文子 / 微明
上五有神人、真人、道人、至人、聖人,次五有德人、賢人、智人、善人、辯人,中五有公人、忠人、信人、義人、禮人,次五有士人、工人、虞人、農人、商人,下五有眾人、奴人、愚人、肉人、小人,上五之與下五,猶人之與牛馬也。聖人者以目視,以耳聽,以口言,以足行。真人者,不視而明,不聽而聰,不行而從,不言而公。故聖人所以動天下者,真人未嘗過焉,賢人所以矯世俗者,聖人未嘗觀焉。所謂道者,無前無後,無左無右,萬物玄同,無是無非。
新字:上五有神人、真人、道人、至人、聖人,次五有徳人、賢人、智人、善人、弁人,中五有公人、忠人、信人、義人、礼人,次五有士人、工人、虞人、農人、商人,下五有衆人、奴人、愚人、肉人、小人,上五之与下五,猶人之与牛馬也。聖人者以目視,以耳聴,以口言,以足行。真人者,不視而明,不聴而聰,不行而従,不言而公。故聖人所以動天下者,真人未嘗過焉,賢人所以矯世俗者,聖人未嘗観焉。所謂道者,無前無後,無左無右,万物玄同,無是無非。
書き下し
上の五には神人、真人、道人、至人、聖人有り。次の五には徳人、賢人、智人、善人、辯人有り。中の五には公人、忠人、信人、義人、礼人有り。次の五には士人、工人、虞人、農人、商人有り。下の五には衆人、奴人、愚人、肉人、小人有り。上の五と下の五とは、猶お人の牛馬に与するがごとし。聖人は目を以て視、耳を以て聴き、口を以て言い、足を以て行く。真人は視ずして明らかに、聴かずして聡く、行かずして従い、言わずして公なり。故に聖人の天下を動かす所以の者は、真人は未だ嘗て過ぎず。賢人の世俗を矯す所以の者は、聖人は未だ嘗て観ず。所謂道とは、前も後も無く、左も右も無く、万物玄同にして、是も非も無し。
現代語訳
最上の五には神人、真人、道人、至人、聖人がある。その次の五には徳人、賢人、智人、善人、辯人がある。中の五には公人、忠人、信人、義人、礼人がある。その次の五には士人、工人、虞人、農人、商人がある。下の五には衆人、奴人、愚人、肉人、小人がある。最上の五と最下の五との差は、人と牛馬の差のようである。聖人は目で見、耳で聴き、口で言い、足で行く。真人は見なくても明らかで、聴かなくても聡く、行かなくても従い、言わなくても公平である。だから聖人が天下を動かすことについて、真人はそれを通り過ぎたことすらない。賢人が世俗を正すことについて、聖人は見向きもしない。いわゆる道とは、前もなく後ろもなく、左もなく右もなく、万物が玄妙に同じとなり、是もなく非もない。
解説
この章句が説くこと
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