文子 / 精誠
老子曰:天不定,日月無所載,地不定,草木無所立,身不寧,是非無所形,是故有真人而後有真智,其所持者不明,何知吾所謂知之非不知與?積惠重貨,使萬民欣欣,人樂其生者,仁也;舉大功,顯令名,體君臣,正上下,明親疏,存危國,繼絕世,立無後者,義也;閉九竅,藏志意,棄聰明,反無識,芒然仿佯乎塵垢之外,逍遙乎無事之業,含陰吐陽而與萬物同和者,德也。是故道散而為德,德溢而為仁義,仁義立而道德廢矣。
新字:老子曰:天不定,日月無所載,地不定,草木無所立,身不寧,是非無所形,是故有真人而後有真智,其所持者不明,何知吾所謂知之非不知与?積恵重貨,使万民欣欣,人楽其生者,仁也;舉大功,顕令名,体君臣,正上下,明親疏,存危国,継絶世,立無後者,義也;閉九竅,蔵志意,棄聰明,反無識,芒然仿佯乎塵垢之外,逍遥乎無事之業,含陰吐陽而与万物同和者,徳也。是故道散而為徳,徳溢而為仁義,仁義立而道徳廃矣。
書き下し
老子曰く、天定まらざれば、日月載する所無く、地定まらざれば、草木立つ所無く、身寧らかならざれば、是非形る所無し。是の故に真人有りて後に真智有り。其の持する所明らかならざれば、何ぞ吾が所謂知の不知に非ざるを知らんや。恵を積み貨を重ね、万民をして欣欣たらしめ、人其の生を楽しむ者は、仁なり。大功を挙げ、令名を顕し、君臣を体し、上下を正し、親疏を明らかにし、危国を存し、絶世を継ぎ、無後を立つる者は、義なり。九竅を閉ざし、志意を蔵し、聡明を棄て、無識に反り、芒然として塵垢の外に仿佯し、無事の業に逍遥し、陰を含み陽を吐きて万物と同和する者は、徳なり。是の故に道散じて徳と為り、徳溢れて仁義と為り、仁義立ちて道徳廃る。
現代語訳
老子は言った。天が定まらなければ、日月は載るところがなく、地が定まらなければ、草木は立つところがなく、身が安らかでなければ、是非は形をなさない。だから真人がいて初めて真の智がある。拠って立つところが明らかでなければ、私のいう知が不知でないと、どうして分かるだろうか。恵みを積み財を重ね、万民を喜ばせ、人々がその生を楽しむ、これは仁である。大功を挙げ、名声を顕し、君臣の秩序を整え、上下を正し、親疏を明らかにし、危うい国を存続させ、絶えた家系を継がせ、後継ぎのない者に後を立てる、これは義である。九つの穴を閉じ、志意を蔵し、聡明さを捨て、無知に帰り、ぼんやりと塵の外にさまよい、無事の営みに逍遥し、陰を含み陽を吐いて万物と調和する、これは徳である。だから道が散じて徳となり、徳があふれて仁義となり、仁義が立てば道徳は廃れる。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』性情才仁斎先生務めて仁義礼智の性に非ざるを言ふ。善く孟子の意を獲と謂ふべきのみ。孟子固より仁義礼智心に根ざすを以て性と為し、仁義礼智を以て性と為すに非ず。然れども其の説、本と内外を争ひ門戸を立つるに出づ。其の告子と之を争ふを観れば、議論泉のごとく湧き、口言を択ばず、務めて人を服して而る後に已む。其の心も亦た安んぞ後世に宋儒の災有るを知らんや。是れ其の褊心の使む所、乃ち其の責を辞する能はざる者有り。夫れ仁智は徳なり。礼義は道なり。皆先王の立つる所なり。孟子も亦た先王人の性に率ひて以て道徳を立つと謂ふのみ。仁斎先生四者を以て徳と為すも、亦た非なり。
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『君子訓』巻之上一世を治むるに大道二あり、文と武となり。文は徳を専らとし、武は威を専らとす。威と徳と二ながら備りて治道なれり。徳なければ人なつかず、威なければ人恐れず。文武の徳なくして、人なつかず、人恐れざれば、怨み、背き、侮り、をかして、世治まらず。仁にして人を愛するは文徳なり。義ありて人を正しくするは武徳なり。もし古事を覚え、詩歌を作るを以て文とし、騎射を習ひ、剣戟をふるを以て武とするは、甚小にして末なり。人の上たる人の学問は、詩を作り文を書き、大和もろこしの故事来歴を多く覚え知る事にはあらず。ただ古聖賢の教をうけて、身を修め人を治むる道を知る、是則君子の学なり。先大学を以て道に入るの門とす。次に論語孟子尚書及大学衍義を考へ知り給ふべし、是身を修め人を治むるに益あり。
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『弁名』義「君臣義有り」と曰ふが如きは、臣を主として之を言ふ。蓋し君は其の全を統ぶる者なり。先王の道は民を安んずるに在り。是を以て仁人に非ずんば則ち道に任ずること能はず。故に曰く、「人君と為りては仁に止まる」と。臣も亦た先王の道に任ずる者なり。然れども君は其の全を統べて、臣は其の分に任ず。各〻官守有り、各〻事とする所有り、千差万別、義に非ずんば則ち能はず。故に義を以て臣の道と為すなり。「子を教ふるに義方を以てす」の如きも、亦た臣の道を教ふるを謂ふなり。各〻官守有りて、彼は此に通ぜず、是れ之を方と謂ふ。唯だ義のみ爾りと為す。論語に曰く、「君子の仕ふるや、其の義を行ふなり」と。又曰く、「義を行ひて以て其の道を達す」と。仕へて以て其の学ぶ所の先王の義を行ふを謂ふなり。
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『五常訓』巻之四・義一尚書に、礼を以て心を制し、義を以て事を制すといへり。礼は敬のみ。敬して心の私曲を制するなり。義を以て事を制すとは、万事を行ふに、其事に宜しく制するなり。制すとは、たとへば長きを断ちてよき程にし、多きをへらしてよき程にするが如し。物を裁判してよきやうにするを云ふ。是仁をたすくるなり。一年の功も、春夏生長するは仁なり。秋冬収蔵するは義なり。収蔵とは、草木零落し、生気をさまりて、根にかへるを云ふ。仁ありて、義なければ、たとへば春夏の生長するばかりにて、秋冬の収蔵なければ、万物成就せざるが如し。子を育つる一事を以ていはば、子を愛するは仁なり。子の悪を戒むるは義なり。愛せざれば、恩なくして他人の如し。愛のみにて戒めざれば、其子不義にながれ、悪におち入りて、わざはひとなる故、姑息して愛するが、かへりてあたとなりて、真の愛にあらず。
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『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・義に過ぐれば固くなる而して又たここに予の、更に此問題に就きて一引証を加ふることを許せ。されば近時独逸皇帝の、コブレンツに於てせる演説の一句を挙げんか。曰く、『神恩によつて王たるものは、之に伴ふ重大なる責任あり。而してひとり、造物主に対して甚大なる責務を有し、人も大臣も国会も、君王をして能く此れより免れしむること能はず』と。仁は温和なる徳なり、母の心なり。端正なる節義、厳厲なる公正を以て男性的なりとせば、仁愛の柔和にして人を服するは、即ち女性的なりと云ふを得べきか。されど仁愛に加ふるに正義を以てせずして、漫に之に流るるは、人の深く戒むべき所にして、伊達政宗の言にも是れあり、『義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる』と。仁は美はしくて又た遍し。
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