武士道 / 第十六章 武士道の命脈・やむにやまれぬ大和魂
『千歲の重荷に屈して』土壤を掘る一介の賤農も、其脈管に流るゝ百代の血液あり、彼は『牛と兄弟』なるが如くに、又た吾人の同胞なり。武士道は無意無敵の一大勢力として、國家、個人を推動したり。我が新日本建設の木鐸たる一俊傑吉田松陰が、刑に就くの前夜に當り、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂。と歌へるは、洵に我が民族に代りて率直なる告白をなしたるものなり。〇〓武士道は形式を具せず、而して我國家を振興するの精神たり、又た動力たりき。今に於けるも尙ほ且つ然りとけしランソム氏曰く、『三箇殊別の日本は、鼎立して現存し、舊日本は未だ全く死せず、新日本は纔に其精神に於てのみ產れ、而して過渡日本は、今や瀕死の苦悶を訴へて將に逝かんとす』と。
新字:『千歳の重荷に屈して』土壤を掘る一介の賤農も、其脈管に流るゝ百代の血液あり、彼は『牛と兄弟』なるが如くに、又た吾人の同胞なり。武士道は無意無敵の一大勢力として、国家、個人を推動したり。我が新日本建設の木鐸たる一俊傑吉田松陰が、刑に就くの前夜に当り、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂。と歌へるは、洵に我が民族に代りて率直なる告白をなしたるものなり。〇〓武士道は形式を具せず、而して我国家を振興するの精神たり、又た動力たりき。今に於けるも尚ほ且つ然りとけしランソム氏曰く、『三箇殊別の日本は、鼎立して現存し、旧日本は未だ全く死せず、新日本は纔に其精神に於てのみ産れ、而して過渡日本は、今や瀕死の苦悶を訴へて将に逝かんとす』と。
書き下し
『千歳の重荷に屈して』土壌を掘る一介の賤農も、其脈管に流るる百代の血液あり。彼は『牛と兄弟』なるが如くに、又た吾人の同胞なり。武士道は無意無敵の一大勢力として、国家、個人を推動したり。我が新日本建設の木鐸たる一俊傑吉田松陰が、刑に就くの前夜に当り、『かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂』と歌へるは、洵に我が民族に代りて率直なる告白をなしたるものなり。〔〇(一字不明):記号か〕武士道は形式を具せず、而して我国家を振興するの精神たり、又た動力たりき。今に於けるも尚ほ且つ然り。〔けし:OCRの乱れ〕ランソム氏曰く、『三箇殊別の日本は鼎立して現存し、旧日本は未だ全く死せず、新日本は纔に其精神に於てのみ産れ、而して過渡日本は、今や瀕死の苦悶を訴へて将に逝かんとす』と。
現代語訳
「千年の重荷に屈して」土を掘る一人の貧しい農民にも、その血管には百代にわたる血が流れている。彼は「牛の兄弟」のようであると同時に、また私たちの同胞である。武士道は、意識されないが抗いがたい一大勢力として、国家と個人を動かしてきた。わが新日本建設の先導者であった傑物、吉田松陰が、処刑の前夜に「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」(こうすればこうなると分かっていながら、やむにやまれず突き動かされるのが大和魂である)と歌ったのは、まことにわが民族に代わって率直な告白をしたものである。武士道は形式を備えていないが、わが国家を振るい興す精神であり、また動力であった。今においてもなおそうである。ランソム(ジョン・ランソム)氏は言う。「三つの異なる日本が並び立って今存在している。旧日本はまだ完全には死んでおらず、新日本はわずかにその精神においてのみ生まれ、そして過渡期の日本は、今まさに死にかけた苦しみを訴えて去ろうとしている」と。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第十六章 武士道の命脈・新時代を形成する勢力たるべし氏の説たる、之を形而下の制度文物に於て云ふものなりとすれば、多く正鵠を逸せずと雖、もし之を根本的の倫理観念に適用せんとせば、多少の刪正を加へざるべからず。乃ち旧日本の創建者たり、又た其生産物たる武士道は、依然として過渡時代を指導するの主義にして、又た新時代を形成するの勢力たるべきなり。王政復古の狂瀾、維新回天の怒濤を冒して、我が国船を指揮したる大政治家の流は、皆其徳教の拠るべきもの、ただ武士道あるを知るの人なりき。近くは二三の者あり、基督教宣教師の新日本建設に与りて著大の貢献を為したることを徴証せんとす。予は固より、栄ある所に栄を帰せんことを欲す。されどここに云ふが如き名誉は、之を取りて我が賢明なる宣教師に賦与するに苦しむものなり。
