武士道 / 第十七章 武士道の將來・天国の種子の花
神國や、山高しと雖、轉落し來らず、海廣しと雖、帆走し來らず。哥蘭經に曰く、『神は與國の民に與ふるに、各〓其國語を以て語るの豫言者を以てす』と。天國の種子の、其花を武士道に發きたるは、日本人の心念能く之を證し、又た能く之を知る。
新字:神国や、山高しと雖、転落し来らず、海広しと雖、帆走し来らず。歌蘭経に曰く、『神は与国の民に与ふるに、各〓其国語を以て語るの予言者を以てす』と。天国の種子の、其花を武士道に発きたるは、日本人の心念能く之を証し、又た能く之を知る。
書き下し
神国や、山高しと雖、転落し来らず、海広しと雖、帆走し来らず。哥蘭経に曰く、『神は与国の民に与ふるに、各(々)其国語を以て語るの予言者を以てす』と。天国の種子の、其花を武士道に発きたるは、日本人の心念能く之を証し、又た能く之を知る。
現代語訳
神の国は、山が高くても転がり落ちてくるものではなく、海が広くても帆を張って渡ってくるものでもない。コーラン(クルアーン)に言う、「神はそれぞれの国の民に、その国の言葉で語る預言者を与えた」と。天国の種子が武士道においてその花を開いたことは、日本人の心がよくこれを証し、またよくこれを知っている。
解説
前の段の「神の国はあなたがたのうちにある」を受けて、神の国は山から転がり落ちてくるものでも、海を渡って運ばれてくるものでもないと述べます。つまり外から輸入されるのではなく、内に育つものだという意味です。ここで新渡戸はイスラムの聖典コーランを引き、神はそれぞれの民にその国の言葉で語る預言者を与えたと言います。キリスト者でありながら他宗教の聖典を引くところに、新渡戸の信仰の広さがうかがえます。そして、天国の種子は武士道において花を開いたと言い切ります。武士道を、キリスト教に取って代わられるべき異教ではなく、神の働きがすでに現れた場として見ているのです。あなたにとって大切な教えは、自分の言葉で語られていますか。
この章句が説くこと
天国種子コーラン信仰武士道
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