文子 / 上禮
老子曰:以政治國,以奇用兵。先為不可勝之政,而後求勝於敵,以未治而攻人之亂,是猶以火應火,以水應水也,同莫足以相治,故以異為奇,奇靜為躁奇,治為亂奇,飽為飢奇,逸為勞奇,正之相應,若水火金木之相伐也,何往而不勝,故德均則眾者勝寡,力敵則智者制愚,智同則有數者禽無數。
新字:老子曰:以政治国,以奇用兵。先為不可勝之政,而後求勝於敵,以未治而攻人之乱,是猶以火応火,以水応水也,同莫足以相治,故以異為奇,奇静為躁奇,治為乱奇,飽為飢奇,逸為労奇,正之相応,若水火金木之相伐也,何往而不勝,故徳均則衆者勝寡,力敵則智者制愚,智同則有数者禽無数。
書き下し
老子曰く、政を以て国を治め、奇を以て兵を用う。先ず勝つ可からざるの政を為し、而る後に勝つを敵に求む、未だ治まらざるを以て人の乱を攻むるは、是れ猶お火を以て火に応じ、水を以て水に応ずるがごときなり、同じければ以て相治むるに足らず、故に異を以て奇と為す、静を奇として躁に、治を奇として乱に、飽を奇として飢えに、逸を奇として労に、正の相応ずること、水火金木の相伐つが若し、何くに往きて勝たざらん、故に徳均しければ則ち衆き者は寡き者に勝ち、力敵すれば則ち智者は愚を制し、智同じければ則ち数有る者は数無き者を禽にす。
現代語訳
老子は言った。正当な政によって国を治め、奇によって兵を用いる。まず敵に負けない政を整え、そのあとで敵に勝つことを求める。まだ治まっていない者が他人の乱れを攻めるのは、火で火に当たり、水で水に当たるようなもので、同じものでは互いに治められない。だから異なるものを奇とする。静をもって騒ぎに、治をもって乱に、満腹をもって飢えに、安逸をもって疲労に当たる。正が応じるさまは、水・火・金・木が互いに克ち合うようなもので、どこへ行っても勝たないことがあろうか。そこで徳が等しければ多い者が少ない者に勝ち、力が互角なら智者が愚者を制し、智が同じなら策のある者が策のない者を捕らえる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『論語と算盤』実業と士道・此の如き誤解あり由来競争は何物にも伴うもので、その最も激烈を極むるものは競馬とか競漕とかいう場合である。その他朝起きるにも競争がある。読書するにも競争がある。また徳の高い人が徳の低い人から尊重されるにも、それぞれ競争がある。けれどもこれら後の方のものにおいては、あまり激烈なものは認めない。しかるに競馬競漕となると、命を懸けても構わないというほどになる。自己の財産を増すについてもこれと同様で、激烈なる競争の念を起こし、彼よりも我に財産の多からんことを欲する。その極、道義の観念も打ち忘れて、いわゆる目的のためには手段を択ばぬというようにもなる。すなわち同僚を誤り、他人を毀ち、あるいは大いに自己を腐敗する。古語に「富をなせば仁ならず」というのも、畢竟そういう所から出た言葉であろう。アリストートルは「すべての商売は罪悪なり」と言っているそうであるが、それはいまだ人文の開けぬ時代のことで、いかに大哲学者の申し分とあっても、真面目には受け取れない。しかし孟子も「富をなせば仁ならず、仁をなせば富まず」と言っているから、等しく味わうべき言葉である。
-
史記 平原君虞卿列伝是の時、斉に孟嘗有り、魏に信陵有り、楚に春申有り、故に争ひて相傾けて以て士を待す。
-
