文武訓 / 文訓下之末
一道理なきことを、見聞きして信ずるは愚なり。理なきいつはりごとを、まことと心得てみだりに信ずるは、知なきが故なり。又理あることを知らずして信ぜざるは、尤愚なり。理あるすぢを以て、いつはりて人をあざむくは、智者も欺かるゝことあり。
書き下し
一道理なきことを、見聞きして信ずるは愚なり。理なきいつはりごとを、まことと心得てみだりに信ずるは、知なきが故なり。又理あることを知らずして信ぜざるは、尤愚なり。理あるすぢを以て、いつはりて人をあざむくは、智者も欺かるることあり。
現代語訳
道理のないことを見聞きして信じるのは愚かです。道理のない偽りごとを本当と思い込んでみだりに信じるのは、知恵がないからです。また道理のあることを知らずに信じないのは、なおさら愚かです。道理のありそうな筋道を使って偽って人をだますときは、知恵ある人でもだまされることがあります。
解説
短いながら、ものを信じる態度についての鋭い指摘です。根拠のない話を信じるのは愚かだが、道理のあることを疑って信じないのはもっと愚かだと益軒は言います。そして、もっともらしい理屈で包まれたうそには賢い人でもだまされると警告します。現代の詐欺やデマ、偽の健康情報はまさにこの形をとります。疑うべきものを疑い、信じるべきものを信じるには、道理そのものを確かめる習慣が要ります。情報社会を生きる私たちへの戒めです。
この章句が説くこと
智信道理判断詐欺
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『十善法語』巻第四・不妄語戒又春秋ノ時。晋ノ荀吳鼓ヲ囲ム。鼓城ノ一人城ヲヒキヰ降ント請フ。穆子コレヲ許サス。左右ノ者ミナ云。兵ヲ労セズシテ城ヲ獲ル。何故許ササル。穆子曰。若是ヲ受テ賞ヲ行ハハ不忠不義ヲ賞スルニナラン。若コレヲ受テ賞セネハ信ヲ失フ。二途倶ニ道ニソムクト。使ヲツカハシテ叛人ノ名ヲ鼓城ニ告テ刑セシム。後三月鼓人降ント請。穆子曰。姑ク汝カ城ヲ守レ。猶食色有ト。軍吏曰。今日不義ナラス。民ヲ労セスシテ城ヲ獲ルニ。何故許ササルト穆子曰。彼未タ力尽ズシテ降ルハ怠ナリ。怠ヲ買ハ道全カラスト其後鼓人力竭食尽ルト告ク。鼓ニ克チ軍ヲ全シテ。一人ヲモ戮セスト。此等モ面白キ事実シヤ。
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『五常訓』巻之五・信若かろがろしくうけ合ひて、後日に其義にあたらざれば、約を守りがたくして、前言いつはりとなり、信をうしなふ。一たび言ひかはし約束したる事をちがへて、其首尾あはず、いつはりとなるは、是恥づべき事甚し。人にあらずと思ふべし。若あやまりて、義にあはざる事をうけあはば、其不義と不信との軽重を考へて、宜にしたがふべし。いにしへ、尾生と云ふ者、人と約して、其所にまつに、大水出来れども、約したる所を去らで、つひにおぼれ死す。是小信にかかはりて、身を失ふ。愚と云ふべし。又身をすてても、信を守るべき事あり。時宜によるべし。孟子曰く、大人は、言必ずしも信ならず、惟義の在る所のみ。大人は大徳ある人なり。言に信を期せず、唯義をかんがへ行ひて、自ら信を失はずとなり。
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国語・晋語三恵公既に位に即き、乃ち秦の賂に背く。丕鄭をして秦に聘せしめ、且つ之を謝せしむ。而して里克を殺して曰く、「子二君と一大夫とを殺す。子の君為る者は、亦難からずや」と。 丕鄭秦に如きて賂を緩くするを謝し、乃ち穆公に謂いて曰く、「君厚く問いて以て呂甥・郤称・冀芮を召して之を止め、師を以て公子重耳を奉ぜよ。臣の属内に作(おこ)らば、晋君必ず出でん」と。穆公泠至(れいし)をして報問せしめ、且つ三大夫を召す。