武士訓 / 卷二・第2段
貧困飢渴の恐なければ。一生家業にはこゝろもつかて。いたづらにくらす人あり。はなはだしき過なり。四民の中にて。士を三民の上に置て三民にうやまはしむるものは。他なし。義理をよくさとして。子としては孝をつくし。臣としては忠をつくし。おのれをおさめ。人をおしゆる職なればなり。しかるを職とする所の義理をとりうしなひ。廉耻のこゝろなく。利欲におぼるゝときは。身をほろぼし。家を絕すにいたれり。こゝをもつて思へば。士たらんもの。須臾のあいだも。家業をわするべけんや。世俗たゞに女の裁縫につたなきと。僧の佛經をよみ得ぬをば。用に足ぬなどゝそしりあざけれども。士の文道にくらく。武道にうときをば。あやしむこゝろもなきは。いとなげかはし。
新字:貧困飢渇の恐なければ。一生家業にはこゝろもつかて。いたづらにくらす人あり。はなはだしき過なり。四民の中にて。士を三民の上に置て三民にうやまはしむるものは。他なし。義理をよくさとして。子としては孝をつくし。臣としては忠をつくし。おのれをおさめ。人をおしゆる職なればなり。しかるを職とする所の義理をとりうしなひ。廉耻のこゝろなく。利欲におぼるゝときは。身をほろぼし。家を絶すにいたれり。こゝをもつて思へば。士たらんもの。須臾のあいだも。家業をわするべけんや。世俗たゞに女の裁縫につたなきと。僧の仏経をよみ得ぬをば。用に足ぬなどゝそしりあざけれども。士の文道にくらく。武道にうときをば。あやしむこゝろもなきは。いとなげかはし。
書き下し
貧困飢渴の恐なければ。一生家業にはこゝろもつかて。いたづらにくらす人あり。はなはだしき過なり。四民の中にて。士を三民の上に置て三民にうやまはしむるものは。他なし。義理をよくさとして。子としては孝をつくし。臣としては忠をつくし。おのれをおさめ。人をおしゆる職なればなり。しかるを職とする所の義理をとりうしなひ。廉耻のこゝろなく。利欲におぼるゝときは。身をほろぼし。家を絕すにいたれり。こゝをもつて思へば。士たらんもの。須臾のあいだも。家業をわするべけんや。世俗たゞに女の裁縫につたなきと。僧の佛經をよみ得ぬをば。用に足ぬなどゝそしりあざけれども。士の文道にくらく。武道にうときをば。あやしむこゝろもなきは。いとなげかはし。
現代語訳
貧困や飢渇の恐れがないので、一生、家業には心もつけず、いたずらに日を暮らす人がいます。はなはだしい過ちです。四民の中で、士を三民の上に置き、三民に敬わせるのは、ほかでもありません。義理をよくさとって、子としては孝を尽くし、臣としては忠を尽くし、おのれをおさめ、人を教える職だからです。それなのに、職とするところの義理を取り失い、廉恥の心がなく、利欲におぼれるときは、身を滅ぼし、家を絶やすに至ります。ここから思えば、士たる者は、わずかの間でも家業を忘れてよいでしょうか。世間はただ、女が裁縫に下手なのと、僧が仏経を読めないのを、役に立たないなどとそしりあざけるのに、士が文の道に暗く、武の道にうといのを怪しむ心もないのは、まことに嘆かわしいことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『山鹿語類』士道・知己職分人の教にしたがひ、当坐の心にまかせんことは、譬ば暫く其事をなすといへども、実と難成。今云らん処に深く立志て自我職分を糾明し得んには、士たる職こゝに明なるべきなり。凡そ士の職と云は、其身を顧み、主人を得て奉公の忠を尽し、朋輩に交て信を厚くし、身の独りを慎て義を専とするにあり。而して己れが身に父子兄弟夫婦の不得已交接あり。是又天下の万民各なくんば不可有の人倫也といへども、農工商は其職業に暇あらざるを以て、常住相従て其道を不得尽。士は農工商の業をさし置き、此道を専として、三民の間苟くも人倫をみだらん輩をば速に罰して、以て天下に天倫の正しきを待つ。是士に文武之徳知不備ばあるべからず。されば形には劒戟弓馬の用をたらしめ、内には君臣朋友父子兄弟夫婦の道をつとめて、文道心にたり武備外に調て、三民自ら是を師とし是を貴んで、其教にしたがひ其本末をしるにたれり。こゝにをいて士の道たつて、衣食居をつくのい、以て心易かるべく、主君の恩、父母の恵、しばらく報ずるにたりぬべし。此つとめあらざらんには、父母のめぐみを盗、主君の禄を貪て、一生の間唯盗賊の命を全くするに同じ。甚以て嘆息するにたへたり。