『学問のすゝめ』十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・その智恵の鋒を争うの相手は外国人なり農となり、商となり、学者となり、官員となり、書を著わし、新聞紙を書き、法律を講じ、芸術を学び、工業も起こすべし、議院も開くべし、百般の事業行なうべからざるものなし。しかもこの事業を成し得て、国中の兄弟相鬩ぐにあらず、その智恵の鋒を争うの相手は外国人なり、この智戦に利あればすなわちわが国の地位を高くすべし。これに敗すればわが地位を落とすべし。その望み大にして期するところ明らかなりと言うべし。もとより天下の事を現に施行するには前後緩急あるべしといえども、到底この国に欠くべからざるの事業は、人々の所長によりて今より研究せざるべからず。いやしくも処世の義務を知る者は、この時に当たりてこの事情を傍観するの理なし。学者勉めざるべからず。
-
老子・第3章賢を尚ばざれば、民をして争わざらしむ。得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗を為さざらしむ。欲すべきを見さざれば、民の心をして乱れざらしむ。是を以て聖人の治は、其の心を虚しくし、其の腹を実たし、其の志を弱くし、其の骨を強くす。常に民をして無知無欲ならしめ、夫の智者をして敢えて為さざらしむ。無為を為せば、則ち治まらざる無し。
-
人物志・七繆是の故に、直者は性奮ひ、人の直を人に行ふを好めども、人の訐きを受くること能はず。尽者は情露はれ、人の尽くすを人に行ふを好めども、人の径を納るること能はず。名を務むる者は人の進趨の人に過ぐるを楽しめども、己を陵ぐものの後に出づること能はず。是の故に、性同じくして材傾けば、則ち相援けて相頼るなり。性同じくして勢均しければ、則ち相競ひて相害ふなり。此れ又同体の変なり。故に或いは直を助けて直を毀り、或いは明に与して明を毀る。而るに衆人の察は、其の律理を弁ぜず。是れ体同に嫌ふ者なり。夫れ人の処る所は勢を異にし、勢に申圧有り。
-
史記 魏世家太子の自ら相たらば、是れ三人の者皆太子を以て常相に非ずと為し、皆将に務めて其の国を以て魏に事へ、丞相の璽を得んと欲せんとす。魏の彊きを以て、而して三万乗の国之を輔けば、魏必ず安からん。故に曰く太子の自ら相たるに若くは莫しと」』と。遂に北して梁王に見え、此を以て之に告ぐ。太子果たして魏に相たり。十年、張儀死す。十一年、秦の武王と応に会す。十二年、太子秦に朝す。秦来りて我が皮氏を伐つも、未だ抜かずして解く。十四年、秦来りて武王后を帰す。十六年、秦我が蒲反・陽晋・封陵を抜く。十七年、秦と臨晋に会す。秦我に蒲反を予ふ。十八年、秦と楚を伐つ。廿一年、斉・韓と共に秦の軍を函谷に敗る。廿三年、秦復た我に河外及び封陵を予へて和を為す。哀王卒し、子昭王立つ。昭王元年、秦我が襄城を抜く。二年、秦と戦ひ、我利あらず。三年、韓を佐けて秦を攻む。秦の将白起、我が軍を伊闕に敗ること廿四万。六年、秦に河東の地方四百里を予ふ。芒卯詐りを以て重んぜらる。七年、秦我が城大小六十一を抜く。八年、秦の昭王西帝と為り、斉の湣王東帝と為る。月余にして、皆復た王と称して帝を帰す。九年、秦我が新垣・曲陽の城を抜く。十年、斉宋を滅ぼす。宋王我が温に死す。十二年、秦・趙・韓・燕と共に斉を伐ち、之を済西に敗る。湣王出でて亡ぐ。燕独り臨菑に入る。秦王と西周に会す。十三年、秦我が安城を抜く。兵大梁に到りて、去る。十八年、秦郢を抜き、楚王陳に徙る。十九年、昭王卒し、子安釐王立つ。安釐王元年、秦我が両城を抜く。二年、又我が二城を抜き、大梁の下に軍す。韓来り救ふ。秦に温を予へて以て和す。三年、秦我が四城を抜き、首を斬ること四万。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る