文子 / 精誠
老子曰:大道無為,無為即無有,無有者,不居也,不居者即處無形,無形者不動,不動者無言也,無言者即靜而無聲無形,無聲無形者,視之不見,聽之不聞,是謂微妙,是謂至神,“綿綿若存”,“是謂天地根。”道無形無聲,故聖人強為之形,以一句為名天地之道。大以小為本,多以少為始,天子以天地為品,以萬物為資,功德至大,勢名至貴,二德之美與天地配,故不可不軌大道以為天下母。
新字:老子曰:大道無為,無為即無有,無有者,不居也,不居者即処無形,無形者不動,不動者無言也,無言者即静而無声無形,無声無形者,視之不見,聴之不聞,是謂微妙,是謂至神,“綿綿若存”,“是謂天地根。”道無形無声,故聖人強為之形,以一句為名天地之道。大以小為本,多以少為始,天子以天地為品,以万物為資,功徳至大,勢名至貴,二徳之美与天地配,故不可不軌大道以為天下母。
書き下し
老子曰く、大道は無為なり。無為なれば即ち無有なり。無有とは居らざるなり。居らざるものは即ち無形に処る。無形なるものは動かず。動かざるものは言無し。言無きものは即ち静にして声無く形無し。声無く形無きものは、之を視れども見えず、之を聴けども聞こえず。是を微妙と謂い、是を至神と謂う。「綿綿として存するが若し」、「是を天地の根と謂う」。道は形無く声無し。故に聖人強いて之が形を為し、一句を以て名として天地の道と為す。大は小を以て本と為し、多は少を以て始めと為す。天子は天地を以て品と為し、万物を以て資と為す。功徳至大にして、勢名至貴なり。二徳の美、天地に配す。故に大道を軌して以て天下の母と為さざる可からず。
現代語訳
老子は言った。大道は為すことがない。為すことがなければ有ることもない。有ることがないとは、居座らないことである。居座らないものは形のないところに身を置く。形のないものは動かない。動かないものは言葉がない。言葉のないものは静かで声も形もない。声も形もないものは、見ても見えず、聴いても聞こえない。これを微妙といい、至神という。「綿々と続いて存在するかのようである」、「これを天地の根という」。道は形も声もない。だから聖人はあえてそれに形を与え、一句をもって名として天地の道とする。大は小を本とし、多は少を始まりとする。天子は天地を標準とし、万物を資材とする。功徳は至って大きく、勢いと名は至って貴い。この二つの徳の美は天地に並ぶ。だから大道に則って天下の母としないわけにはいかない。
解説
この章句が説くこと
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