武士訓 / 卷三・第20段
家内のものに。をしへんと思ふとあらば。まづみづからなすべし。たゞにことばのみをもつておしゆれは。したがふものなし。わが身一家の的となすところなり。的あきらかならずして。射あてんとをしゆる共。同心せざること。ことはりなり。
書き下し
家内のものに。をしへんと思ふとあらば。まづみづからなすべし。たゞにことばのみをもつておしゆれは。したがふものなし。わが身一家の的となすところなり。的あきらかならずして。射あてんとをしゆる共。同心せざること。ことはりなり。
現代語訳
家の者に教えようと思うなら、まず自分でなさい。ただ言葉だけで教えれば、従う者はありません。自分の身は、一家の的とするところです。的が明らかでないのに、射当てよと教えても、心を合わせないのは、もっともなことです。
解説
この段は、家の者を教えるには、まず自分が行えと述べます。言葉だけでは人は従わず、自分の身が一家の的になるからです。的がはっきりしないのに射当てろと教えても、相手が心を合わせないのは当然だと、弓の比喩で説きます。ここでいう家の者は当時の一家のことですが、その筋は職場にもそのまま当てはまります。部下に報連相を求めながら自分は後回しにする、期限を守れと言いながら自分は遅れる、といったことがあれば、言葉の重みは失われます。教える前に、自分の行いが的としてぶれていないか点検することが、育成の最初の一歩になります。
この章句が説くこと
言行一致教え的範を示す家武士訓
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