文子 / 上仁
文子問治國之本。老子曰:本在於治身,未嘗聞身治而國亂,身亂而國治也。故曰:脩之身,其德乃真。道之所以至妙者,父不能以教子,子亦不能受之於父,故道可道,非常道也,名可名,非常名也。
新字:文子問治国之本。老子曰:本在於治身,未嘗聞身治而国乱,身乱而国治也。故曰:脩之身,其徳乃真。道之所以至妙者,父不能以教子,子亦不能受之於父,故道可道,非常道也,名可名,非常名也。
書き下し
文子、治国の本を問う。老子曰く、本は身を治むるに在り。未だ嘗て身治まりて国乱れ、身乱れて国治まるを聞かざるなり。故に曰く、之を身に脩むれば、其の徳乃ち真なり、と。道の至妙なる所以は、父も以て子に教うる能わず、子も亦た之を父に受くる能わず。故に道の道とす可きは常の道に非ず、名の名とす可きは常の名に非ざるなり。
現代語訳
文子が国を治める根本を問うた。老子は言った。根本は身を治めることにある。身が治まっていて国が乱れ、身が乱れていて国が治まったという話は、聞いたことがない。だから、これを身に修めれば、その徳は真実のものとなる、と言う。道が至って妙であるわけは、父でも子に教えることができず、子もまた父から受けることができない点にある。だから、道として言い表せる道は常の道ではなく、名として呼べる名は常の名ではない。
解説
国を治める根本を問われて、老子は国の話を一切せず、「身を治むるに在り」と答えます。身が治まって国が乱れ、身が乱れて国が治まった例は聞かない、という言い切りが印象的です。続けて、道は親が子に教えることもできないと言い、『老子』冒頭の句を重ねます。言葉で伝えられないものを伝えようとする研修の限界を、先取りしているようにも読めます。自分が先に整い、周囲が見て学ぶ。それ以外に近道がない、という見立てです。
この章句が説くこと
本は身を治むるに在り之を身に脩むれば其の徳乃ち真なり道の道とす可きは常の道に非ず修身率先
関連する章句
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