文子 / 道原
老子曰:執道以御民者,事來而循之,物動而因之;萬物之化無不應也,百事之變無不耦也。故道者,虛無、平易、清靜、柔弱、純粹素樸,此五者,道之形象也。虛無者道之舍也,平易者道之素也,清靜者道之鑒也,柔弱者道之用也。反者道之常也,柔者道之剛也,弱者道之強也。純粹素樸者道之幹也。虛者中無載也,平者心無累也,嗜欲不載,虛之至也,無所好憎,平之至也,一而不變,靜之至也,不與物雜,粹之至也,不憂不樂,德之至也。夫至人之治也,棄其聰明,滅其文章,依道廢智,與民同出乎公。約其所守,寡其所求,去其誘慕,除其貴欲,捐其思慮。約其所守即察,寡其所求即得,故以中制外,百事不廢,中能得之則外能牧之。中之得也,五藏寧,思慮平,筋骨勁強,耳目聰明。大道坦坦,去身不遠,求之遠者,往而復返。
新字:老子曰:執道以御民者,事来而循之,物動而因之;万物之化無不応也,百事之変無不耦也。故道者,虚無、平易、清静、柔弱、純粋素樸,此五者,道之形象也。虚無者道之舎也,平易者道之素也,清静者道之鑒也,柔弱者道之用也。反者道之常也,柔者道之剛也,弱者道之強也。純粋素樸者道之幹也。虚者中無載也,平者心無累也,嗜欲不載,虚之至也,無所好憎,平之至也,一而不変,静之至也,不与物雑,粋之至也,不憂不楽,徳之至也。夫至人之治也,棄其聰明,滅其文章,依道廃智,与民同出乎公。約其所守,寡其所求,去其誘慕,除其貴欲,捐其思慮。約其所守即察,寡其所求即得,故以中制外,百事不廃,中能得之則外能牧之。中之得也,五蔵寧,思慮平,筋骨勁強,耳目聰明。大道坦坦,去身不遠,求之遠者,往而復返。
書き下し
老子曰く、道を執りて以て民を御する者は、事来たれば之に循い、物動けば之に因る。万物の化応ぜざる無く、百事の変耦わざる無し。故に道とは、虚無、平易、清静、柔弱、純粋素樸なり。此の五者は、道の形象なり。虚無とは道の舎なり。平易とは道の素なり。清静とは道の鑑なり。柔弱とは道の用なり。反は道の常なり。柔は道の剛なり。弱は道の強なり。純粋素樸とは道の幹なり。虚とは中に載する無きなり。平とは心に累い無きなり。嗜欲載せざるは、虚の至りなり。好憎する所無きは、平の至りなり。一にして変ぜざるは、静の至りなり。物と雑ざらざるは、粋の至りなり。憂えず楽しまざるは、徳の至りなり。夫れ至人の治や、其の聡明を棄て、其の文章を滅し、道に依りて智を廃し、民と与に公に出ず。其の守る所を約にし、其の求むる所を寡くし、其の誘慕を去り、其の貴欲を除き、其の思慮を捐つ。其の守る所を約にすれば即ち察し、其の求むる所を寡くすれば即ち得。故に中を以て外を制し、百事廃れず。中にして之を得れば、外にして之を牧う。中の得るや、五蔵寧く、思慮平らかに、筋骨勁強にして、耳目聡明なり。大道は坦坦として、身を去ること遠からず。之を求むること遠き者は、往きて復た返る。
現代語訳
老子は言った。道を執って民を治める者は、事が起これば事に従い、物が動けば物に任せる。万物の変化に応じないものはなく、あらゆる事柄の変わり目に合わないものはない。だから道とは、虚無、平易、清静、柔弱、純粋素樸である。この五つは道のかたちである。虚無は道の住まい、平易は道の本質、清静は道の鏡、柔弱は道のはたらきである。反転することは道の常であり、柔らかさは道の剛さ、弱さは道の強さである。純粋素樸は道の幹である。虚とは、心の中に何も載せていないこと。平とは、心にわずらいがないこと。嗜欲を載せないのは虚の極み、好き嫌いがないのは平の極み、ひとつで変わらないのは静の極み、物と混ざらないのは粋の極み、憂えも楽しみもないのは徳の極みである。そもそも至人の治め方は、聡明さを捨て、飾りを消し、道に従って小賢しさをやめ、民とともに公に出る。守るものを絞り、求めるものを減らし、誘いや慕う心を去り、貴い欲を除き、思慮を捨てる。守るものを絞れば見通しが利き、求めるものを減らせば得られる。だから内によって外を制し、あらゆる事が滞らない。内に得れば、外も治められる。内が得られれば、五臓は安らぎ、思慮は平らかで、筋骨は強く、耳目は冴える。大道は平らかで、わが身から遠くない。遠くに求める者は、行ってまた戻ってくる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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文子・道原老子曰く、聖人は人を治むるを忘れて、自ら理むるに在り。貴は勢位を忘れて、自得するに在り。