武備和訓 / 卷一・武士は義理を主とし国の要となる
一士農工商の人々、みな天命の性は同事にして、四家にわかれて家業を務るに、格別品かわりたる人のやうに見へ侍り候へ共、是は各其主意によりて、武士は仁義文武の道を習ひ、義理を以て主意といたし候、其外の三家は、少づゝの差は可有候へ共、大意はみな利を以て主といたし候、武士の義理を主とする事は、定る產ありて命根を養ひ、其本立てしづかなる故、此所におゐて煩なければ、三民の上に位して、武備をおさめて君に仕へ、下を敎て、上下の中間に居し、國を守る事、たとへば扇に要あるがごとし、されば其要全からざる時は、國家かならず殆かるべし、又家業の仁義文武の道を忘るゝ時は、其心利にうつりて、農工商の三家に同じかるべく候、然れば武士は君に仕へて忠信を存し、下を敎て慈愛をほどこすの外は、心に思ふ事さらになかるべく候、
新字:一士農工商の人々、みな天命の性は同事にして、四家にわかれて家業を務るに、格別品かわりたる人のやうに見へ侍り候へ共、是は各其主意によりて、武士は仁義文武の道を習ひ、義理を以て主意といたし候、其外の三家は、少づゝの差は可有候へ共、大意はみな利を以て主といたし候、武士の義理を主とする事は、定る産ありて命根を養ひ、其本立てしづかなる故、此所におゐて煩なければ、三民の上に位して、武備をおさめて君に仕へ、下を教て、上下の中間に居し、国を守る事、たとへば扇に要あるがごとし、されば其要全からざる時は、国家かならず殆かるべし、又家業の仁義文武の道を忘るゝ時は、其心利にうつりて、農工商の三家に同じかるべく候、然れば武士は君に仕へて忠信を存し、下を教て慈愛をほどこすの外は、心に思ふ事さらになかるべく候、
書き下し
一士農工商の人々、みな天命の性は同事にして、四家にわかれて家業を務るに、格別品かわりたる人のやうに見へ侍り候へ共、是は各其主意によりて、武士は仁義文武の道を習ひ、義理を以て主意といたし候、其外の三家は、少づゝの差は可有候へ共、大意はみな利を以て主といたし候、武士の義理を主とする事は、定る產ありて命根を養ひ、其本立てしづかなる故、此所におゐて煩なければ、三民の上に位して、武備をおさめて君に仕へ、下を敎て、上下の中間に居し、國を守る事、たとへば扇に要あるがごとし、されば其要全からざる時は、國家かならず殆かるべし、又家業の仁義文武の道を忘るゝ時は、其心利にうつりて、農工商の三家に同じかるべく候、然れば武士は君に仕へて忠信を存し、下を敎て慈愛をほどこすの外は、心に思ふ事さらになかるべく候、
現代語訳
一つ、士農工商の人々は、みな天から授かった性は同じですが、四つの家に分かれてそれぞれの家業に励むので、格別に品の違う人のように見えます。しかしこれは、それぞれの主とする心によるのです。武士は仁義・文武の道を習い、義理を主意とします。その他の三家は、少しずつの差はあるでしょうが、大意はみな利を主としています。武士が義理を主とできるのは、定まった禄があって命の根を養い、その本が立って静かであるため、この点で思い煩うことがないからです。三民(農工商)の上に位して、武備をおさめて君に仕え、下を教えて、上下の中間に居て国を守ることは、たとえば扇に要があるようなものです。ですからその要が全うされないときは、国家はかならず危うくなるでしょう。また、家業である仁義文武の道を忘れるときは、その心は利に移って、農工商の三家と同じになってしまうでしょう。そうであれば、武士は君に仕えて忠信を心がけ、下を教えて慈愛をほどこす以外には、心に思うことがまったくあってはならないのです。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『五常訓』巻之四・礼一礼器云、先王の礼を立つる、本あり、文あり。忠信は礼の本なり。義理は礼の文なり。本無ければ立たず。文なければ行はれず。いふ心は、礼に本あり。忠信を本とす。忠信はまことなり。礼に文あり。義理を文とす。義理とは、外に行ふ処のあらはれたるしわざの、すぢめよきを云ふ。本なければ礼の道立たず。万の事、皆誠より出づ。誠なければ物なし。されど又外のわざ、理にかなはざれば、文無くして、礼の道行はれず。必本末二ながらそなはりて、礼の道全し。されど先本をつとむるを要とすべし。忠信を本として、礼文行はるるは、たとへば味甘き物は、五味の和をうけ、色白きものは、五色の采をうくるが如し。忠信ある人は礼を学ぶべし。質よき故に、外の礼文そなはりやすし。
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『慎思録』巻之二聖人の教へは、忠信を主とするを以て本と為す。所謂之を誠にせんと思ふ者は、人の道なり。居敬を以て忠信を主とするの工夫と為す。苟も忠信を以て主と為さずして、徒に敬を以て一心の主宰と為さば、是れ工夫を以て心の主と為すなり。恐らくは敬に偏りて、流れて束縛強持の病と為らん。甚だしきは色仁を執りて、行ひ違ふ者之有り。夫れ敬は古来聖賢伝授の心法なり。然るに近世の持敬者は、一副当の病と為る。学者須らく居敬の方を知りて、而る後に持敬すべし。
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『弁名』忠信忠信連ね言ふも、亦た人の為に謀り人と言ふ者を以て之を言ふ。「忠信を主とす」の如きも、亦た此を以て主と為すなり。「忠信の人」も、亦た能く此くする人を謂ふなり。「忠信を主とし、義に徙る」と曰ひ、「忠信の人、以て礼を学ぶべし」と曰ふ。礼義は先王の道なり。忠信は中庸の徳なり。高きに登るは必ず卑きよりし、遠きに行くは必ず邇きよりす。故に先王の道を学ぶには、必ず忠信を以て基と為す。易の文言に「忠信は徳を進むる所以なり。辞を脩め其の誠を立つるは、業に居る所以なり」と曰ふが如し。辞を脩むとは詩書を学ぶを謂ふなり。其の誠を立つとは礼楽を学ぶを謂ふなり。詩書は義の府なり。故に「義に徙る」「以て礼を学ぶべし」と、其の意相発す。孔子曰く、「十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり」と。則ち忠信有りと雖も、学ばざれば未だ郷人たるを免れざるなり。祇だ先王の道を学ぶも、中庸の徳に依らざれば、則ち基立たず、遠きに行き高きに登らんと欲するも亦た得べからず。是れ孔門の忠信を貴ぶ所以の意なり。
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論語・子罕篇子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること毋かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
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『新書』修政語下周の成王曰く、「敢えて問う、国を治むるの道は若何」と。粥子曰く、「唯、疑う。請う、上世の政を以て君王に詔げん。政に曰く、国を治むるの道は、上は主に忠にして、中は其の士を敬い、下は其の民を愛す。故に上は其の主に忠なる者は、道義に非ざれば以て忠に入る無し。而して中は其の士を敬うは、礼節を以てするに非ざれば以て敬を諭す無し。下は民を愛するは、忠信に非ざれば以て愛を諭す無し。故に忠信民に行われ、礼節士に諭され、道義上に入るは、則ち国を治むるの道なり。天下を治むる者と雖も、此に由るのみ」と。周の成王曰く、「命を受けたり」と。
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論語・衛霊公篇子張、行を問う。子曰く、「言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば、則ち其の前に参するを見るなり。輿に在れば、則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。」子張、諸を紳に書す。