文子 / 自然
老子曰:夫道者,體員而法方,背陰而抱陽,左柔而右剛,履幽而戴明,變化無常,得一之原,以應無方,是謂神明。天員而無端,故不得觀,地方而無涯,故莫窺其門,天化遂無形狀,地生長無計量。夫物有勝,唯道無勝,所以無勝者,以其無常形勢也,輪轉無形,象日月之運行,若春秋之代謝,日月之晝夜,終而復始,明而復晦,制形而無形,故功可成,物物而不物,故勝而不屈。廟戰者帝,神化者王,廟戰者法天道,神化者明四時,修正於境內,而遠方懷德,制勝於未戰,而諸侯賓服也。古之得道者,靜而法天地,動而順日月,喜怒合四時。號令比雷霆,音氣不戾八風,詘伸不獲五度。因民之欲,乘民之力,為之去殘除害,夫同利者相死,同情者相成,同行者相助,循己而動,天下為鬥。故善用兵者,用其自為用,不能用兵者,用其為己用,用其自為用,天下莫不可用,用其為己用,無一人之可用也。
新字:老子曰:夫道者,体員而法方,背陰而抱陽,左柔而右剛,履幽而戴明,変化無常,得一之原,以応無方,是謂神明。天員而無端,故不得観,地方而無涯,故莫窺其門,天化遂無形状,地生長無計量。夫物有勝,唯道無勝,所以無勝者,以其無常形勢也,輪転無形,象日月之運行,若春秋之代謝,日月之昼夜,終而復始,明而復晦,制形而無形,故功可成,物物而不物,故勝而不屈。廟戦者帝,神化者王,廟戦者法天道,神化者明四時,修正於境内,而遠方懐徳,制勝於未戦,而諸侯賓服也。古之得道者,静而法天地,動而順日月,喜怒合四時。号令比雷霆,音気不戻八風,詘伸不獲五度。因民之欲,乗民之力,為之去残除害,夫同利者相死,同情者相成,同行者相助,循己而動,天下為鬥。故善用兵者,用其自為用,不能用兵者,用其為己用,用其自為用,天下莫不可用,用其為己用,無一人之可用也。
書き下し
老子曰く、夫れ道なる者は、体は円にして法は方、陰を背にして陽を抱き、左は柔にして右は剛、幽を履みて明を戴き、変化常無く、一の原を得て、以て無方に応ず。是を神明と謂う。天は円にして端無し、故に観るを得ず。地は方にして涯無し、故に其の門を窺う莫し。天化は遂げて形状無く、地生は長じて計量無し。夫れ物には勝つ有り、唯だ道のみ勝つ無し。勝つ無き所以は、其の常の形勢無きを以てなり。輪転して形無く、日月の運行に象り、春秋の代謝の若し。日月の昼夜は、終わりて復た始まり、明らかにして復た晦し。形を制して形無し、故に功成るべし。物を物として物とせず、故に勝ちて屈せず。廟戦する者は帝たり、神化する者は王たり。廟戦する者は天道に法り、神化する者は四時に明らかなり。境内を修正して遠方徳を懐き、勝を未だ戦わざるに制して諸侯賓服す。古の道を得し者は、静にしては天地に法り、動きては日月に順い、喜怒は四時に合す。号令は雷霆に比し、音気は八風に戻らず、詘伸は五度を獲ず。民の欲に因り、民の力に乗り、之が為に残を去り害を除く。夫れ利を同じくする者は相い死し、情を同じくする者は相い成し、行いを同じくする者は相い助く。己に循いて動けば、天下は為に闘う。故に善く兵を用いる者は、其の自ら為にして用うるを用う。兵を用いる能わざる者は、其の己が為にして用うるを用う。其の自ら為にして用うるを用うれば、天下用うべからざる無し。其の己が為にして用うるを用うれば、一人の用うべき無し。
現代語訳
老子は言った。そもそも道とは、体は円く法は方形で、陰を背にして陽を抱き、左は柔らかく右は剛く、暗きを履んで明るきを戴き、変化に常がなく、一の根源を得て、決まった方角なく応じる。これを神明という。天は円くて端がないから観ることができない。地は方形で際がないからその門を窺うこともない。天の化は成し遂げても形状がなく、地の生は長じても数えきれない。物には勝つものがあるが、道だけは勝つものがない。勝つものがない理由は、道に決まった形も勢いもないからである。巡って形がなく、日月の運行に象り、春秋の移り変わりのようである。日月の昼夜は、終わってまた始まり、明るくなってまた暗くなる。形を制しながら形を持たない、だから功が成る。物を物としながら物に囚われない、だから勝って屈しない。