文武訓 / 文訓下之末
一學問も藝能も、人に難ぜられそしられてこそ、わが惡しきことを知りて、よき道にすすむべけれ。みづから善しとおもひ、人にほめられては、わが惡しきことを聞かで、よき道にすゝむべきやうなし。わがすることは善きと思ひてほこり、人のことはあしゝとおもふは、世の常の人のならひなり。かくありては、よき道にすゝむべきやうなし。一わが日の本は、神武天皇よりこのかた、今にいたるまで、二千餘年、もろこしは、堯舜より以來、今まで凡三千五百年、其間、天下の事變、世々の治亂盛衰、其世にありし人のありさまのふるき迹、からやまとのむかしをしるせし歷史、通鑑等の書に載せて詳なり。もしよく其書を考へ見る人は、其事は久しくふりにたれど、吾が身はながらへて、其間の世々を久しく歷て、まのあたり其時のありさまを見たるやうに覺ゆ。しかれば日本の二千年、中夏の三千五百年のよはひを保てるに同じ。豈たのしまざるべきや。
新字:一学問も芸能も、人に難ぜられそしられてこそ、わが悪しきことを知りて、よき道にすすむべけれ。みづから善しとおもひ、人にほめられては、わが悪しきことを聞かで、よき道にすゝむべきやうなし。わがすることは善きと思ひてほこり、人のことはあしゝとおもふは、世の常の人のならひなり。かくありては、よき道にすゝむべきやうなし。一わが日の本は、神武天皇よりこのかた、今にいたるまで、二千余年、もろこしは、堯舜より以来、今まで凡三千五百年、其間、天下の事変、世々の治乱盛衰、其世にありし人のありさまのふるき迹、からやまとのむかしをしるせし歴史、通鑑等の書に載せて詳なり。もしよく其書を考へ見る人は、其事は久しくふりにたれど、吾が身はながらへて、其間の世々を久しく歴て、まのあたり其時のありさまを見たるやうに覚ゆ。しかれば日本の二千年、中夏の三千五百年のよはひを保てるに同じ。豈たのしまざるべきや。
書き下し
一学問も芸能も、人に難ぜられそしられてこそ、わが悪しきことを知りて、よき道にすすむべけれ。みづから善しとおもひ、人にほめられては、わが悪しきことを聞かで、よき道にすすむべきやうなし。わがすることは善きと思ひてほこり、人のことはあししとおもふは、世の常の人のならひなり。かくありては、よき道にすすむべきやうなし。一わが日の本は、神武天皇よりこのかた、今にいたるまで、二千余年、もろこしは、堯舜より以来、今まで凡三千五百年、其間、天下の事変、世々の治乱盛衰、其世にありし人のありさまのふるき迹、からやまとのむかしをしるせし歴史、通鑑等の書に載せて詳なり。もしよく其書を考へ見る人は、其事は久しくふりにたれど、吾が身はながらへて、其間の世々を久しく歴て、まのあたり其時のありさまを見たるやうに覚ゆ。しかれば日本の二千年、中夏の三千五百年のよはひを保てるに同じ。豈たのしまざるべきや。
現代語訳
学問も芸能も、人から非難されそしられてこそ、自分の悪いところを知って良い道に進めるのです。自分で良いと思い、人にほめられてばかりいては、自分の悪いところを聞かないので、良い道に進むすべがありません。自分のすることは良いと思って誇り、人のことは悪いと思うのは、世の常の人の習いです。これでは良い道に進むすべがありません。わが日本は、神武天皇からこのかた今に至るまで二千年余り、中国は堯・舜以来今までおよそ三千五百年、その間の天下の事変、代々の治乱盛衰、その世にいた人のありさまの古い跡は、中国と日本の昔を記した歴史書や『通鑑』などの書に載っていて詳しいのです。もしよくその書を考えて見る人は、その事は久しく古びていても、わが身が生き長らえて、その間の世々を長く経て、目の前でその時のありさまを見たように感じます。それならば、日本の二千年、中国の三千五百年の齢を保ったのと同じです。どうして楽しまないでいられましょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』公孟程子曰く、「甚だしいかな、先生の儒を毁るや」と。子墨子曰く、「儒に固より此の各の四政無くして、我れ之を言わば、則ち是れ毁るなり。今、儒に固より此の四政有りて、我れ之を言わば、則ち毁るに非ざるなり、聞くを告ぐるなり」と。程子、辭無くして出づ。子墨子曰く、「之に迷えるかな」と。反り、後に坐して、進みて復た曰く、「鄉者、先生の言に聞く可き者有り。若し先生の言のごとくんば、則ち是れ禹を譽めず、桀紂を毁らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ孰辭に應ずるに、議に稱いて之を為すは、敏なり。厚く攻むれば則ち厚く吾れし、薄く攻むれば則ち薄く吾れす。孰辭に應じて議に稱うは、是れ猶お轅を荷いて蛾を擊つがごときなり」と。
-
『呻吟語』内篇・應務・事手に到らざれば人を責むること盡く易し今人前輩先達の事を作すに自ら振拔せざるを見て、輒ち歎恨を生ず。知らず、渠我に當たる時にも也た人を歎恨するを會すや否や。我渠に當たる時に能く後人の歎恨を免るや否や。事手に到らざれば、人を責むること盡く易し。君が手に到る時を待ちて、事事努力して輕く放過せざれば便ち好し。只だ嘵嘵として人を責むるに任せば、他日縱ひ歎恨す可き無きも、今日亦た浮薄子なり。
-
尚書・秦誓人を責むる斯れ難きこと無し、惟れ責めを受けて流るるが如くならしむる、是れ惟れ艱きかな。
-
孟子・盡心章句下貉稽(ハク・ケイ)曰く、「稽大いに口に理あらず。」孟子曰く、「傷むこと無かれ。士は茲の多口に憎まる。詩に云う、『憂心悄悄たり、羣小に慍らる』とは、孔子なり。『肆(ついに)に厥に慍りを殄(たつ)たず、亦た厥の問を隕とさず』とは、文王なり。」
-
『墨子』公孟二三子、子墨子に復して曰く、「告子曰く、『義を言いて行い甚だ惡し』と。請う、之を棄てん」と。子墨子曰く、「不可なり。我が言を稱して以て我が行いを毁るは、亡きに愈れり。人、此に有り、『翟は甚だ不仁なり、天を尊び、鬼に事え、人を愛して、甚だ不仁なり』と。猶お亡きに愈るなり。今、告子は言談甚だ辯にして、仁義を言いて吾を毁らず。告子は猶お亡きに愈るなり」と。
-
『驢鞍橋』卷上夜話の次で去る者、何某殿は大名に似合はぬ欲深き人なりと云ふ。師聞て曰く、其方は我耻を云ひありく人哉。人を欲深い抔と云ふは、必ず人に用有る者の云ふ事也。我は終に今迄人を欲深しと思ひたる事なし。只世の中には我独り欲深き者と思ふ也。又彼者何某は大国の執権に似合はぬ無さばきなる人なりと云ふ。師曰、扨も非を知らぬ人哉。其方に大国をさばかせたらば、あの百分が一も成るべからす。我々の百石二百石の中さへ道らしくさばき得ぬ人々か、他の上計りを云はるゝは疎なる事也。只我を知らぬ物也。我は毎物扨ても成るまい事哉と思はるゝ也。然る間終に人を悪いと思ひたる事なし。只世の中には我独り悪き者と計り思はるゝ也。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る