武士道 / 第十七章 武士道の將來・その香ゆかしく山路より漂う
百世の後、武士道の舊慣旣に葬られ、其名さへ亦た忘らるゝの日に到らんとも、其香ゆかしく、『眺むれば行手の彼方』見ゆるとしも無き山路より、杏けき風に漂ひつゝ、これや正にクエカー詩仙の美しくも詠み出でたるに似たらん乎。來るはいづこぞ、間近くの香になつかしみ旅人は、しばしやすらひゆたかなる御空の祝禱聞くぞうれしき。間近くの旅人は、ゆたかなる聞くぞうれしき。フェニーズ名古(武士道大尾)
新字:百世の後、武士道の旧慣既に葬られ、其名さへ亦た忘らるゝの日に到らんとも、其香ゆかしく、『眺むれば行手の彼方』見ゆるとしも無き山路より、杏けき風に漂ひつゝ、これや正にクエカー詩仙の美しくも詠み出でたるに似たらん乎。来るはいづこぞ、間近くの香になつかしみ旅人は、しばしやすらひゆたかなる御空の祝祷聞くぞうれしき。間近くの旅人は、ゆたかなる聞くぞうれしき。フェニーズ名古(武士道大尾)
書き下し
百世の後、武士道の旧慣既に葬られ、其名さへ亦た忘らるるの日に到らんとも、其香ゆかしく、『眺むれば行手の彼方』見ゆるとしも無き山路より、香しき風に漂ひつつ、これや正にクエーカー詩仙の美しくも詠み出でたるに似たらんか。『来るはいづこぞ、間近くの香になつかしみ、旅人はしばしやすらひ、ゆたかなる御空の祝禱聞くぞうれしき』。
現代語訳
百代の後、武士道の古い慣習がすでに葬られ、その名さえ忘れられる日が来たとしても、その香りはゆかしく、眺めても行く手の彼方には見えるともない山路から、香しい風に漂いながら、これはまさにクエーカーの詩人が美しく詠み出したものに似ているのではないでしょうか。どこから来るのだろう、すぐ近くの香りを懐かしんで、旅人はしばし憩い、豊かな空の祝福を聞くのが嬉しい、と。
解説

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