文子 / 上義
老子曰:上義者,治國家,理境內,行仁義,布德施惠,立正法,塞邪道,群臣親附,百姓和輯,上下一心,群臣同力,諸侯服其威,四方懷其德,脩正廟堂之上,折衝千里之外,發號行令而天下響應,此其上也。地廣民眾,主賢將良,國富兵強,約束信,號令明,兩敵相當,未交兵接刃,而敵人奔亡,此其次也。知土地之宜,習險隘之利,明苛政之變,察行陣之事,白刃合,流矢接,輿死扶傷,流血千里,暴骸滿野,義之下也。兵之勝敗習在於政,政勝其民,下附其上,即兵強,民勝其政,下叛其上,即兵弱。義足以懷天下之民,事業足以當天下之急,選舉足以得賢士之心,謀慮足以決輕重之權,此上義之道也。
新字:老子曰:上義者,治国家,理境内,行仁義,布徳施恵,立正法,塞邪道,群臣親附,百姓和輯,上下一心,群臣同力,諸侯服其威,四方懐其徳,脩正廟堂之上,折衝千里之外,発号行令而天下響応,此其上也。地広民衆,主賢将良,国富兵強,約束信,号令明,両敵相当,未交兵接刃,而敵人奔亡,此其次也。知土地之宜,習険隘之利,明苛政之変,察行陣之事,白刃合,流矢接,輿死扶傷,流血千里,暴骸満野,義之下也。兵之勝敗習在於政,政勝其民,下附其上,即兵強,民勝其政,下叛其上,即兵弱。義足以懐天下之民,事業足以当天下之急,選舉足以得賢士之心,謀慮足以決軽重之権,此上義之道也。
書き下し
老子曰く、上義なる者は、国家を治め、境内を理め、仁義を行い、徳を布き恵みを施し、正法を立て、邪道を塞ぎ、群臣親附し、百姓和輯し、上下一心、群臣力を同じくし、諸侯其の威に服し、四方其の徳に懐き、廟堂の上を脩正して、折衝千里の外にし、号を発し令を行いて天下響応す、此れ其の上なり。地広く民衆く、主賢に将良く、国富み兵強く、約束信にして、号令明らかに、両敵相当たり、未だ兵を交え刃を接せずして、敵人奔亡す、此れ其の次なり。土地の宜しきを知り、険隘の利に習い、苛政の変を明らかにし、行陣の事を察し、白刃合い、流矢接し、死を輿し傷を扶け、血を流すこと千里、暴骸野に満つる、義の下なり。兵の勝敗は習く政に在り、政其の民に勝ち、下其の上に附けば、即ち兵強く、民其の政に勝ち、下其の上に叛けば、即ち兵弱し。義は以て天下の民を懐くるに足り、事業は以て天下の急に当たるに足り、選挙は以て賢士の心を得るに足り、謀慮は以て軽重の権を決するに足る、此れ上義の道なり。
現代語訳
老子は言った。最上の義とは、国家を治め、領内を整え、仁義を行い、徳を広げて恵みを施し、正しい法を立て、よこしまな道を塞ぎ、臣下が親しみ従い、民が和らぎ睦み、上下が一つの心となり、臣下が力を合わせ、諸侯がその威に服し、四方がその徳を慕い、朝廷の中を正すことで千里の外の敵をくじき、号令を発すれば天下が響き応じるものである。これが最上である。その次は、領土が広く民が多く、君主は賢く将軍は優れ、国は富み兵は強く、約束は信頼でき、号令は明らかで、両軍が相対しても刃を交える前に敵が逃げ去るもの。これがその次である。土地の利を知り、険しい地形の利に習い、苛酷な政の変化に明るく、陣立ての事を見極め、白刃が合わさり矢が飛び交い、死者を車に載せ負傷者を支え、血が千里に流れ、屍が野に満ちる。これは義の下である。兵の勝ち負けは、すべて政にかかっている。政が民を従わせ、下が上に付けば兵は強く、民が政に逆らい、下が上に背けば兵は弱い。義が天下の民を懐かせるに足り、事業が天下の急に応えるに足り、人の登用が賢士の心を得るに足り、謀りごとが軽重の判断を決するに足る。これが上義の道である。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・應務・一の拙法有り世人の相與するは、面上に非ざれば則ち口中なり。人の心は固より面と口とに掩ふ能はず。而して測る可からざる者は則ち面と口とに盡きざるなり。故に惟だ人心のみ最も畏る可く、人心最も知る可からず。此れ天下の陷阱にして、古今生死の衢なり。余に一の拙法有り。之を推すに至誠を以てし、之を施すに至厚を以てし、之を持するに至慎を以てし、是非を遠ざけ、利名を讓り、後下に處せば、則ち夷狄鳥獸も骨肉腹心とす可し。將に深き者をして且つ心を傾けしめ、險なる者をして且つ德に化せしめんとす。而して何ぞ陷阱の予に及ばんや。
