武士道 / 第十七章 武士道の將來・将軍も去り王者も去りぬ
今や達人の利劍も、武士道が强弩の飛箭も、亦た施すに所無きは、炳として火を睹るよりも明かなり。名譽の盤石上に建設せられ、又た此れを以て金城鐵壁となせる國家は――之を稱して廉恥國とせん乎。或は又ロジツク、ナヨツビングたカーライルに倣ひて英雄國と謂はん乎――將に屁理窟の武器を提げたる曲言の法律家迷語の政治家の掌中に陷1austAadedwul〓daudtopdantらんとして、又た久しきを持すべからず。一大思索家がテ(昭)レサ及びアンチゴギの二烈婦を月且するに當りて用ひたる、『彼等が熱烈なる行爲を產みたる境遇は、今や永遠に去れり』との語は、之を移して、又た當に我武士を評すべし。悲しいかな、武士道の德や。悲しいかな、武者の誇や。鉦鼓鐘々の聲を以て、此世に迎へられたりし道德は、今や詩人の『將軍も去り、王者も去りぬ』と歌へるが如く衰亡回すべからざるの命數に在り。歷史若し吾人に垂訓する所あるものならん乎武德を以て建てたる國家は、スパルタの如き都市にもあれ羅馬の如き大帝國にもあれ、地上に『恒に保つべき城邑』を成す能はざるを知る。
新字:今や達人の利剣も、武士道が強弩の飛箭も、亦た施すに所無きは、炳として火を睹るよりも明かなり。名誉の盤石上に建設せられ、又た此れを以て金城鉄壁となせる国家は――之を称して廉恥国とせん乎。或は又ロジツク、ナヨツビングたカーライルに倣ひて英雄国と謂はん乎――将に屁理窟の武器を提げたる曲言の法律家迷語の政治家の掌中に陥1austAadedwul〓daudtopdantらんとして、又た久しきを持すべからず。一大思索家がテ(昭)レサ及びアンチゴギの二烈婦を月且するに当りて用ひたる、『彼等が熱烈なる行為を産みたる境遇は、今や永遠に去れり』との語は、之を移して、又た当に我武士を評すべし。悲しいかな、武士道の徳や。悲しいかな、武者の誇や。鉦鼓鐘々の声を以て、此世に迎へられたりし道徳は、今や詩人の『将軍も去り、王者も去りぬ』と歌へるが如く衰亡回すべからざるの命数に在り。歴史若し吾人に垂訓する所あるものならん乎武徳を以て建てたる国家は、スパルタの如き都市にもあれ羅馬の如き大帝国にもあれ、地上に『恒に保つべき城邑』を成す能はざるを知る。
書き下し
今や達人の利剣も、武士道が強弩の飛箭も、亦た施すに所無きは、炳として火を睹るよりも明かなり。名誉の盤石上に建設せられ、又た此れを以て金城鉄壁となせる国家は――之を称して廉恥国とせん乎、或は又カーライルに倣ひて英雄国と謂はん乎――将に屁理窟(ロジック・チョッピング)の武器を提げたる曲言の法律家、迷語の政治家の掌中に陥〔1austAadedwul(一字不明)daudtopdant:OCRの乱れ〕らんとして、又た久しきを持すべからず。一大思索家がテレサ及びアンチゴネの二烈婦を月旦するに当りて用ひたる、『彼等が熱烈なる行為を産みたる境遇は、今や永遠に去れり』との語は、之を移して又た当に我武士を評すべし。悲しいかな、武士道の徳や。悲しいかな、武者の誇や。鉦鼓鏜々の声を以て此世に迎へられたりし道徳は、今や詩人の『将軍も去り、王者も去りぬ』と歌へるが如く、衰亡(挽)回すべからざるの命数に在り。歴史若し吾人に垂訓する所あるものならん乎、武徳を以て建てたる国家は、スパルタの如き都市にもあれ、羅馬の如き大帝国にもあれ、地上に『恒に保つべき城邑』を成す能はざるを知る。
現代語訳
今や達人の鋭い剣も、武士道の強い弓から放つ矢も、もはや用いるところがないのは、火を見るよりも明らかである。名誉という盤石の上に築かれ、またそれを難攻不落の城壁とした国家は――これを名誉の国と呼ぼうか、あるいはカーライル(トマス・カーライル)にならって英雄の国と言おうか――まさに屁理屈という武器を手にした言葉をねじ曲げる法律家や、わけのわからぬことを言う政治家の手中に落ちようとしており(この間に読めない文字列がある)、もう長くは持ちこたえられない。ある大思想家が、テレサとアンチゴネという二人の烈女を評するにあたって用いた「彼女たちの熱烈な行為を生んだ境遇は、今や永遠に去った」という言葉は、そのまま移してわが武士を評するのに用いるべきである。悲しいことよ、武士道の徳よ。悲しいことよ、武者の誇りよ。鉦や太鼓の鳴り響く音とともにこの世に迎えられた道徳は、今や詩人が「将軍も去り、王者も去った」と歌ったように、衰え滅びて取り返しのつかない運命にある。もし歴史が私たちに教えるところがあるとするなら、武の徳によって建てられた国家は、スパルタのような都市であれ、ローマのような大帝国であれ、地上に「永遠に続く都」をつくることはできないのである。
解説
この章句が説くこと
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