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武士訓 / 卷一・第6段

凡天地の際にあらゆるところの生類。はかりがたき程おほき中に。萬物の長たる人倫とうまれ。四民の首たる兵士となれるは。はなはだしき幸ならずや。此とき道をしらずして一生を終なんは。醉生夢死なりといきどほりて。書をよみ。道をさとし。忠孝をはげますべし。俗間に。我は不氣根なり。我は病身なりなどいひて。書をよまず。藝をならはず。さりとおもへば。己が渡世の爲か。すき好むことには。晝夜心をつくしても。うみつかれたる躰少も見へざるものあり。是我執ありて。正しきをきらふ遁辭なり。たとひ多病孱弱なりとも。其こゝろざしあらば。ならざることなし。程子の語に陽氣所發。金石亦透。精神一到。何事不成とあり。俗間いやしき歌に。「何事もならぬといふはなきものをならぬといふはなさぬなりけり」ともよめり。

新字:凡天地の際にあらゆるところの生類。はかりがたき程おほき中に。万物の長たる人倫とうまれ。四民の首たる兵士となれるは。はなはだしき幸ならずや。此とき道をしらずして一生を終なんは。酔生夢死なりといきどほりて。書をよみ。道をさとし。忠孝をはげますべし。俗間に。我は不気根なり。我は病身なりなどいひて。書をよまず。芸をならはず。さりとおもへば。己が渡世の為か。すき好むことには。昼夜心をつくしても。うみつかれたる体少も見へざるものあり。是我執ありて。正しきをきらふ遁辞なり。たとひ多病孱弱なりとも。其こゝろざしあらば。ならざることなし。程子の語に陽気所発。金石亦透。精神一到。何事不成とあり。俗間いやしき歌に。「何事もならぬといふはなきものをならぬといふはなさぬなりけり」ともよめり。

書き下し

凡天地の際にあらゆるところの生類。はかりがたき程おほき中に。萬物の長たる人倫とうまれ。四民の首たる兵士となれるは。はなはだしき幸ならずや。此とき道をしらずして一生を終なんは。醉生夢死なりといきどほりて。書をよみ。道をさとし。忠孝をはげますべし。俗間に。我は不氣根なり。我は病身なりなどいひて。書をよまず。藝をならはず。さりとおもへば。己が渡世の爲か。すき好むことには。晝夜心をつくしても。うみつかれたる躰少も見へざるものあり。是我執ありて。正しきをきらふ遁辭なり。たとひ多病孱弱なりとも。其こゝろざしあらば。ならざることなし。程子の語に陽氣所發。金石亦透。精神一到。何事不成とあり。俗間いやしき歌に。「何事もならぬといふはなきものをならぬといふはなさぬなりけり」ともよめり。

現代語訳

およそ天地の間にいる生き物は、数え切れないほど多いなかで、万物の長である人間に生まれ、四民の首である兵士となったのは、たいへんな幸せではありませんか。この時に道を知らずに一生を終えるのは、酔生夢死だと憤って、書を読み、道を悟り、忠孝を励ますべきです。世間では「自分は根気がない」「自分は病身だ」などと言って、書を読まず、芸を習わない者がいます。そうかと思うと、自分の暮らしのためか、好きなことには昼夜心を尽くしても、飽き疲れた様子が少しも見えない者がいます。これは我執があって正しいことを嫌う逃げ口上です。たとえ病気がちで弱くても、志があればできないことはありません。程子の言葉に「陽気の発するところ、金石もまた透る。精神ひとたび到れば、何事か成らざらん」とあります。世間のいやしい歌にも、「何事もならぬということはないものを、ならぬというのはなさぬからなのだ」と詠まれています。

解説

人として、しかも武士として生まれたことを大きな幸せと数え、その自覚を学びの出発点に置く段です。病身だ、根気がない、という言い訳は、好きなことには昼夜を尽くす姿を見れば、我執による逃げ口上にすぎないと断じます。程子の言葉と俗歌が、志と行いの関係を支えます。武士を四民の首とする見方は当時の身分観ですが、狙いは、できない理由を探す習慣を疑うことにあります。仕事でも、時間がない、向いていないと言うときほど、好きなことに割いている時間と比べてみる価値があります。部下の言い訳に向き合うときの自戒にも使えます。

この章句が説くこと

酔生夢死志言い訳我執精神一到武士訓

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