武士道 / 第十七章 武士道の將來・シヴァリーは即ち階級精神なり
形體又た組織の奈何を問はず、トラストなるものゝ存立を許容せざる平民主義の勝ち誇りたる潮勢は、之を抵抗すること能はず、而して彼の知識、教育と名くる固定資本を獨占し、道義の品質に等級價格を定むるものの組織したる一個のトラストたる武士道に抗して、其力獨り能く之れが殘骸を覆沒せしむるに足れり。現時の社會統一的勢力は、區々たる階級精神の仇敵なり。而して史家フリーマンの酷評せるが如くに、シヴアリーは卽ち階級精神なり。近世の社會にして、若し統一を標榜せんか、此の史家の曰へるが如く、『特殊なる一階級の利益を打算して作成せる純乎の個人的義務』は、其の存在を容すこと能はず。之れに加ふるに普通教育、工藝、實業、習慣、富力及び都市生活等の發達せるあり。
新字:形体又た組織の奈何を問はず、トラストなるものゝ存立を許容せざる平民主義の勝ち誇りたる潮勢は、之を抵抗すること能はず、而して彼の知識、教育と名くる固定資本を独占し、道義の品質に等級価格を定むるものの組織したる一個のトラストたる武士道に抗して、其力独り能く之れが残骸を覆没せしむるに足れり。現時の社会統一的勢力は、区々たる階級精神の仇敵なり。而して史家フリーマンの酷評せるが如くに、シヴアリーは即ち階級精神なり。近世の社会にして、若し統一を標榜せんか、此の史家の曰へるが如く、『特殊なる一階級の利益を打算して作成せる純乎の個人的義務』は、其の存在を容すこと能はず。之れに加ふるに普通教育、工芸、実業、習慣、富力及び都市生活等の発達せるあり。
書き下し
形体又た組織の如何を問はず、トラストなるものの存立を許容せざる平民主義の勝ち誇りたる潮勢は、之を抵抗すること能はず。而して彼の知識、教育と名くる固定資本を独占し、道義の品質に等級価格を定むるものの組織したる一個のトラストたる武士道に抗して、其力ひとり能く之れが残骸を覆没せしむるに足れり。現時の社会統一的勢力は、区々たる階級精神の仇敵なり。而して史家フリーマンの酷評せるが如くに、シヴァリーは即ち階級精神なり。近世の社会にして、もし統一を標榜せんか、此の史家の曰へるが如く、『特殊なる一階級の利益を打算して作成せる純乎の個人的義務』は、其の存在を容すこと能はず。之れに加ふるに、普通教育、工芸、実業、習慣、富力及び都市生活等の発達せるあり。
現代語訳
形や組織のいかんを問わず、独占というものの存立を許さない民主主義の勝ち誇った潮流には抵抗できません。そして知識や教育と呼ばれる固定資本を独占し、道義の品質に等級と価格を定める者が組織した一つの独占体である武士道に対して、その力だけで残骸を覆い沈めるのに十分です。今日の社会を統一しようとする力は、細々とした階級精神の敵です。そして歴史家フリーマンが酷評したように、騎士道とはすなわち階級精神です。近代の社会がもし統一を掲げるなら、この歴史家が言ったように、特別な一階級の利益を計算して作られた純粋に個人的な義務は、その存在を許されません。これに加えて、普通教育、工芸、実業、習慣、富、都市生活などの発達があります。
解説
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