文子 / 自然
老子曰:所謂無為者,非謂其引之不來,推之不去,迫而不應,感而不動,堅滯而不流,捲握而不散,謂其私志不入公道,嗜欲不枉正術,循理而舉事,因資而立功,推自然之勢,曲故不得容,事成而身不伐,功立而名不有,若夫水用舟,涉用䦊,泥用輴,山用樏,夏瀆冬陂,因高為山,因下為池,非吾所為也。聖人不恥身之賤,惡道之不行也,不憂命之短,憂百姓之窮也,故常虛而無為,抱素見樸,不與物雜。
新字:老子曰:所謂無為者,非謂其引之不来,推之不去,迫而不応,感而不動,堅滞而不流,捲握而不散,謂其私志不入公道,嗜欲不枉正術,循理而舉事,因資而立功,推自然之勢,曲故不得容,事成而身不伐,功立而名不有,若夫水用舟,渉用䦊,泥用輴,山用樏,夏瀆冬陂,因高為山,因下為池,非吾所為也。聖人不恥身之賤,悪道之不行也,不憂命之短,憂百姓之窮也,故常虚而無為,抱素見樸,不与物雑。
書き下し
老子曰く、所謂無為とは、之を引けども来たらず、之を推せども去らず、迫れども応ぜず、感ずれども動かず、堅滞して流れず、捲握して散ぜざるを謂うに非ず。其の私志の公道に入らず、嗜欲の正術を枉げず、理に循いて事を挙げ、資に因りて功を立て、自然の勢を推して、曲故の容るるを得ざるを謂う。事成りて身伐らず、功立ちて名有せず。夫の水に舟を用い、渉るに䦊を用い、泥に輴を用い、山に樏を用い、夏は瀆き冬は陂し、高きに因りて山を為り、下きに因りて池を為るが若きは、吾が為す所に非ざるなり。聖人は身の賤しきを恥じず、道の行われざるを悪む。命の短きを憂えず、百姓の窮するを憂う。故に常に虚にして無為、素を抱き樸を見し、物と雑わらず。
現代語訳
老子は言った。いわゆる無為とは、引いても来ず、押しても去らず、迫っても応じず、感じても動かず、固く滞って流れず、握りしめて散らさない、ということではない。私心が公の道に入り込まず、嗜欲が正しい手立てを曲げず、理に従って事を行い、資質に因って功を立て、自然の勢いを推して、こざかしい作為を容れさせないことを言う。事が成っても身を誇らず、功が立っても名を我がものとしない。たとえば水には舟を用い、渡るには筏を用い、泥には橇を用い、山には履物を用い、夏は水路を通し冬は堤を築き、高いところに因って山を作り、低いところに因って池を作るというのは、自分が為したことではない。聖人は身の賤しさを恥じず、道の行われないことを憎む。命の短さを憂えず、民の窮することを憂える。だから常にむなしくして為さず、素を抱き樸を現し、物と混じらない。
解説
この章句が説くこと
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