武士訓 / 卷四・第7段
人のかげごとをかりにもいふべからず。人をそしるはわが短をあらはすなり。恥辱これよりはなはだしきはなし。あるひは人に諢名をつけて。其癖をそしる。これ害をまねくの媒なり。むかし豐臣秀吉公柴田勝家と矛盾におよばれけるとき。勝家のむねとたのまれし人(姓名不詳)勝家と牒しあはさんとて。家人どもをあつめて。評議しけるに。其右筆なりけるものすゝみ出て。公柴田殿にこゝろざしふかしといへども。勝家はさほどにおぼさぬにや。あるとき雜談のつゐでに。公の御事におよんで。あゝ何萬石のあれ地かなとのたまひしといひしかば。かの人大にいかりて。忽合體のおもひをひるがへし。秀吉公に反忠せしとなむ。古語にも刀瘡易沒。惡語難消といへり。かたなきずはそのあとなをらぬものなれども。たとひそれはあとなくゆるとても。一たびいひ出せし惡言は。いつまでもきえがたしとの事なり。
新字:人のかげごとをかりにもいふべからず。人をそしるはわが短をあらはすなり。恥辱これよりはなはだしきはなし。あるひは人に諢名をつけて。其癖をそしる。これ害をまねくの媒なり。むかし豊臣秀吉公柴田勝家と矛盾におよばれけるとき。勝家のむねとたのまれし人(姓名不詳)勝家と牒しあはさんとて。家人どもをあつめて。評議しけるに。其右筆なりけるものすゝみ出て。公柴田殿にこゝろざしふかしといへども。勝家はさほどにおぼさぬにや。あるとき雑談のつゐでに。公の御事におよんで。あゝ何万石のあれ地かなとのたまひしといひしかば。かの人大にいかりて。忽合体のおもひをひるがへし。秀吉公に反忠せしとなむ。古語にも刀瘡易没。悪語難消といへり。かたなきずはそのあとなをらぬものなれども。たとひそれはあとなくゆるとても。一たびいひ出せし悪言は。いつまでもきえがたしとの事なり。
書き下し
人のかげごとをかりにもいふべからず。人をそしるはわが短をあらはすなり。恥辱これよりはなはだしきはなし。あるひは人に諢名をつけて。其癖をそしる。これ害をまねくの媒なり。むかし豐臣秀吉公柴田勝家と矛盾におよばれけるとき。勝家のむねとたのまれし人(姓名不詳)勝家と牒しあはさんとて。家人どもをあつめて。評議しけるに。其右筆なりけるものすゝみ出て。公柴田殿にこゝろざしふかしといへども。勝家はさほどにおぼさぬにや。あるとき雜談のつゐでに。公の御事におよんで。あゝ何萬石のあれ地かなとのたまひしといひしかば。かの人大にいかりて。忽合體のおもひをひるがへし。秀吉公に反忠せしとなむ。古語にも刀瘡易沒。惡語難消といへり。かたなきずはそのあとなをらぬものなれども。たとひそれはあとなくゆるとても。一たびいひ出せし惡言は。いつまでもきえがたしとの事なり。
現代語訳
人の陰口をかりそめにも言ってはなりません。人をそしるのは、自分の短所を表すことです。恥辱は、これよりはなはだしいものはありません。あるいは人にあだ名をつけて、その癖をそしる者がいます。これは害を招く媒です。昔、豊臣秀吉公が柴田勝家と矛盾に及ばれたとき、勝家が頼みとしていた人(姓名不詳)が、勝家と示し合わせようと家人を集めて評議しました。そのとき、右筆だった者が進み出て、「あなた様は柴田殿に志が深いと言われますが、勝家はさほど思っておられないのではないでしょうか。あるとき雑談のついでに、あなた様のことに話が及んで、『ああ、何万石の荒れ地であることよ』とおっしゃったと聞きました」と言うと、その人は大いに怒り、たちまち勝家と合体する考えをひるがえして、秀吉公に反忠したということです。古語にも「刀の傷は消えやすく、悪い言葉は消えがたい」といいます。刀傷は跡が直らないものですが、たとえその跡が消えて癒えるとしても、一度言い出した悪言はいつまでも消えがたい、との意です。
解説
この章句が説くこと
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