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文子 / 九守

老子曰:人受氣於天者,耳目之於聲色也,鼻口之於芳臭也,肌膚之於寒溫也,其情一也,或以死,或以生,或為君子,或為小人,所以為制者異。神者智之淵也,神清則智明,智者心之府也,智公則心平,人莫鑒於流潦而鑒於澄水,以其清且靜也,故神清意平乃能形物之情,故用之者必假於不用也。夫鑒明者則塵垢不汙也,神清者嗜欲不誤也,故心有所至,則神慨然在之,反之於虛,則消躁藏息矣,此聖人之遊。故治天下者,必達性命之情而後可也。

新字:老子曰:人受気於天者,耳目之於声色也,鼻口之於芳臭也,肌膚之於寒温也,其情一也,或以死,或以生,或為君子,或為小人,所以為制者異。神者智之淵也,神清則智明,智者心之府也,智公則心平,人莫鑒於流潦而鑒於澄水,以其清且静也,故神清意平乃能形物之情,故用之者必仮於不用也。夫鑒明者則塵垢不汚也,神清者嗜欲不誤也,故心有所至,則神慨然在之,反之於虚,則消躁蔵息矣,此聖人之遊。故治天下者,必達性命之情而後可也。

書き下し

老子曰く、人の気を天に受くるは、耳目の声色に於ける、鼻口の芳臭に於ける、肌膚の寒温に於けるが如く、其の情は一なり。或いは以て死し、或いは以て生き、或いは君子と為り、或いは小人と為るは、制を為す所以の者の異なればなり。神は智の淵なり、神清ければ則ち智明らかなり。智は心の府なり、智公なれば則ち心平らかなり。人は流潦に鑑みずして澄水に鑑みるは、其の清く且つ静かなるを以てなり。故に神清く意平らかにして、乃ち能く物の情を形す。故に之を用うる者は必ず不用を仮る。夫れ鑑明らかなる者は則ち塵垢も汚さず、神清き者は嗜欲も誤らざるなり。故に心の至る所有れば、則ち神慨然として之に在り、之を虚に反せば、則ち躁を消し息を蔵す。此れ聖人の遊びなり。故に天下を治むる者は、必ず性命の情に達して而る後に可なり。

現代語訳

老子は言う。人が天から気を受けることは、耳や目が音や色を受け、鼻や口が香りや臭いを受け、肌が寒さや暖かさを受けるのと同じで、その性質は一つである。それなのに、ある者は死に、ある者は生き、ある者は君子となり、ある者は小人となるのは、その制し方が違うからである。神は智の淵であり、神が清ければ智は明らかになる。智は心の蔵であり、智が公平であれば心は平らかになる。人が流れ水に映さず、澄んだ水に映すのは、それが清らかで静かだからである。だから神が清く意が平らかであって、はじめて物のありのままを映し出せる。それゆえ、用いる者は必ず用いないことを借りる。鏡が明らかであれば塵や垢も汚せず、神が清ければ欲も誤らせない。だから心が向かうところがあるときは、神は勢いよくそこに在り、それを虚に帰すなら、あわただしさは消え、息は静まる。これが聖人の遊びである。だから天下を治める者は、必ず性と命の実情に達してから行うのがよい。

解説

守清の段は水面の比喩で進みます。濁った流れでは姿が映らないように、神が清く静かでなければ物の実情は見えません。注目したいのは「之を用うる者は必ず不用を仮る」で、働かせる者は働かせない時間を借りる、という逆説です。休息は働きの対極ではなく、働きの条件だという見方です。休まず頭を使い続けている人ほど、判断の質は落ちているかもしれません。会議や案件のあいだに何も入れない余白を置くことは、怠けではなく道具の手入れにあたります。

この章句が説くこと

人は流潦に鑑みずして澄水に鑑みる之を用うる者は必ず不用を仮る神清ければ則ち智明らかなり守清虚静

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