文武訓 / 文訓下之末
一近世の學者は、理學に執滯して、今世の時宜を知らず。日本の風俗にそむき、もろこしの古禮を、用捨なく今の世に行はんとするはひがごとなり。一後世の儒者、いまだ見識なくして、みだりに佛をそしり人と爭ふは、ひが事なり。只わが知るべきことを知り、行ふべきことを行ふべし。人と爭ふは害ありて益なし、深く戒むべし。只わが身をあつくして、人をそしるべからず。朱子、みだりに佛をそしり人と爭ふことを、甚にくみいやしめらる。
新字:一近世の学者は、理学に執滞して、今世の時宜を知らず。日本の風俗にそむき、もろこしの古礼を、用捨なく今の世に行はんとするはひがごとなり。一後世の儒者、いまだ見識なくして、みだりに仏をそしり人と争ふは、ひが事なり。只わが知るべきことを知り、行ふべきことを行ふべし。人と争ふは害ありて益なし、深く戒むべし。只わが身をあつくして、人をそしるべからず。朱子、みだりに仏をそしり人と争ふことを、甚にくみいやしめらる。
書き下し
一近世の学者は、理学に執滞して、今世の時宜を知らず。日本の風俗にそむき、もろこしの古礼を、用捨なく今の世に行はんとするはひがごとなり。一後世の儒者、いまだ見識なくして、みだりに仏をそしり人と争ふは、ひが事なり。只わが知るべきことを知り、行ふべきことを行ふべし。人と争ふは害ありて益なし、深く戒むべし。只わが身をあつくして、人をそしるべからず。朱子、みだりに仏をそしり人と争ふことを、甚にくみいやしめらる。
現代語訳
近ごろの学者は、理学にこだわって、今の世の時宜を知りません。日本の風俗にそむき、中国の古い礼を、取捨もせずに今の世に行おうとするのは誤りです。後世の儒者が、まだ見識もないのに、みだりに仏教をそしり、人と争うのは誤りです。ただ自分の知るべきことを知り、行うべきことを行うべきです。人と争うのは害があって益がありません。深く戒めるべきです。ただ自分の身を厚く修めて、人をそしってはいけません。朱子も、みだりに仏教をそしり人と争うことを、ひどく憎みいやしまれました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『文武訓』文訓下一日本の人、むかし今、仏をたふとびて仏を念じ、仏経を読みて成仏せんことを、実心に好む人多し。世間に、聖人の書をよみて、聖人のたふとぶべきことを知れる人、また古今に多し。しかれども、聖人の道を実心にこのみて、わが身のひがごとをあらため、聖人にならんとおもへる人一人もなし。成仏をねがふ人に及ばず。是、いかにしてか斯くの如くなるや。学者みづから恥づべし。
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『文武訓』文訓下一儒とは学者の称といへば、本邦近世の書生をも儒者と称すべきか。其儒者の内、其性と習により、学術の品各かはれり。詩文章を専つとめとし、奇異の文字をこのみ、詞をかざれる学あり。もし心を用ふることくはしからず、其学びやうよからざれば、其好んでつとむること久しけれど、其文詞つたなきあり。又近世の儒に、文学つたなくいやしく、殊に異学をまじへて正道を知らざれども、其守約に、其素行頗よくして、俗学にまされるあり。されど、聖賢の書多くよまざれば、道理にくらくして学術よからず。正理を知らでみづからほこる儒あり。又程朱の書を信じて、学術雑ならず、其制行も頗謹みて正なれど、聰明たらず、義理にくらくして通ぜず、訓詁になづみて、かへつてみづからほこり人にたかぶりて、人に対するに刻薄にして、善をこのまず仁愛すくなく、古礼にかかはりて、当世の時宜を知らざる儒あり。
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『慎思録』巻之六身に清福有りて、楽境に当たる者、苟も享けて之を保つこと能はずば、薄福の人と謂ふべし。朱子、李深卿に答ふる書に曰く、夫れ儒釈正邪の異は、未だ口舌を以て争ひ易からず。但だ見得て分明なれば、則ち事に触れて弁ずべしと。又胡寛夫に答ふる書に曰く、人と釈氏の長短を弁論すること勿かれ。自家未だ見る所有らざれば、它を判断し得ず。況んや自家の合に做すべき底の緊切の工夫を廃却して、却つて人と一場の閑口舌を争ふをや。損有りて益無し。尤も当に深く戒むべしと。篤信謂ふ、朱子の此の言、最も理有りと覚ゆ。吾の敢へて儒仏邪正の論を做さざる所以なり。
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『文武訓』文訓下之末一学者、無用のことをば多く知りて、有用のことを知らざること多し。有用の事をばなさずして、無用のことをなすこと多し。おやにうとくして他人の交したしきあり、急なることはさし置きて、不急なることをつとむ。聖賢の書はつねに読まず、雑書を多く読む。日本の書にうとく、中夏の古事を専に知る、皆是本末緩急を失へり。
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『文武訓』文訓下之末一学問などの道理を人に説くに、其人の識見いまだ至らず、或は、学力よわき人に対して、高く深きこと説くべからず。博学なる人も或は聰明ならず。其学術悪しく、又蔽固にして、教にかかはれる人に、高深なることを説けば、わが説を心得ず信ぜずしてそしりあざける。凡かやうのこと其事を歴ざれば、其禍ある事を知らず。
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『文武訓』文訓下一不学なる人、或は、書をよんでも粗学なる人は、人の言行の善悪を評論し、又人の作れる詩文章のよしあしを評論すること、多くは理にあたらず。学問なく不智にして、人の是非を評することなかれ。おろかなる人は、事の善悪をしらず、只人のいふことを信じてまよひ、みだりに褒めそしること多し。是非を知らざる人のいふことを信じて迷ひ、みだりに褒めそしるべからず。凡不智にして人の是非をいふことは、理にあたらずひが事多し。又少し書をよんで、みづから是としてわが才智にほこり、人のよしあしを褒めそしることをこのむは、智なきが故なり。
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