文武訓 / 文訓下之末
一小學の書、註多し。朱子本註は去るべからず。諸註に是を去るは何ぞや。陳選が句讀、王雲鳳が章句を可とす。されども、句讀には、小學の本旨にそむける事多し。王雲鳳が章句猶まされり。所謂後出のもの巧なればなり。近年は、もはら句讀を世こぞりて用ふ。陳選はまことに賢儒なれども、其あやまりには從ひがたし。立敎の初に、朱子中庸の卷首を引用ひられしは、聖人敎を立つるの本意を知らしめんとなり。しかれば只、其字義を淺く說きたらば、小子のためさとしやすかるべし。然るに句讀に、中庸の章句をそのまゝもち來りて、說きて高深をきはむ。かゝる高深なる事を說ききかせば、初學の兒童に宜しからず、聞くに倦みて學をうとんずべし。其餘にも、陳選が註宜しからざる事多し。およそ小學は、小兒の學ぶ所なり。其をしへ淺近にしてさとしやすく、易簡にして行ひやすきが宜しかるべし。
新字:一小学の書、註多し。朱子本註は去るべからず。諸註に是を去るは何ぞや。陳選が句読、王雲鳳が章句を可とす。されども、句読には、小学の本旨にそむける事多し。王雲鳳が章句猶まされり。所謂後出のもの巧なればなり。近年は、もはら句読を世こぞりて用ふ。陳選はまことに賢儒なれども、其あやまりには従ひがたし。立教の初に、朱子中庸の巻首を引用ひられしは、聖人教を立つるの本意を知らしめんとなり。しかれば只、其字義を浅く説きたらば、小子のためさとしやすかるべし。然るに句読に、中庸の章句をそのまゝもち来りて、説きて高深をきはむ。かゝる高深なる事を説ききかせば、初学の児童に宜しからず、聞くに倦みて学をうとんずべし。其余にも、陳選が註宜しからざる事多し。およそ小学は、小児の学ぶ所なり。其をしへ浅近にしてさとしやすく、易簡にして行ひやすきが宜しかるべし。
書き下し
一小学の書、註多し。朱子本註は去るべからず。諸註に是を去るは何ぞや。陳選が句読、王雲鳳が章句を可とす。されども、句読には、小学の本旨にそむける事多し。王雲鳳が章句猶まされり。所謂後出のもの巧なればなり。近年は、もはら句読を世こぞりて用ふ。陳選はまことに賢儒なれども、其あやまりには従ひがたし。立教の初に、朱子中庸の巻首を引用ひられしは、聖人教を立つるの本意を知らしめんとなり。しかれば只、其字義を浅く説きたらば、小子のためさとしやすかるべし。然るに句読に、中庸の章句をそのままもち来りて、説きて高深をきはむ。かかる高深なる事を説ききかせば、初学の児童に宜しからず、聞くに倦みて学をうとんずべし。其余にも、陳選が註宜しからざる事多し。およそ小学は、小児の学ぶ所なり。其をしへ浅近にしてさとしやすく、易簡にして行ひやすきが宜しかるべし。
現代語訳
『小学』の書には注釈が多くあります。朱子の本注は取り去ってはなりません。諸注でこれを取り去っているのはなぜでしょうか。陳選の『句読』、王雲鳳の『章句』がよいとされます。けれども『句読』には、『小学』の本旨にそむくところが多いのです。王雲鳳の『章句』のほうがまだまさっています。いわゆる後から出たものは巧みだからです。近年は、もっぱら『句読』を世をあげて用いています。陳選はまことに賢い儒者ですが、その誤りには従えません。立教篇の初めに、朱子が『中庸』の巻頭を引用されたのは、聖人が教えを立てる本意を知らせようとしたのです。それならば、ただその字義を浅く説いておけば、子どもにとって分かりやすいでしょう。ところが『句読』では、『中庸』の章句をそのまま持ってきて説き、高く深いところを極めています。このような高く深いことを説き聞かせても、初学の子どもにはよくなく、聞くのに飽きて学問を遠ざけるでしょう。そのほかにも陳選の注によくないところが多くあります。およそ『小学』は子どもの学ぶものです。その教えは浅く身近で分かりやすく、簡単で行いやすいのがよいのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『慎思録』巻之三朱子、古昔聖人の人に教へて学を為さしむるの遺意を纂輯して、小学の書を作り、以て幼学の軌範と為す。凡そ天下の事は、当に始に慎むべし。是を以て初学の要は、趣向を正し規矩に循ふを以て先と為す。是れ古人の小学の教有る所以にして、所謂蒙以て正を養ふは、聖の功なり。夫れ小学の書は、是れ人と做るの則にして、修身の大法備はる。然らば則ち豈に啻に幼学の当に従事すべき所のみならんや。抑も亦以て終身朝夕循守して廃せざるべし。凡そ初学の徒、先づ此に従事して、其の趣向を正し、其の規矩に循へば、則ち漸く放心を収め、徳性を養ひて、他日多く見多く聞きて、天下国家の事物に泛く応ずる所以の基本、此に於て立つ。苟も此の如くならずして、徒らに口耳の習に溺れ、規矩の外に放浪せば、豈に君子の学と為すべけんや。毫釐の差も、尚ほ千里の謬と為る。其の始は早く弁ぜざるべからず。
