文武訓 / 武訓下
一君のため、生ををしまずして戰ひ、死をかろんずるは士卒のことなり。死をかろんぜず、かるがるしく戰はず、生を重んじ命を保つて、敵に勝ちわが軍を敗らざるは、大將のことなり。故に大將の道と、士卒の法と同じからず。大將も士卒も、敵をあなどりて深入するは、不覺といふべし、眞の勇にあらず。長逐すれば、弱敵も、窮鼠却て猫を嚙むのうれへあり。弱敵には殊に恐るべし。勝ち過せばおくれをとることあり。一一時の口論によりて、鬪諍に及ぶは、必ずあらそひよりおこる。あらそひは、人の過言無禮をとがめて堪忍せざるなり。忍べばあらそひなく敵なし、又恥なし。人に對するには、言にも身のふるまひにも禮をあつくして、無禮なるべからず。
新字:一君のため、生ををしまずして戦ひ、死をかろんずるは士卒のことなり。死をかろんぜず、かるがるしく戦はず、生を重んじ命を保つて、敵に勝ちわが軍を敗らざるは、大将のことなり。故に大将の道と、士卒の法と同じからず。大将も士卒も、敵をあなどりて深入するは、不覚といふべし、真の勇にあらず。長逐すれば、弱敵も、窮鼠却て猫を噛むのうれへあり。弱敵には殊に恐るべし。勝ち過せばおくれをとることあり。一一時の口論によりて、闘諍に及ぶは、必ずあらそひよりおこる。あらそひは、人の過言無礼をとがめて堪忍せざるなり。忍べばあらそひなく敵なし、又恥なし。人に対するには、言にも身のふるまひにも礼をあつくして、無礼なるべからず。
書き下し
一君のため、生ををしまずして戦ひ、死をかろんずるは士卒のことなり。死をかろんぜず、かるがるしく戦はず、生を重んじ命を保つて、敵に勝ちわが軍を敗らざるは、大将のことなり。故に大将の道と、士卒の法と同じからず。大将も士卒も、敵をあなどりて深入するは、不覚といふべし、真の勇にあらず。長逐すれば、弱敵も、窮鼠却て猫を噛むのうれへあり。弱敵には殊に恐るべし。勝ち過せばおくれをとることあり。一一時の口論によりて、闘諍に及ぶは、必ずあらそひよりおこる。あらそひは、人の過言無礼をとがめて堪忍せざるなり。忍べばあらそひなく敵なし、又恥なし。人に対するには、言にも身のふるまひにも礼をあつくして、無礼なるべからず。
現代語訳
主君のために命を惜しまず戦い、死を軽んじるのは兵士のことです。死を軽んじず、軽々しく戦わず、命を重んじ保って、敵に勝ち自軍を敗らせないのは大将のことです。だから大将の道と兵士の法とは同じではありません。大将も兵士も、敵を侮って深入りするのは不覚というべきで、本当の勇ではありません。深追いすれば、弱い敵でも追い詰められた鼠が猫をかむような憂いがあります。弱い敵にはことに用心すべきです。勝ちすぎれば遅れを取ることがあります。一時の口論によって喧嘩に及ぶのは、必ず争いから起こります。争いとは、人の言いすぎや無礼をとがめて堪忍しないことです。忍べば争いはなく敵もなく、また恥もありません。人に対しては、言葉にも身の振る舞いにも礼を厚くして、無礼であってはいけません。
解説
この章句が説くこと
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