文子 / 九守
老子曰:上聖法天,其次尚賢,其下任臣,任臣者危亡之道也,尚賢者癡惑之原也,法天者治天地之道也,虛靜為王,虛無不受,靜無不持,知虛靜之道,乃能終始,故聖人以靜為治,以動為亂,故曰勿撓勿纓,萬物將自清,勿驚勿駭,萬物將自理,是謂天道也。
新字:老子曰:上聖法天,其次尚賢,其下任臣,任臣者危亡之道也,尚賢者痴惑之原也,法天者治天地之道也,虚静為王,虚無不受,静無不持,知虚静之道,乃能終始,故聖人以静為治,以動為乱,故曰勿撓勿纓,万物将自清,勿驚勿駭,万物将自理,是謂天道也。
書き下し
老子曰く、上聖は天に法り、其の次は賢を尚び、其の下は臣に任ず。臣に任ずるは危亡の道なり、賢を尚ぶは癡惑の源なり、天に法るは天地を治むるの道なり。虚静を王と為し、虚は受けざる無く、静は持たざる無し。虚静の道を知れば、乃ち能く終始す。故に聖人は静を以て治と為し、動を以て乱と為す。故に曰く、撓す勿れ纓す勿れ、万物将に自ら清まんとす、驚かす勿れ駭かす勿れ、万物将に自ら理まらんとす、是を天道と謂うなり、と。
現代語訳
老子は言う。最上の聖人は天に則り、その次は賢者を尊び、その下は臣下に任せる。臣下に任せるのは滅びに至る道であり、賢者を尊ぶのは迷いの源であり、天に則るのは天地を治める道である。虚静を王とし、虚であれば受け入れないものがなく、静であれば保てないものがない。虚静の道を知れば、始めから終わりまでやり通せる。だから聖人は静かであることを治とし、動くことを乱とする。そこで言う。かき乱すな、からめとるな、万物はおのずから清まろうとする。驚かすな、おびやかすな、万物はおのずから治まろうとする。これを天道という、と。
解説
守法の段は、統治の三段階を示します。天に則る、賢者を尊ぶ、臣下に任せる、の順に格が下がり、後ろの二つには「危亡の道」「癡惑の源」と厳しい評価がつきます。人に任せることを危ういとするのは意外ですが、ここでの眼目は人事ではなく、手を出さないことで自ずから整う、という考えです。「撓す勿れ纓す勿れ」は、組織が混乱しているときに、介入を増やすほど悪くなる場面があることを思い出させます。静かに様子を見る勇気を、管理職の技術として位置づけ直せます。
この章句が説くこと
虚静を王と為し撓す勿れ纓す勿れ聖人は静を以て治と為し守法虚静無為
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