鄭や客と将に事を行わんとす。冀芮曰く、「鄭の使いは薄くして報いは厚し。其の我を秦に言うや、必ず我を誘わしめん。殺さずんば、必ず難を作さん」と。是の故に丕鄭及び七輿大夫、共華(きょうか)・賈華・叔堅(しゅくけん)・騅歂(すいせん)・纍虎(るいこ)・特宮(とくきゅう)・山祁(さんき)を殺す。皆里・丕の党なり。丕豹(ひひょう)秦に出奔す。 丕鄭の秦より反るや、里克の死を聞き、共華に見えて曰く、「以て入るべきか」と。共華曰く、「二三子皆在りて及ばず。子は秦に使いす、可なり」と。丕鄭入り、君之を殺す。共賜(きょうし)共華に謂いて曰く、「子行かんか。其れ及ばん」と。共華曰く、「夫子の入るは、吾が謀なり。将に待たんとす」と。賜曰く、「孰か之を知らん」と。共華曰く、「不可なり。知りて之に背くは不信なり。謀りて人を困しむるは不智なり。困しみて死せざるは無勇なり。大悪三を任(にな)いて、行くとも将に安(いず)くにか入らん。子其れ行け、我は姑(しばら)く死を待たん」と。 丕鄭の子を豹と曰う。秦に出奔し、穆公に謂いて曰く、「晋君大いに其の衆を失う。君の賂に背き、里克を殺して、処る者を忌む。衆固より説(よろこ)ばず。今又臣の父及び七輿大夫を殺す。此れ其の党国に半ばす。君若し之を伐たば、其の君必ず出でん」と。穆公曰く、「衆を失わば安んぞ能く人を殺さん。且つ夫れ禍は唯だ斃(たお)るること無くんば、足る者は処らず、処る者は足らず、勝敗化するが若し。禍を以て違(さ)るも、孰か能く君を出ださん。爾(なんじ)我を俟て」と。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上此仏有ルコトヲ信スレハ。的ヲ見テ矢ヲ発ツ如ク。孜孜トシテ善ヲ作シテ止ヌ。元来平等法性ノ中ニ。此仏ヲ信スレハ。此心即仏心ト云ヘシ。此場処省発モ入ラヌ。悟モイラヌ。教相判釈モイラヌ。文章利口モイラヌコトシヤ。此仏トナルヘキ道ヲ法ト名ル。其道ヲ行フ人ヲ菩薩ト名ツク。此道ヲ守護スル者ヲ諸天神祇ト名クルコトシヤ。此神祇有ルコトヲ信スレハ。タトヒ小根劣機ノ者モ。人シラヌ心ノ内ニモ。悪事ハ思ハレヌ。マシテ悪事ハナサレヌ。人ト云モノハ習ハセニ由ル。善ヲ習ヘハ善ニウツル。此習カ性トナリ。此善カ我心身トナル。天神ニ事テ天神ノ徳ヲ我身ニ全クスル。地水火風ノ四大神ヲ祭テ四大ノ徳ヲ全クスル。此徳ヲ全クスル時節カ聖賢ノ地位ニ入ルヘキ時節ソ。支那国ノ古書ニ。歴代王者ノ五行ノ徳ヲ述ル。是モナキコトニ非ス。天下ヲ掌握ノ中ニ全クスル人ハ。自ラ四大五行ノ徳アルヘシ。万般唯信アル者ト共ニ言フヘキコトシヤ。
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論語・学而篇有子曰く、「信義に近ければ、言復む可きなり。恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかるなり。因りて其の親を失わざれば、亦宗とす可きなり。」
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『呻吟語』内篇・問學・第一に信を體するを要す我は我を信じ得過ぐるも、人は未だ必ずしも我を信じ得過ぎず。故に君子は嫌を避く。若し正大光明の心を以てすること青天白日の如く、又た至誠惻怛の意を以てすること火の熱く水の寒きが如くんば、何の嫌か避く可けん。故に君子の學問は第一に信を體するを要す。只だ信じ了はらば、天下に些子の事無し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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