武士道 / 第十七章 武士道の將來・廃刀令が鳴り送りたるもの
社會の狀態の變化して、啻に武士道と背馳するのみならず、又た之を敵とするに至りたるに當り、今や即ち此れが名譽ある葬送の備をなすべきの時なり。武士道の死時を知るの難きは、其生時を明かにするの難きが如し。ミラー博否、啻に公民たるに止まらずして、又た土は、歐洲武士道の、一千五百五十五年、佛國ヘンリー二世が、演武塲に於て弑せられたる時を以て、公然破壞せられたるを云ふ。我國にては、明治三年廢藩置縣の公布せられたること、正に武士道の弔鐘を報ずるの信號なりき。後又た二年にして發布せられたる廢刀令は、ボルクの言を假りて云へば、『價無くして獲たる人生の恩德低廉なる國家の防衞と、丈夫の心懷、及び勇剛なる事業の保姆』の舊時代を鳴り送りて、『詭辯家經濟家、勘定屋』の新時代を鳴り迎へたり。
新字:社会の状態の変化して、啻に武士道と背馳するのみならず、又た之を敵とするに至りたるに当り、今や即ち此れが名誉ある葬送の備をなすべきの時なり。武士道の死時を知るの難きは、其生時を明かにするの難きが如し。ミラー博否、啻に公民たるに止まらずして、又た土は、欧洲武士道の、一千五百五十五年、仏国ヘンリー二世が、演武塲に於て弑せられたる時を以て、公然破壊せられたるを云ふ。我国にては、明治三年廃藩置県の公布せられたること、正に武士道の弔鐘を報ずるの信号なりき。後又た二年にして発布せられたる廃刀令は、ボルクの言を仮りて云へば、『価無くして獲たる人生の恩徳低廉なる国家の防衛と、丈夫の心懐、及び勇剛なる事業の保姆』の旧時代を鳴り送りて、『詭弁家経済家、勘定屋』の新時代を鳴り迎へたり。
書き下し
社会の状態の変化して、ただに武士道と背馳するのみならず、又た之を敵とするに至りたるに当り、今や即ち此れが名誉ある葬送の備をなすべきの時なり。武士道の死時を知るの難きは、其生時を明かにするの難きが如し。ミラー博士は、欧洲武士道の、一千五百五十五年、仏国アンリ二世が演武場に於て弑せられたる時を以て、公然破壊せられたるを云ふ。我国にては、明治三年、廃藩置県の公布せられたることが、正に武士道の弔鐘を報ずるの信号なりき。後また二年にして発布せられたる廃刀令は、バークの言を借りて云へば、『価無くして獲たる人生の恩徳、低廉なる国家の防衛と、丈夫の心懐、及び勇剛なる事業の保姆』の旧時代を鳴り送りて、『詭弁家、経済家、勘定屋』の新時代を鳴り迎へたり。
現代語訳
社会の状態が変化して、武士道と食い違うだけでなく、これを敵とするに至った今こそ、その名誉ある葬送の備えをすべき時です。武士道の死んだ時を知るのが難しいのは、その生まれた時を明らかにするのが難しいのと同じです。ミラー博士は、ヨーロッパの騎士道が一五五五年、フランスのアンリ二世が馬上槍試合の場で殺されたときに公然と破壊された、と言います。わが国では明治三年に廃藩置県が公布されたことが、まさに武士道の弔いの鐘を告げる合図でした。その二年後に発布された廃刀令は、バークの言葉を借りて言えば、代価なしに得た人生の恩恵、安上がりの国家の防衛と、男子の心意気と勇ましい事業の乳母であった古い時代を鳴り送り、詭弁家と経済家と勘定屋の新しい時代を鳴り迎えました。
解説
この章句が説くこと
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