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『武士道』第十六章 武士道の命脈・吾人を刺励したるは純粋簡易の武士道いわんや彼等宣教師は、互に栄を他に帰すべしとの聖書の訓戒を固守して、何等の証左も無きに自から己れに名誉を収めんとすること無からんは、更に其職に忠なるの所以なるをや。予は自から信ず、基督教宣教師は日本に対し、殊に教育、就中道徳教育の領域に於て大いに尽瘁する所ありと。されどただ、聖霊の活動は確乎たりと雖、なお玄妙不可思議にして神秘の裡に隠れて現はれざるなり。宣教師等の事業はなお悉く間接の効果を来すものに過ぎず、否、基督教伝道の事業は、新日本の特質を形成するに於て、其功の殆んど認むべきものなし。否、幸福にも患難にも吾人を刺励したるものは、実に純粋簡易の武士道なりき。新日本建設者たる佐久間、西郷、大久保、木戸諸氏の伝記を繙いて之を見よ。
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『武士道』第十六章 武士道の命脈・日本人の欠点もまた武士道に存す典雅流麗の文字、能く日本人の心機を解明したる小泉八雲を読まんか、さらば直ちに、其心機の作動は即ち武士道の作動の一例なるを見ん。我国上下を通じて礼節を重んずることも、亦たこれ武士道の遺産にして、世界の熟知する所、更に絮説を要せず。所謂『矮小漢』の不撓の体力を具し、又た堅忍勇敢なるは、日露戦役の能く証明したる所なり。人多く問ふ、『斯民にも勝りて忠君愛国の念を有するの国家ありや』と。而して吾人は傲然として、『他また是れ有ること無し』と答ふるを得るは、深く武士道の教訓に負ふものあるを感謝せずんばあらず。之に反し、日本人の性格に於ける彼の欠点短所は、其の責又た大いに武士道に存すとするは、すこぶる其当を得たり。
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『武士道』第十五章 武士道の感化・朝日に匂う山桜花武士道は多岐に分れて流下し、其発生したる社会階級より濾過して、〔バンダ子:OCRの乱れ〕大塊を脹大せしむる酵母となり、凡ての人民に与ふるに道義の標準を以てせり。武士道の教訓は、其初、国民の精華たる士人を飾るの光栄たりしものが、時を経るに従ひて、〔奥米:OCRの乱れ〕国民に於けるの熱望となり、〔覆〕感となり、而して平民は高邁なる武士の有したるが如き精神の尊尚正大なる境域に到達すること能はざりしと雖、尚ほ遂に大和魂(フォルクス・ガイスト)の語は、我島帝国の民族精神を表称するものとなれり。マシュー・アーノルドが定義の如くに、宗教とは『道徳の情緒に接触したるもの』に過ぎざらん乎、されば凡百の倫理系統中、武士道の如くに能く宗教を以て称すべき資格を具備したるものあるを見ず。本居宣長は、我国民が不言の言を歌ひて曰く、『敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花』。然り、桜は古来我国民の愛翫せる花にして、又た我国民性格の儀型なり。而して思へ、歌人の特に『朝日に匂ふ山桜花』に〔旧〕へる所以のものを。
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『武士道』第十六章 武士道の命脈・伊藤大隈板垣の回顧談又た伊藤、大隈、板垣等現存せる数氏の回顧談に聞け、而して彼等俊傑の士は、武士道の下に其思想行為を刺戟せられたるものなるを知らん。ヘンリー・ノルマン氏は極東問題を研究観察したる後、日本国の他の東洋専制国と異なれる唯一の特点を挙げて、『人智の案出したるものの中、至正、至高且つ至厳なる廉恥の感念の、国民に及ぼせる統治的感化なり』と云へるは、即ち能く新日本の今日を興し、又た之をして将来の宿命に到達せしむべき原動力に触着したる卓見なり。日本の改造刷新は全世界に顕揚せる事実なり。此の大事業を為すに当りてや、自から諸多の動機の混入せるあり。然りと雖、人若し其主力を挙げんには、何人も指を武士道に屈するに(躊躇)せざるべし。
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『武士道』第十六章 武士道の命脈・廉恥の観念こそ最強の動機氏は又た問うて曰く、『何の処にか、日本を改造したる欧洲の使徒あり、碩学あり、政治家あり、はた又た煽動者ありや』と。論者は能く、日本の変造刷新を生ずるに至りたる所以の原動力の、全然日本人の中に存せるものなることを洞観したり。ただ氏にして、もし更に一歩を進めて日本民族の心理を探究したらんには、其の燃犀の観察眼は直ちに、彼の原動力の即ち武士道に外ならざる所以を確知するを得たりしならん。要するに我邦の、劣等国として他の侮蔑を蒙るに忍ぶ能はざる廉恥の観念は、これぞ即ち吾人の最強なる動機なりける。殖財又は興業を云々するが如きは、国家改新の道程に於て、ようやく近時に至りてわずかに醒起したる問題に過ぎざるのみ。武士道の感化のなおすこぶる炳然たるは、走りながらにも亦た之を読むことを得べく、日本人の生活を一瞥せば、おのづから釈然たるべし。
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