自得すれば即ち天下我を得ん。楽は富貴を忘れて、和に在り。己を大とし天下を小とするを知れば、道に幾し。故に曰く、「虚を致すこと極まり、静を守ること篤く、万物並び作るも、吾以て其の復るを観る」と。夫れ道は、万物を陶冶し、終始に形無く、寂然として動かず、大いに通じ混冥し、深閎広大にして外と為す可からず、毫を折き芒を剖きて内と為す可からず、環堵の宇無くして、有無の間に生ず。真人は之を体するに虚無、平易、清静、柔弱、純粋素樸を以てし、物と雑ざらず、至徳天地の道なり。故に之を真人と謂う。真人とは、己を大とし天下を小とし、身を治むるを貴び人を治むるを賤しみ、物を以て和を滑さず、欲を以て情を乱さず、其の名姓を隠し、道有れば隠れ、道無ければ見われ、無為を為し、無事を事とし、不知を知る。天道を懐き、天心を包み、陰陽を噓吸し、故きを吐き新しきを納れ、陰と俱に閉じ、陽と俱に開き、剛柔と与に卷舒し、陰陽と与に俯仰し、天と心を同じくし、道と体を同じくす。楽しむ所無く、苦しむ所無く、喜ぶ所無く、怒る所無く、万物玄同して、非も是も無し。夫れ形の寒暑燥湿の虐に傷らるる者は、形究まれども神は壮んなり。神の喜怒思慮の患に傷らるる者は、神尽きて形は余り有り。故に真人は心を用い性に杖り、神に依りて相い扶け、而して終始を得。是を以て其の寝ぬるや夢みず、覚むるや憂い無し。
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文子・下德老子曰く、物を治むる者は、物を以てせず和を以てす。和を治むる者は、和を以てせず人を以てす。人を治むる者は、人を以てせず君を以てす。君を治むる者は、君を以てせず欲を以てす。欲を治むる者は、欲を以てせず性を以てす。性を治むる者は、性を以てせず徳を以てす。徳を治むる者は、徳を以てせず道を以てす。道を以て人の性に本づくれば、邪穢無し。久しく物に湛れば即ち其の本を忘れ、即ち若の性に合す。衣食礼俗は、人の性に非ず、外より受くる所なり。故に人の性は平らかならんと欲するも、嗜欲之を害す。唯だ道有る者のみ能く物を遺れて己に反る。以て自ら鑒みる有れば、則ち物の情を失わず。以て自ら鑒みる無ければ、則ち動きて惑い営う。夫れ欲を縦にして性を失えば、動きて未だ嘗て正しからず。以て生を治むれば則ち身を失い、以て国を治むれば則ち人を乱す。故に道を聞かざる者は以て性に反る無し。古者の聖人は諸れを己に得たり。故に令行われ禁止む。凡そ事を挙ぐる者は、必ず先ず意を平らかにし神を清くす。神清く意平らかなれば、物は乃ち正す可し。聴は非誉に失われ、目は綵色に淫して、事の正しきを得んと欲すれば即ち難し。是を以て虚を貴ぶ。故に水激すれば則ち波起こり、気乱るれば則ち智昏し。昏き智は以て正しと為す可からず、波立つ水は以て平らと為す可からず。故に聖王は一を執りて、以て物の情性を理む。夫れ一とは、至って貴く天下に適う無し。聖王は無適に託す。故に天下の命と為る。
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文子・道原老子曰く、夫れ事生ずれば応変して動き、変は時に生ず。時を知る者は常の行無し。故に「道の道とす可きは常の道に非ず、名の名とす可きは常の名に非ず」。書は言の生ずる所、言は智より出で、智者は知らず。常の道に非ざるなり。名の名とす可きは、書を蔵する者に非ず。「多聞は数しば窮す、中を守るに如かず」、「学を絶てば憂い無し」、「聖を絶ち智を棄つれば、民の利百倍す」。人生まれて静かなるは、天の性なり。物に感じて動くは、性の害なり。物至りて応ずるは、智の動なり。智、物と接して、好憎生ず。好憎形を成して、智外に怵れ、己に反る能わずして、天理滅ぶ。是の故に聖人は人を以て天に易えず、外は物と化して内は情を夫わず。故に道に通ずる者は、清静に反り、物に空しき者は、無為に終わる。恬を以て智を養い、漠を以て神に合し、無垠に即き、天に循う者は道と遊び、人に随う者は俗と交わる。故に聖人は事を以て天を滑さず、欲を以て情を乱さず、謀らずして当たり、言わずして信あり、慮らずして得、為さずして成る。是を以て上に処りて民重しとせず、前に居て人害せず、天下之に帰し、姦邪之を畏る。其の物に争う無きを以てなり。故に敢えて之と争う莫し。
