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文武訓 / 武訓下

一五倫に對して、わが心畏るゝを以て、其道行はる。畏れざれば心ゆるまりおこたりて、道行はれず。或人の曰、吾子がいふ所、おそるゝを以て人倫の道行はるとは、さもあるべし。しかるに兵の道、戰にのぞみておそれなば、兵よわくして敵に勝つことかたかるべし。いかんぞや。答へて曰、戰におそれざれば敵に勝つことなし。古の良將は、戰はざるさきにおそれて、敵の兵の多少と强弱を考へ知り、身方の强弱をかんがへ知る。兵の道ををしへ、兵具兵粮をとゝのへ、諸司と評定し、敵に勝つべき計をきはめ、負くべき理なくして出陣し、戰にのぞんでは、おそれつゝしんで、計を出し、士卒の心を一にして、敵をくじきやぶる。是敵に勝つの道は、おそるゝを以て專とす。されば孔子も子路をいましめて、三軍を行ふ道は、暴虎馮河のおそれざるわざをきらひ給ひ、事に臨んでおそれ、謀を好みてなさん人に與し給はんよしを告げたまふ。しかれば軍法は、事におそるゝを以て本とすべし。畏るゝとは、つゝしんで用心するをいへり。勇氣なく、臆病にておそるゝにあらず。

新字:一五倫に対して、わが心畏るゝを以て、其道行はる。畏れざれば心ゆるまりおこたりて、道行はれず。或人の曰、吾子がいふ所、おそるゝを以て人倫の道行はるとは、さもあるべし。しかるに兵の道、戦にのぞみておそれなば、兵よわくして敵に勝つことかたかるべし。いかんぞや。答へて曰、戦におそれざれば敵に勝つことなし。古の良将は、戦はざるさきにおそれて、敵の兵の多少と強弱を考へ知り、身方の強弱をかんがへ知る。兵の道ををしへ、兵具兵粮をとゝのへ、諸司と評定し、敵に勝つべき計をきはめ、負くべき理なくして出陣し、戦にのぞんでは、おそれつゝしんで、計を出し、士卒の心を一にして、敵をくじきやぶる。是敵に勝つの道は、おそるゝを以て専とす。されば孔子も子路をいましめて、三軍を行ふ道は、暴虎馮河のおそれざるわざをきらひ給ひ、事に臨んでおそれ、謀を好みてなさん人に与し給はんよしを告げたまふ。しかれば軍法は、事におそるゝを以て本とすべし。畏るゝとは、つゝしんで用心するをいへり。勇気なく、臆病にておそるゝにあらず。

書き下し

一五倫に対して、わが心畏るるを以て、其道行はる。畏れざれば心ゆるまりおこたりて、道行はれず。或人の曰、吾子がいふ所、おそるるを以て人倫の道行はるとは、さもあるべし。しかるに兵の道、戦にのぞみておそれなば、兵よわくして敵に勝つことかたかるべし。いかんぞや。答へて曰、戦におそれざれば敵に勝つことなし。古の良将は、戦はざるさきにおそれて、敵の兵の多少と強弱を考へ知り、身方の強弱をかんがへ知る。兵の道ををしへ、兵具兵粮をととのへ、諸司と評定し、敵に勝つべき計をきはめ、負くべき理なくして出陣し、戦にのぞんでは、おそれつつしんで、計を出し、士卒の心を一にして、敵をくじきやぶる。是敵に勝つの道は、おそるるを以て専とす。されば孔子も子路をいましめて、三軍を行ふ道は、暴虎馮河のおそれざるわざをきらひ給ひ、事に臨んでおそれ、謀を好みてなさん人に与し給はんよしを告げたまふ。しかれば軍法は、事におそるるを以て本とすべし。畏るるとは、つつしんで用心するをいへり。勇気なく、臆病にておそるるにあらず。

現代語訳

五倫(人との五つの関係)に向き合うとき、自分の心が畏れることによって、その道は行われます。畏れなければ心がゆるんで怠り、道は行われません。ある人が言いました。「あなたの言う、畏れることで人倫の道が行われるというのは、そうでしょう。しかし兵の道では、戦に臨んで恐れたなら、兵は弱くなって敵に勝つのは難しいでしょう。どうですか。」答えて言いました。「戦を畏れなければ敵に勝つことはありません。昔の良将は、戦う前に畏れて、敵の兵の数と強弱を考えて知り、味方の強弱も考えて知りました。兵に戦の道を教え、武具や兵糧を整え、諸役と評議し、敵に勝つ計略を突き詰め、負けるはずのない形にしてから出陣し、戦に臨んでは畏れ慎んで計略を出し、兵士の心を一つにして敵を打ち破りました。つまり敵に勝つ道は、畏れることを第一とします。だから孔子も子路を戒めて、大軍を率いる道として、虎に素手で挑み大河を歩いて渡るような恐れを知らない振る舞いを嫌い、事に臨んで畏れ、謀を好んで成し遂げる人にこそ味方しようとおっしゃいました。ですから軍法は、事を畏れることを根本とすべきです。畏れるとは、慎んで用心することをいいます。勇気がなく臆病で恐れることではありません。」

解説

戦に勝つには「畏れ」が要るという、一見逆説的な主張です。益軒の言う畏れは臆病ではなく、相手と自分を冷静に見積もり、準備を尽くす慎重さのことです。論語で孔子が子路に「暴虎馮河して死して悔いなき者とは与にせず、事に臨みて懼れ、謀を好みて成す者なり」と語った言葉が根拠になっています。現代でも、大きな商談や手術、試験の前に怖さを感じる人ほど準備を重ねます。怖れを消すのではなく、用心に変えて使うことが勝ちにつながるのです。

この章句が説くこと

畏れ慎み準備勇気兵法孔子

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