武士道 / 第十七章 武士道の將來・人は単に他の臣僕たらずして公民となる
「今や人生は擴大せり。爰に武人の任よりも更に高尙、更に廣大なる職分は吾人を待てり。廣義なる人生觀、平民主義の進步、及び他國民他國家に對する知識の增進と共に、孔教の仁の思想は、膨脹して――佛教の慈悲の思想も、亦た然りと云ふを得ざらん乎基督教の愛の觀念に到達せん。人は發達し、今や單に他の臣練たらずして、公民の地位を獲たり。否、啻に公民たるに止まらずして、又た人となりぬ。戰雲暗澹として我地平線上を蔽ふと雖、吾人は信ず、平和の天使の翼の能く之を排せんことを。世界の歷史は、『柔和なる者は、地を嗣ぐことを得べし』との預言を證す。噫憫むべきかな、平和の長子權を鬻ぎ、又た實業主義の前陣を棄てゝ、侵畧主義の殿陣に下るの國家の、因つて招くべき損耗果して幾許ぞや。
新字:「今や人生は擴大せり。爰に武人の任よりも更に高尚、更に広大なる職分は吾人を待てり。広義なる人生観、平民主義の進歩、及び他国民他国家に対する知識の增進と共に、孔教の仁の思想は、膨脹して――仏教の慈悲の思想も、亦た然りと云ふを得ざらん乎基督教の愛の観念に到達せん。人は発達し、今や単に他の臣練たらずして、公民の地位を獲たり。否、啻に公民たるに止まらずして、又た人となりぬ。戦雲暗澹として我地平線上を蔽ふと雖、吾人は信ず、平和の天使の翼の能く之を排せんことを。世界の歴史は、『柔和なる者は、地を嗣ぐことを得べし』との預言を証す。噫憫むべきかな、平和の長子権を鬻ぎ、又た実業主義の前陣を棄てゝ、侵略主義の殿陣に下るの国家の、因つて招くべき損耗果して幾許ぞや。
書き下し
今や人生は拡大せり。ここに武人の任よりも更に高尚、更に広大なる職分は吾人を待てり。広義なる人生観、平民主義の進歩、及び他国民他国家に対する知識の増進と共に、孔教の仁の思想は膨脹して、仏教の慈悲の思想も亦た然りと云ふを得ざらんか、基督教の愛の観念に到達せん。人は発達し、今や単に他の臣僕たらずして公民の地位を獲たり。否、ただに公民たるに止まらずして、又た人となりぬ。戦雲暗澹として我地平線上を蔽ふと雖、吾人は信ず、平和の天使の翼の能く之を排せんことを。世界の歴史は、『柔和なる者は地を嗣ぐことを得べし』との預言を証す。ああ憫むべきかな、平和の長子権を鬻ぎ、又た実業主義の前陣を棄てて侵略主義の殿陣に下るの国家の、因つて招くべき損耗、果して幾許ぞや。
現代語訳
今や人生は広がりました。ここに武人の務めよりもさらに高尚で広大な職分が私たちを待っています。広い意味での人生観、民主主義の進歩、そして他の国民や国家についての知識の増進とともに、儒教の仁の思想は膨らんで、仏教の慈悲の思想もまたそうだと言えないでしょうか、キリスト教の愛の観念に到達するでしょう。人は発達し、今や単に他人の臣下であるだけでなく、公民の地位を得ました。いや、公民であるにとどまらず、また人となりました。戦雲が暗く地平線を覆っていても、私たちは信じます、平和の天使の翼がそれを払いのけることを。世界の歴史は、柔和な者は地を受け継ぐという預言を証します。ああ憐れむべきことです。平和という長子の権利を売り、実業主義の先陣を捨てて侵略主義の後陣に下る国家が招く損失は、いったいどれほどでしょうか。
解説

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『斉家論』上衣服は綾羅にあらざれども、和暖なれば便よし。飲食は珍しき饈にあらざれども、一度飽けば便よしといふ。又論語にも、君子は食飽くことを求むることなく、居安からんことを求むることなしとのたまへり。此の味を知らるべし。扨て妻子や家内の者にあらそひ、思ふやうにさせざるを不便の事なりといふ。これ大いにあやまてり。汝いふごとく、家内の者は我が民なり。我が民ゆへ真実に愛する也。愛する故に争ふことを喩へていはば、吾が子に灸する如し。逃げまはるをだましとらへて灸すれば、跳ねつはねつ反りかへり、ああ熱や、最早悪事しますまい、父様母様、堪忍して下さりませと泣きさけぶ。親は涙を流し、歯をくいしばつても灸する也。是もあらそひに似たれども、
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『墨子』大取一に曰く乃ち是にして然り、二に曰く乃ち是にして然らず、三に曰く遷、四に曰く强。子。其の深きを深くし、其の淺きを淺くし、其の益を益し、其の尊きを尊ぶ。次を察し、山のごとく比し因り、優指に至る。復た次いで聲端の名を察し、請に因りて復す。夫の辭の惡しき者を正すは、人、右に其の請を以て焉を得。諸そ遭い執る所にして欲惡生ずる者は、人、必ずしも其の請を以て焉を得ず。聖人の拊なり。仁にして利愛無し、利愛は慮に生ず。昔者の慮は、今日の慮に非ず。昔者の人を愛するは、今の人を愛するに非ず。獲を愛するの人を愛するは、獲を利するを慮るに生じ、臧を利するを慮るに非ざるなり。而して臧を愛するの人を愛するは、乃ち獲を愛するの人を愛するなり。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一人にまじはるに愛敬の二を心法とす。是簡要のことなり。誰も知らずんばあるべからず。愛とは人をあはれむを云ふ。悪まざるなり。敬とは人をうやまふを云ふ。侮らざるなり。人をあはれむは仁なり。人を敬ふは礼なり。仁礼を心の内にたもちて、人をあはれみ、人をうやまふ事、わするべからず。是人に対して行ふべき善なり。父母をあはれみ、主君をうやまふは、いふに及ばず、うとき人、いやしき人に対すとも、其位にしたがひて、よきほどに愛敬すべし。侮りおろそかにすべからず。是人にまじはる道なり。
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論語・憲問篇子曰く、之を愛して、能く労すること勿からんや。焉に忠にして、能く誨うること勿からんや。
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