文武訓 / 文訓下之末
一湯桶文字といふは、和俗文學にうとき故に、音と訓とを一にあはせて、物の名にもことばにも書きつゞくるをいふ。湯は訓なり、桶は音なり。訓と音とを合せて、ゆをけに名づけたり。猶かくのごとく、あやまりて名づけしもの多し。
新字:一湯桶文字といふは、和俗文学にうとき故に、音と訓とを一にあはせて、物の名にもことばにも書きつゞくるをいふ。湯は訓なり、桶は音なり。訓と音とを合せて、ゆをけに名づけたり。猶かくのごとく、あやまりて名づけしもの多し。
書き下し
一湯桶文字といふは、和俗文学にうとき故に、音と訓とを一にあはせて、物の名にもことばにも書きつづくるをいふ。湯は訓なり、桶は音なり。訓と音とを合せて、ゆをけに名づけたり。猶かくのごとく、あやまりて名づけしもの多し。
現代語訳
湯桶文字(湯桶読み)というのは、わが国の人が文字の学問にうといために、音と訓とを一つに合わせて、物の名にも言葉にも書き続けるものをいいます。「湯」は訓で、「桶」は音です。訓と音とを合わせて「ゆをけ(ゆとう)」と名づけたのです。このように誤って名づけたものが多くあります。
解説
「湯桶(ゆとう)」のように、上の字を訓で、下の字を音で読む熟語を湯桶読みといいます。反対が「重箱(じゅうばこ)」読みです。益軒は、音と訓を混ぜるのは漢字の学問にうといために生じた誤りだと見ています。今では湯桶読みも重箱読みも日本語として定着しており、誤りとはされませんが、言葉の成り立ちに注意を向ける益軒の姿勢は学ぶ価値があります。ふだん使う言葉がどう作られたかを知ると、日本語への理解と愛着が深まります。
この章句が説くこと
言葉漢字音訓国語湯桶
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