武士道 / 第九章 忠節・英国人の王室への忠節
是に於て吾人は、彼の平民的なること英國人の如くにして、尙ほ且つ、近時プトミー氏の云へるが如く、『祖先たる獨逸種族が、其曾長と其子孫とに對して盡せる忠厚の念は、多少の漸變を經て今日に至り、英國人の其君主の血統裔種に對し、深厚なる忠節となれることは、彼民の王室に表する多大の愛敬の能く之を證するものあり』と云へるを記憶せん。スペンサー氏は預言して、政治上の從屬は、變移して良心の〓示に忠なるに至るべしと。
新字:是に於て吾人は、彼の平民的なること英国人の如くにして、尚ほ且つ、近時プトミー氏の云へるが如く、『祖先たる独逸種族が、其曽長と其子孫とに対して尽せる忠厚の念は、多少の漸変を経て今日に至り、英国人の其君主の血統裔種に対し、深厚なる忠節となれることは、彼民の王室に表する多大の愛敬の能く之を証するものあり』と云へるを記憶せん。スペンサー氏は預言して、政治上の従属は、変移して良心の〓示に忠なるに至るべしと。
書き下し
是に於て吾人は、彼の平民的なること英国人の如くにして、なほ且つ、近時ブトミー氏の云へるが如く、『祖先たる独逸種族が、其酋長と其子孫とに対して尽せる忠厚の念は、多少の漸変を経て今日に至り、英国人の其君主の血統裔種に対し、深厚なる忠節となれることは、彼民の王室に表する多大の愛敬の能く之を証するものあり』と云へるを記憶せん。スペンサー氏は預言して、政治上の従属は、変移して良心の(指)示に忠なるに至るべしと。
現代語訳
そこでわれわれは、英国人のように平民的な国民でありながら、なお、近ごろブトミー氏(フランスの政治学者)が言ったように、「祖先であるゲルマン種族がその首長とその子孫に対して尽くした忠誠の念は、多少しだいに変化しながら今日に至り、英国人がその君主の血統に対して抱く深い忠節となっている。そのことは、彼らが王室に示す大きな敬愛がよく証明している」と言ったことを覚えておこう。スペンサー氏は予言して、政治上の従属は、やがて移り変わって、良心の(指)図に忠実であることに至るだろうと言った。
解説
この章句が説くこと
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