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『武士訓』卷二・第3段右にいふごとく。士は義理にさときを專とすべし。義理にさときものは利慾にうとく。利欲にさときものは義理にうとし。有眼の人は。利欲にさときものをみては。さてぞ義理にうとからんと思ふとなり。利をこのませず。いさぎよからしめん爲にこそ。君より俸祿をたまはりて。身をたてり。しかるを。忠孝の道をわきまえず。文武の業をならはず。剩恒産ある身ながら。恒産なき商のごとく。米銀をとりあつかひ。利倍をこのむ者あり。見る目もうたてゝ。きく耳もなをいとはし。
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『明君家訓』第20条(一)古より四民とて、天下の人を士農工商の四色にわかちおき、それ〱に主どる所の職をつけ申事にて候、しかるに、農は耕作をつとめて米穀を出し、工はあるひは梓匠となりて室屋をかまへ、あるひは陶冶となりて器物をつくり、商は賣買をいとなみて有無を通じ、此三民にて天下の用をたし申候、扱、義理と申もの一つをば、士の職と定申事にて候、此義理と申もの、色もなく臭もなきものに候ゆへ、彼三民の所作とは事かはり候て、急度つかさどる人を定申さず候ても、其分の樣に候へ共、此義理の筋目、天下にほろび候ては人に廉恥の心なく成、互に相欺き、たがひに相掠め、をのづから畏憚る所もなく、終には子も父を父とせず、臣も君を君とせず、大亂にも及び申事にて候、それゆへ士と申ものをたてゝ、義理をまもらせ、彼三民の上に置申候、平生手をあそばしめてをりながら、百姓町人を思ふさまにをしさげ候へども、かれらもおそれうやまひ申事は、士は職とする所のたかきゆへにて候、しかるところに、當代士として飽迄利欲にふけり、深く金銀をむさぼり、町人等に對し權柄を以て物をしかすむるともがら有之候、
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『武士訓』卷二・第1段士農工商とわかりて。それ〳〵のつかさどるところ。眼耳鼻舌のおの〳〵其用あるがごとくなれば。おのが業を專らにして。他の業をまなぶことなかれ。他の業をまなぶは。其ところをうしなふなり。たとえば。鷹に魚をとらせ。鵜に鳥をとらするにたり。我家職すら。生涯こゝろをつくしてもあたはざるに。何のいとまありて。他の業をまなぶべけんや。およそ士は奉公をつとめて。義理にさとからしめ。農は田畠をおさめて耕耨にさとからしめ。工は器物をつくりて匠術にさとからしめ。商は交易をもちひて利倍にさとからしむ。しかるに農工商。おの〳〵家業にうときものなし。たまたまうときものは。貧乏にくるしみ。飢渴に及べり。其中に士は恒産ある故に。
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『益軒家訓』士業勿怠専ら我が悪を責めて人を責むべからず。我に背き我を誚る者あらば、我が身を省みるべし、人を咎むべからず。我が子孫たる者は、文武の家業をよくわが身に勤め、其子孫にも必教ふべし。人生の至要は無如教子と古き文にも見えたり。凡武士となるものは、忠孝義理の志なくしては、武勇欠け、君の為に忠義なりがたし。又武士の家に生れ、武芸を知らず、武具を不備、軍用乏しくしては、心猛くとも備なくして、武勇の勤なり難し。故に武士の道、内には忠孝義理を以て本とし、外には武芸を習ひ、武備乏しからざるを以て勤とす。武士として忠孝義理の道を不知、武芸にうとく、武備なくしては、武士の業を本末とも失ひ、君をあざむき忠を忘れ、君の禄を食んで其職に怠るものは、穿窬の盗にひとしくして、大なる恥なるべし。武備は平生無事の時心を用ひ、其分限に随ひて、不足なきやうに用意すべし。
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『武士訓』卷二・第5段士たらんものは。節義をもつぱらたしなみ。一言一行も。武士の道にをいて。不吟味なることなきやうにと心がくべし。口にいつはりをいはず。身にわたくしをかまへず。內すなほに。外かざりなく。禮義たゞしく。作法見だれず。たつときにへつらはず。いやしきをあなどらず。富るにほこらず。まづしきを見すてず。人をそしらず。我をたてず。かげ言中謀いふべからず。
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