廟堂で戦う者は帝となり、神妙に化する者は王となる。廟堂で戦う者は天道に法り、神妙に化する者は四季に明らかである。領内を修め正して遠方の者が徳を慕い、まだ戦わないうちに勝を制して諸侯が従う。古の道を得た者は、静かなときは天地に倣い、動くときは日月に従い、喜怒は四季に合う。号令は雷のようで、音と気は八風に背かず、屈伸は五度を外さない。民の欲に因り、民の力に乗り、民のために残虐を除き害を除く。そもそも利を同じくする者は互いに死をともにし、情を同じくする者は互いに成し、行いを同じくする者は互いに助ける。己に循って動けば、天下は彼のために闘う。だから兵を善く用いる者は、人がそれぞれ自分のために用いるところを用いる。兵を用いるのが下手な者は、人が自分のために用いるところを用いようとする。人が自らのために用いるところを用いれば、天下に用いられない者はなく、自分のために人を用いようとすれば、用いられる者は一人もない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』兼愛下且つ惟だ泰誓のみ然りと為すにあらず、禹誓と雖も即ち亦た猶お是のごときなり。禹曰く、「濟濟たる有衆、咸な朕が言を聴け。惟だ小子のみ敢えて亂を稱するを行うに非ず。蠢たる茲の有苗、天の罰を用う。若し予れ既に爾の羣を率い、羣諸に對して以て有苗を征せん」と。禹の有苗を征するや、富貴を重ね、福禄を干め、耳目を樂しましむるを求むるに非ざるなり。以て天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むるなり。即ち此れ禹の兼なり。子墨子の謂う所の兼なる者と雖も、禹に於て求めたり。
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『墨子』非命下是の故に子墨子曰く、今、天下の君子の文章を為り言談を出だすは、将に其の頰舌を勤勞し、其の唇呡を利せんとするに非ざるなり。中に實に将に其の國家邑里萬民の刑政を為さんと欲する者なり。今や王公大人の早く朝し晏く退き、獄を聴き政を治め、終朝、均しく分かちて敢えて怠倦せざる所以の者は、何ぞや。曰く、彼れ以為えらく强ければ必ず治まり、强からざれば必ず亂れ、强ければ必ず寕く、强からざれば必ず危うしと。故に敢えて怠倦せず。
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司馬法・嚴位凡そ人は、愛に死し、怒りに死し、威に死し、義に死し、利に死す。
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論語・憲問篇微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘、何為れぞ是れ栖栖たる者ぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ざるなり、固を疾むなり。」
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『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「子は天下を兼愛するも、未だ利ありと云わず。我れは天下を愛せざるも、未だ賊すと云わず。功、皆な未だ至らざるに、子、何ぞ獨り自ら是として我を非とするや」と。子墨子曰く、「今、此に燎ゆる者有り。一人は水を奉じて将に之に灌がんとし、一人は火を摻りて将に之を益さんとす。功、皆な未だ至らざるも、子、何れをか二人に貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは彼の水を奉ずる者の意を是とし、夫の火を摻る者の意を非とす」と。子曰く、「吾れも亦た吾が意を是とし、子の意を非とするなり」と。
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