文武訓 / 文訓下之末
一學のすぢを學術といふ。書を讀み學をする人は、同じく聖賢の書をよめども、世の中の學術正なると偏なるとさまざまあり。初めて書をよむより、此心得ありて、よくえらびて、あしき學術をば學ぶべからず。同じく聖賢の書をよみて、おのれはよしとおもへど、かへつて道にそむける惡しき學術あり。みづからあやまるのみならず、おほく人をあやまるはうれふべし。聖人の言、及人情と時宜とにそむけるは、學術あしきなり。よくえらぶべし。
新字:一学のすぢを学術といふ。書を読み学をする人は、同じく聖賢の書をよめども、世の中の学術正なると偏なるとさまざまあり。初めて書をよむより、此心得ありて、よくえらびて、あしき学術をば学ぶべからず。同じく聖賢の書をよみて、おのれはよしとおもへど、かへつて道にそむける悪しき学術あり。みづからあやまるのみならず、おほく人をあやまるはうれふべし。聖人の言、及人情と時宜とにそむけるは、学術あしきなり。よくえらぶべし。
書き下し
一学のすぢを学術といふ。書を読み学をする人は、同じく聖賢の書をよめども、世の中の学術正なると偏なるとさまざまあり。初めて書をよむより、此心得ありて、よくえらびて、あしき学術をば学ぶべからず。同じく聖賢の書をよみて、おのれはよしとおもへど、かへつて道にそむける悪しき学術あり。みづからあやまるのみならず、おほく人をあやまるはうれふべし。聖人の言、及人情と時宜とにそむけるは、学術あしきなり。よくえらぶべし。
現代語訳
学問の筋道を学術といいます。書を読み学問をする人は、同じく聖賢の書を読んでも、世の中の学術には正しいものと偏ったものがさまざまあります。初めて書を読むときからこの心得を持って、よく選び、悪い学術を学んではいけません。同じく聖賢の書を読んで、自分では良いと思っても、かえって道にそむく悪い学術があります。自分が誤るだけでなく、多くの人を誤らせるのは憂うべきことです。聖人の言葉、そして人情と時宜とにそむくのは、学術が悪いのです。よく選ぶべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之一・総論知りがたきは、よく学びざればなり。行ひがたきは、人欲にほださるればなり。是道の知りがたく行ひがたき故なり。人欲にしたがひ、邪曲を行ふは、たとへば闇の夜に、道もなき荊棘の中をわけ行き、溝渠を越えて行くが如し。危くして行ひがたし。聖人の道を行ふは、たとへば白昼に大道を行くが如し。明かにして行ひやすし。
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『神皇正統記』巻二 第十六代 応神天皇此故に古の聖人、「道は須臾もはなるべからず。はなるべきは道にあらず。」と云けり。但其の末を学びて源を明めざれば、ことにのぞみて覚えざる過あり。其源と云は、心に一物をたくはへざるを云ふ。しかも虚無の中に留るべからず。天地あり、君臣あり。善悪の報影響の如し。己が欲をすて、人を利するを先として、境々に対すること、鏡の物を照すが如く、明々として迷はざらんを、まことの正道と云べきにや。代くだれりとて自ら苟むべからず。天地の始は今日を始とする理なり。加之、君も臣も神をさること遠からず。常に冥の知見をかへりみ、神の本誓をさとりて、正に居せんことを心ざし、邪なからんことを思給べし。
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孟子・滕文公章句下穴隙を鑽るの類と与にするなり。」
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言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
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論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
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歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
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