-
『益軒家訓』幼児須教一八歳は古人小学に入りし年なり。初て論語を読ましむべし。幼者に相応せる礼義を教へ、辞譲を知らしむべし。又和礼を教へ、漢字の草書を習はしむべし。一十歳小学の書をよませ、略其義理のさとしやすく、簡要なる所を説聞すべし。又真字を習はしむべし。
-
『和俗童子訓』巻之三・読書法一小児に初て書を説き聞かするに、文句短く文義あさく、分明に聞え易く言ひ聞かすべし。小児に相応せざる、高く、深く、まはり遠く、むつかしく、聞きにくき事を教ふべからず又ことば多く長くすべからず。言少なくして、さとし易くすべし。まづ孝経の首章、論語の学而篇を早く説き聞かすべし。是本をつとむるなり。小学の書を説くには、義理を浅く軽く説くべし。深く重く説くべからず。是小児に教ふる法なり。一小児読書の内に、早く文義を所々教ふべし。孝経にて云はば、仲尼とは孔子の字なり。字とは、成人して名づくるかへ名なり。子は師のことを云ふ。曽子は孔子の弟子なり。参は曽子の名。先王とは、古の聖王のこと。不敏は鈍なること。又論語の首章を読む時は、学ぶとは学問するを云ふ。習ふとは学びたる事を身に勤めならふなり。説ぶとは面白きと云ふ意、楽むとは大に面白き意なり。かやうに読書の序に文義を教ふれば、自然に書を暁し得るものなり。
-
『童子問』卷上童子曰く、固より尊喩の如し。二書の若きは、則ち予平生熟読する所なり。集註・大全及び諸家の註解に於ても、亦た嘗て探討す。二書は固より日用の要典にして、至つて親切なり。然れども窃かに思ふ、此の外に別に簡径直截にして自ら至道に詣る者有るに非ずやと。曰く、非なり。学は其の正を欲し、功は其の熟を欲す。奇特を好むべからず、捷径を求むべからず。水到れば船浮び、華謝して子結ぶ。正路に遵ひて未だ到らざる者は有り。未だ邪蹊に由りて能く到る者は有らざるなり。苗よりして秀で、秀でて実る、自ら其の時有り。其の自ら悟るに任せて、我より悟りを求むること勿かれ。論孟を読む者、初学の若きは、固より註脚を去りて能く本文を暁ること能はず。苟も集註・章句既に通ずるの後は、悉く註脚を棄て去り、特だ正文に就きて、熟読詳味し、優游佩服せば、則ち其の孔孟の本旨に於ける、猶ほ大寐の頓に寤むるがごとく、自ら心目の間に瞭然たらん。今子の疑ひを致すを免れざる所以の者は、皆註脚の累はす所と為るのみ。天下の理は、語孟二書に到りて尽く。復た加ふべき無し。疑ふこと勿かれ。
-
『和俗童子訓』巻之三・読書法一小児の文学の教は、事しげくすべからず、事しげく、文句多くしてむつかしければ、学問を苦みて、うとんじ嫌ふ心出来る事あり。故に簡要をえらびて、事少なく教ふべし。少しづつ教へ、よみ習ふ事を嫌はずして、すき好むやうに教ふべし。むつかしく辛労にして、其気を屈せしむべからず。日々のつとめの課程を、よきほどに短く定めて、日々に怠りなく進むべし。凡小児を教ふるには、必師あるべし。もし外の師なくば、其父兄自ら日々の課程を定めて、読ましむべし。父兄辛労せざれば、教行はれず。一初て書を読むには、まづ文句短くして、読み易く覚え易き事を教ふべし。初より文句長き事を教ふれば、退屈し易し。易きを先にし、難きを後にすべし。
-
『慎思録』巻之一六経語孟を読むには、宋儒の本註を以て先と為すは、固より善し。然れども古註疏も亦廃すべからず。朱子曰く、漢魏の諸儒は、音読を正し、訓詁に通じ、制度を考へ、名物を弁ず。其の功博し。学者苟も先づ其の流れを渉らざれば、則ち亦何を以てか其の力を此に用ひんと。朱子は四書詩易に於て、既に伝註を作れども、其の言此くの如し。然らば則ち古注疏も亦考へざるべからず。夫れ朱子の伝註を作るや、義理精当にして、固より古注疏を待たず。然れども訓詁文義名物制度の如きは、古註疏に譲りて、詳解せざる者も、亦多し。今人の経を読むや、古註疏を考索せずして、却りて汲汲として明儒の諸説を見ることを貪る。是れ本初を舎てて、末流に趨くなり。蓋し漢唐諸儒の註疏を看れば、則ち文義の故実を得て、考証と為すべき者多し。廃すべからず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る