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史記 項羽本紀項王乃ち海春侯大司馬曹咎等に謂ひて曰く、「謹みて成皋を守れ、則ち漢挑戦せんと欲するも、慎みて与に戦ふ勿かれ、東するを得しむる毋きのみ。我十五日にして必ず彭越を誅し、梁の地を定め、復た将軍に従はん。」と。乃ち東し、行くゆく陳留・外黄を撃つ。外黄下らず。数日にして、已に降る、項王怒り、悉く男子の年十五已上をして城東に詣らしめ、之を阬にせんと欲す。外黄の令の舎人の児年十三、往きて項王に説きて曰く、「彭越彊ひて外黄を劫かす、外黄恐る、故に且く降りて、大王を待つ。大王至りて、又皆之を阬にせば、百姓豈に帰心有らんや。此より以東、梁の地十余城皆恐れ、肯へて下る莫からん。」と。項王其の言を然りとし、乃ち外黄の当に阬にすべき者を赦す。東して睢陽に至る、之を聞きて皆争ひて項王に下る。漢果たして数(しばしば)楚の軍に挑みて戦はんとす、楚の軍出でず。人をして之を辱めしむること、五六日、大司馬怒り、兵を汜水に渡す。士卒半ば渡る、漢之を撃ち、大いに楚の軍を破り、尽く楚国の貨賂を得たり。大司馬咎・長史翳・塞王欣皆汜水の上に自剄す。大司馬咎は、故の蘄の獄掾、長史欣も亦故の櫟陽の獄吏、両人嘗て項梁に徳有り、是を以て項王之を信任す。是の時に当たりて、項王睢陽に在り、海春侯の軍敗るると聞き、則ち兵を引きて還る。漢の軍方に鍾離眛を滎陽の東に囲む、項王至る、漢の軍楚を畏れ、尽く険阻に走る。是の時、漢の兵盛んにして食多く、項王の兵罷れて食絶ゆ。漢陸賈を遣はして項王に説き、太公を請はしむ、項王聴かず。漢王復た侯公をして往きて項王に説かしむ、項王乃ち漢と約し、天下を中分し、鴻溝以西を割く者を漢と為し、鴻溝よりして東なる者を楚と為す。項王之を許し、即ち漢王の父母妻子を帰す。軍皆万歳を呼ぶ。漢王乃ち侯公を封じて平国君と為す。匿れて肯へて復た見えず。
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史記 高祖本紀且つ吾の軍を霸上に還す所以は、諸侯の至るを待ちて約束を定めんのみ。」と。乃ち人をして秦の吏と県郷邑を行かしめ、之に告諭す。秦人大いに喜び、争ひて牛羊酒食を持ちて軍士に献饗す。沛公又譲りて受けず、曰く、「倉粟多し、乏しきに非ず、人に費さしむるを欲せず。」と。人又益々喜び、唯だ沛公の秦王と為らざらんことを恐る。
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『呻吟語』内篇・存心・如何ぞ他を縱容し得んや人心は是れ個の猖狂自在の物、隕身敗家の賊なり。如何ぞ他を縱容し得んや。
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『呻吟語』外篇・治道・人を我に體す先王の政を為すは、全く人心の上に在りて工夫を用ふ。其の人心を體するは、我が心の上に在りて工夫を用ふ。何者ぞ。同然の故なり。故に先王は人を我に體して、民心得られ、天下治まる。
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史記 項羽本紀美人有り名は虞、常に幸せられて従ふ。駿馬名は騅、常に之に騎る。是に於て項王乃ち悲歌忼慨し、自ら詩を為りて曰く、「力は山を抜き気は世を蓋ふ、時利あらず騅逝かず。騅の逝かざる可奈何(いかん)すべき、虞や虞や若を奈何せん。」と。歌ふこと数闋、美人之に和す。項王泣数行下る、左右皆泣き、能く仰ぎ視る莫し。是に於て項王乃ち馬に上りて騎す、麾下の壮士騎して従ふ者八百余人、直ちに夜囲みを潰して南に出で、馳走す。平明、漢の軍乃ち之を覚り、騎将灌嬰をして五千騎を以て之を追はしむ。項王淮を渡る、騎の能く属する者百余人のみ。項王陰陵に至り、迷ひて道を失ひ、一田父に問ふ、田父紿(あざむ)きて曰く「左」と。左すれば、乃ち大沢の中に陥る。故を以て漢之に追ひ及ぶ。項王乃ち復た兵を引きて東し、東城に至る、乃ち二十八騎有り。漢の騎の追ふ者数千人。
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