいらせし程に、辱なきまじらひし侍しほどに、終にはかひ〱しからね共、そのしるしは、人の名足又上手下手の振舞、心づかひなどは見しりて侍れば、いかなる上手なりとも、などかは辱給はざらん、又絲竹の道は、さしも親の重ぜられて、三曲にいたるかひにとて、物の心もしらざりし比は、わづかに七ばちなどばかり敎へられ侍りしを、世に仕へしいとまなさに中絶き、其後はかやうの事學ぶ友だちにも、そひ侍らざりしほどに、心ざしを空しくし侍りき、口おしきヿ也、これにつけても、友によりて能はつきぬべし、むかしより今までも、男女の色好の名をとりたる人は、別の子細なし、たゞ心を花月にしめて、世間の常なき色をくはんじて、心を細くもち、物の哀をしりて、志をうるはしくせしかば、能も才も人にすぐれて、やさしきかたより、此道の名をとり侍りき、かやうのヿを思ひつゞけ侍れば、今の世には、色好といふべき人、
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『竹馬抄』・物語に人の振る舞いを学ぶ一尋常しき人は、かならず光源氏の物がたり、清少納言が枕草子などを、目をとゞめていくかへりも覺え侍べきなり、なによりも人のふるまひ、心のよしあしのたゞずまひを敎へたるものなり、それにてをのづから心の有人のさまも見しる也、あなかしこ、心不當に人のためわろくふるまひ、かたくなに欲ふかく能なからん人を友とすべからず、人のならひにてよきヿは學びがたく、あしきヿは學びよきほどに、をのづからなるゝ人のやうになりもて行なり、此ヿは我身に深く思ひしりて侍なり、鳥の跡ばかりかなど書つくる事は、はづかしく思ひ侍し女の、ものよく書侍しにあひて學侍き、かたのごとく和歌の道に入て、二代の集に名をかけて侍ると、連歌などいふとも、みな若き友だちといどみあひ侍りて、はじめは我執をおこし、中ほどは名聞を思ひ侍りしほどに、おのづから年月の行につけて、心の數奇侍て、かたのどくの人づらにもたちまじはり侍也、老の後は人にいとはれて、さし出がたきヿかや申なれば、かたはらの能だにもなからましかば、
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『竹馬抄』・老いて名を残す道さらに侍まじきやらん、たゞわかくさかりなるほどは、なにとなくさまのよくみゆれば、それにのみほこりて我はと心ひとつに思ふまゝに、心をもたしなまず、能をもほしくせぬなり、目心はづからん人にあひては、たちまちみおとされてこそせんずらめ、無能ならん人の、としのよるやうを思ひやるに、たゞ狐狸などの年經ぬるにてこそあらんずれ、いかゞすべく〱、業平中將の、老らくのこむといふなるゝ、行平中納言の、なみだの瀧といづれたかけむとよみ、黑主が、年經ぬる身は老やしぬるとゝ詠じ、小侍從が、八十の年の暮なればとよみたればこそ、花なりし昔もさこそ戀しかりけめと、あはれにもやさしくも聞ゆれ、たゞ若き人の、年のよりたるばかりは、何ほどの思ひやりかは侍べき、夢幻のやうなれども、人の名は末代にとゞまり侍なり、或はよき佛法の上人、或は賢人聖人、又はすける人などならでは、誰人かながく世にしられて侍りける、人木石にあらずと申ためれど、いたづら人のながらへんは、谷かげの朽木にてこそ侍らんずらめ、たしなむべし、
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『士道心得書』・武士の藝と職分謠鼓を四座の太夫に增り、鞠を飛鳥井殿を耻かしめ、花を池の坊とならび、はんせうを本因坊宗桂をめで、武士の藝とは云ひがたし。弓馬を始め、鎗劍術柔術、其の外鐵砲等に至る迄、技藝は何れをも不案内に之無き樣に心懸くべき事、士の職分なり。骨節を鍛へざれば變に應ずる事難し。故に武士の家に生るゝ人は、八歲の頃より、手習讀書を習はし、十四五歲に至りて、弓馬其の外技藝を習練すべし。
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徒然草・第150段能をつかむとする人、「よくせざらむ程は、なまじひに人に知られじ、内々よく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ。」と常にいふめれど、かくいふ人、一芸もならひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、譏り笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず妄りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名をうることなり。天下の物の上手といへども、はじめは不堪のきこえもあり、無下の瑕瑾もありき。されどもその人、道の掟正しく、これを重くして放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となること、諸道かはるべからず。
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『竹馬抄』・人目なき所でも慎む一人の立振舞べきやうにて、品の程もこゝろの底も見ゆるなれば、人目なきところにても垣壁を目と心得てうちとくまじきなり、まして人中の作法は一足にてもあだにふまず、一詞といふとも心淺やと人におもはるべからず、ただ色を好み花を心にかけたる人なりとも、心をばうるはしくまことしくもちて、そのうへに色花をそふべきなり、男女の中だにも實なきは志の色なきまゝに、□なくばかりのヿまれにこそ侍れ、

人生を、一行の式にしてみた。
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