文武訓 / 文訓下之末
一日の本は、もと溫和慈愛の國なる故に、和歌も溫雅にして情ふかし。其上精しく巧なること、もろこしの詩にもおとるべからず。和文も亦しかり。然らば學者も、なるべきほどは和歌を學び、和文を作るべし。是わが國の風俗土宜にかなひて、國風にそむかざるなり。わが國に生れて、和歌和文をすてて、もろこしの風を專につくること、わが國にそむけり。其つみふかし。わがともがらは才つたなくて、やまともろこしの才なければ、からやまとの詩文歌詞をつくることかなはず。其道理をいはば、おそらくはかくの如くなるべし。
新字:一日の本は、もと温和慈愛の国なる故に、和歌も温雅にして情ふかし。其上精しく巧なること、もろこしの詩にもおとるべからず。和文も亦しかり。然らば学者も、なるべきほどは和歌を学び、和文を作るべし。是わが国の風俗土宜にかなひて、国風にそむかざるなり。わが国に生れて、和歌和文をすてて、もろこしの風を専につくること、わが国にそむけり。其つみふかし。わがともがらは才つたなくて、やまともろこしの才なければ、からやまとの詩文歌詞をつくることかなはず。其道理をいはば、おそらくはかくの如くなるべし。
書き下し
一日の本は、もと温和慈愛の国なる故に、和歌も温雅にして情ふかし。其上精しく巧なること、もろこしの詩にもおとるべからず。和文も亦しかり。然らば学者も、なるべきほどは和歌を学び、和文を作るべし。是わが国の風俗土宜にかなひて、国風にそむかざるなり。わが国に生れて、和歌和文をすてて、もろこしの風を専につくること、わが国にそむけり。其つみふかし。わがともがらは才つたなくて、やまともろこしの才なければ、からやまとの詩文歌詞をつくることかなはず。其道理をいはば、おそらくはかくの如くなるべし。
現代語訳
日本はもともと温和で慈愛の国なので、和歌も温雅で情が深いのです。そのうえ精しく巧みなことは、中国の詩にも劣りません。和文もまたそうです。それならば学者も、できるだけ和歌を学び、和文を作るべきです。これはわが国の風俗と土地柄にかなって、国の風にそむかないことです。わが国に生まれて、和歌・和文を捨てて、中国の風のものばかり作るのは、わが国にそむいています。その罪は深いのです。私たちは才能が拙くて、日本と中国の両方の才がないので、中国や日本の詩文や歌を作ることができません。その道理を言えば、おそらくこのようなものでしょう。
解説
この章句が説くこと
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