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文子・符言老子曰く、道なる者は其の已に有する所を守り、其の未だ有せざる所を求めず。其の未だ得ざる所を求むれば即ち有する所の者亡び、其の已に有する所を修むれば即ち欲する所の者至る。治未だ固からずして乱れず、而して事の治を為す者は必ず危うく、行い未だ非無きを免れずして急ぎ名を求むる者は必ず剉かる。故に福は禍無きより大なるは莫く、利は喪わざるより大なるは莫し。故に「物は或いは之を益して損じ、之を損して益す」と。道は以て利に就く者を勧む可からずして、神を安んじ害を避く可し。故に嘗て禍無きを嘗むれども福有るを嘗めず、嘗て罪無きを嘗むれども功有るを嘗めず。道は芒芒昧昧、天の威に従い、天と気を同じくして思慮無く、設け儲くる無し。来たる者は迎えず、去る者は将らず、人は東西南北するも、独り中央に立つ。故に衆枉に処るも其の直を失わず、天下と並び流るるも其の域を離れず、善を為さず、醜を避けず、天の道に遵い、始めと為らず、己を専らにせず、天の理に循い、予め謀らず、時を棄てず、天と期を為し、得るを求めず、福を辞せず、天の則に従う。内に奇福無く、外に奇禍無し。故に禍福生ぜず、焉んぞ人賊有らん。故に至徳は言略を同じくし、事福を同じくし、上下一心にして、歧道の旁見する者無し。邪を退け章かにし、之を善に開き道けば、民方に向かう。
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文子・道原老子曰く、夫れ人、欲に従いて性を失えば、動くこと未だ嘗て正しからず。以て国を治むれば乱れ、以て身を治むれば穢る。故に道を聞かざる者は、以て其の性に反る無く、物に通ぜざる者は、清静なる能わず。人の性を原ぬるに邪穢無きも、久しく物に湛れば即ち易り、易りて其の本を忘るれば、即ち其の若き性に合う。水の性は清からんと欲するも、沙石之を穢す。人の性は平らかならんと欲するも、嗜欲之を害す。唯だ聖人のみ能く物を遺れ己に反る。是の故に聖人は智を以て物を役せず、欲を以て和を滑さず、其の楽しみを為すに忻忻たらず、其の憂いに於けるも惋惋たらず、是を以て高くして危うからず、安くして傾かず。故に善言便計を聴けば、愚者と雖も之を説ぶを知り、聖徳高行を称すれば、不肖者と雖も之を慕うを知る。之を説ぶ者は衆く而して之を用うる者は寡く、之を慕う者は多く而して之を行う者は少なし。然る所以の者は、物に掔かれ俗に繋がればなり。故に曰く、我無為にして民自ら化し、我無事にして民自ら富み、我静を好みて民自ら正しく、我無欲にして民自ら樸なり。清静とは徳の至りなり、柔弱とは道の用なり、虚無恬愉とは万物の祖なり。三者行わるれば則ち無形に淪む。無形とは、一の謂いなり。一とは、無心にして天下に合するなり。
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文子・微明老子曰く、凡そ人の道は、心は小ならんと欲し、志は大ならんと欲し、智は円ならんと欲し、行は方ならんと欲し、能は多からんと欲し、事は少なからんと欲す。所謂心の小ならんと欲するは、患いの未だ生ぜざるを慮り、禍を戒め微を慎み、敢えて其の欲を縦にせざるなり。志の大ならんと欲するは、万国を兼ね包み、殊俗を一斉にし、是非輻輳して、中ごろ之が轂と為るなり。智の円なるは、終始端無く、方に流れて四遠、淵泉にして竭きざるなり。行の方なるは、直立して撓まず、素白にして汙れず、窮しても操を易えず、達しても志を肆にせざるなり。能の多きは、文武備え具わり、動静儀に中り、挙錯廃置、曲さに其の宜しきを得るなり。事の少なきは、要に乗りて以て衆に偶し、約を執りて以て広きを治め、静に処りて以て躁を持するなり。故に心の小なる者は、微を禁ずるなり。志の大なる者は、懐かざる無きなり。智の円なる者は、知らざる無きなり。行の方なる者は、為さざる有るなり。能の多き者は、治めざる無きなり。事の少なき者は、持つ所を約にするなり。故に聖人の善に於けるや、小にして行わざる無く、其の過ちに於けるや、微にして改めざる無し。行いて巫覡を用いざるも鬼神敢えて先んぜず、至貴と謂うべし。然れども戦戦慄慄として、日に一日を慎む。是を以て無為にして一の成るなり。愚人の智は、固より已に少なきに、為す所の事又た多し。故に動けば必ず窮す。故に政を以て化を教うるは、易くして必ず成り、邪を以て化を教うるは、其の勢い難くして必ず敗る。其の易くして必ず成るを捨て、難くして必ず敗るに従事するは、愚惑の致す所なり。
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