武士道 / 第十六章 武士道の命脈・廉恥の観念こそ最強の動機
氏は又た問うて曰く、『何の處にか、日本を改造したる歐洲の使徒あり、碩學あり、政治家あり、將た又た煽動者ありや』と。論者は能く日本の變造刷新を生ずるに至りたる所以の原動力の、全然日本人の中に存せるものなることを洞觀したり。唯だ氏にして若し更に一步を進めて、日本民族の心理を探究したらんには、其の燃犀の觀察眼は直ちに彼の原動力の即ち武士道に外ならざる所以を確知するを得たりしならん。要するに我邦の劣等國として他の侮蔑を蒙るに忍ぶ能はざる廉耻の觀念は、これぞ即ち吾人の最强なる動機なりける。殖財又は興業を云々するが如きは、國家改新の道程に於て、漸く近時に至りて、纔に醒起したる問題に過ぎざるのみ。武士道の感化の尙ほ頗る炳然たるは、走りながらにも亦た之を讀むことを得べく、日本人の生活を一瞥せば、自から釋然たるべし。
新字:氏は又た問うて曰く、『何の処にか、日本を改造したる欧洲の使徒あり、碩学あり、政治家あり、将た又た煽動者ありや』と。論者は能く日本の変造刷新を生ずるに至りたる所以の原動力の、全然日本人の中に存せるものなることを洞観したり。唯だ氏にして若し更に一歩を進めて、日本民族の心理を探究したらんには、其の燃犀の観察眼は直ちに彼の原動力の即ち武士道に外ならざる所以を確知するを得たりしならん。要するに我邦の劣等国として他の侮蔑を蒙るに忍ぶ能はざる廉耻の観念は、これぞ即ち吾人の最強なる動機なりける。殖財又は興業を云々するが如きは、国家改新の道程に於て、漸く近時に至りて、纔に醒起したる問題に過ぎざるのみ。武士道の感化の尚ほ頗る炳然たるは、走りながらにも亦た之を読むことを得べく、日本人の生活を一瞥せば、自から釈然たるべし。
書き下し
氏は又た問うて曰く、『何の処にか、日本を改造したる欧洲の使徒あり、碩学あり、政治家あり、はた又た煽動者ありや』と。論者は能く、日本の変造刷新を生ずるに至りたる所以の原動力の、全然日本人の中に存せるものなることを洞観したり。ただ氏にして、もし更に一歩を進めて日本民族の心理を探究したらんには、其の燃犀の観察眼は直ちに、彼の原動力の即ち武士道に外ならざる所以を確知するを得たりしならん。要するに我邦の、劣等国として他の侮蔑を蒙るに忍ぶ能はざる廉恥の観念は、これぞ即ち吾人の最強なる動機なりける。殖財又は興業を云々するが如きは、国家改新の道程に於て、ようやく近時に至りてわずかに醒起したる問題に過ぎざるのみ。武士道の感化のなおすこぶる炳然たるは、走りながらにも亦た之を読むことを得べく、日本人の生活を一瞥せば、おのづから釈然たるべし。
現代語訳
氏はまた問います。どこに日本を改造したヨーロッパの使徒があり、大学者があり、政治家があり、また扇動者があったか、と。論者は、日本の変革と刷新をもたらした原動力がまったく日本人の中にあったことをよく見抜きました。ただ氏がもう一歩進んで日本民族の心理を探究していたなら、その鋭い観察眼はただちに、その原動力が武士道にほかならないことを確かに知ったでしょう。要するにわが国が、劣った国として他国の侮蔑を受けることに堪えられないという恥を知る心、それこそが私たちの最も強い動機でした。財を殖やすとか産業を興すとかいったことは、国家の刷新の道のりにおいて、ようやく近ごろになってわずかに目覚めた問題にすぎません。武士道の感化がなおはっきりしていることは、走りながらでも読み取ることができ、日本人の生活を一瞥すれば自然と納得できるでしょう。
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