導師導古典を学びたいすべての人に

文武訓 / 文訓下之末

一、世俗のなす所、習つて察せず。むかしより、あやまり來りしに打まかせて、改めざること多し。本朝の官職の名は、わが國の古制なれば、頗正しくして鄙俚ならず。文章を作るにもわが國古音朝廷の法制にしたがひ、本朝の官名を用ふるも、我が國の規模なるべきに、奇異を好む書生は、わが國の古制の官名をば用ひずして、からのめづらしき官名を、書きかへて用ふるこそほいなけれ。しひて異名を用ふるゆゑ、和漢合はざること多し。國の名も、陽の字をつけて、河陽、丹陽、播陽、藝陽、紫陽などいひ、又州名にかぎらず、伏見を伏陽といひ、華人も、其あやまりにならつて、長崎を崎陽と稱す。わらふべし。およそ、もろこしにて、陽の字を地の名とすること、山の南、河の北にある所には、某陽と稱す。所謂、咸陽、漢陽、丹陽の類の如き是なり。さもなき所に、おしなべて陽の字をば附けず。本邦にて、みだりに陽の字を附くること、叢林の徒よりはじまりて、其後は老師宿儒といへども、其とがにならつて皆因循せり。習而不察といふべし。

新字:一、世俗のなす所、習つて察せず。むかしより、あやまり来りしに打まかせて、改めざること多し。本朝の官職の名は、わが国の古制なれば、頗正しくして鄙俚ならず。文章を作るにもわが国古音朝廷の法制にしたがひ、本朝の官名を用ふるも、我が国の規模なるべきに、奇異を好む書生は、わが国の古制の官名をば用ひずして、からのめづらしき官名を、書きかへて用ふるこそほいなけれ。しひて異名を用ふるゆゑ、和漢合はざること多し。国の名も、陽の字をつけて、河陽、丹陽、播陽、芸陽、紫陽などいひ、又州名にかぎらず、伏見を伏陽といひ、華人も、其あやまりにならつて、長崎を崎陽と称す。わらふべし。およそ、もろこしにて、陽の字を地の名とすること、山の南、河の北にある所には、某陽と称す。所謂、咸陽、漢陽、丹陽の類の如き是なり。さもなき所に、おしなべて陽の字をば附けず。本邦にて、みだりに陽の字を附くること、叢林の徒よりはじまりて、其後は老師宿儒といへども、其とがにならつて皆因循せり。習而不察といふべし。

書き下し

一、世俗のなす所、習つて察せず。むかしより、あやまり来りしに打まかせて、改めざること多し。本朝の官職の名は、わが国の古制なれば、頗正しくして鄙俚ならず。文章を作るにもわが国古音朝廷の法制にしたがひ、本朝の官名を用ふるも、我が国の規模なるべきに、奇異を好む書生は、わが国の古制の官名をば用ひずして、からのめづらしき官名を、書きかへて用ふるこそほいなけれ。しひて異名を用ふるゆゑ、和漢合はざること多し。国の名も、陽の字をつけて、河陽、丹陽、播陽、芸陽、紫陽などいひ、又州名にかぎらず、伏見を伏陽といひ、華人も、其あやまりにならつて、長崎を崎陽と称す。わらふべし。およそ、もろこしにて、陽の字を地の名とすること、山の南、河の北にある所には、某陽と称す。所謂、咸陽、漢陽、丹陽の類の如き是なり。さもなき所に、おしなべて陽の字をば附けず。本邦にて、みだりに陽の字を附くること、叢林の徒よりはじまりて、其後は老師宿儒といへども、其とがにならつて皆因循せり。習而不察といふべし。

現代語訳

世間のすることは、慣れてしまって考えてみることがありません。昔から誤ってきたことにそのまま任せて、改めないことが多いのです。本朝の官職の名は、わが国の古い制度なので、かなり正しくて卑俗ではありません。文章を作るにも、わが国の古い朝廷の法制に従い、本朝の官名を用いるのが、わが国の規範であるべきなのに、奇異を好む書生は、わが国の古い制度の官名を用いずに、中国の珍しい官名に書き換えて用いるのは残念なことです。無理に異名を用いるので、和漢が合わないことが多いのです。国の名にも「陽」の字をつけて、河陽・丹陽・播陽・藝陽・紫陽などと言い、また国名に限らず、伏見を伏陽と言い、中国人までその誤りにならって長崎を崎陽と称しています。笑うべきことです。およそ中国で「陽」の字を地名とするのは、山の南、川の北にある所を某陽と称するのです。いわゆる咸陽・漢陽・丹陽のたぐいがそれです。そうでない所に、おしなべて陽の字をつけることはありません。わが国でみだりに陽の字をつけることは、禅林の僧たちから始まって、その後は老練な師や名高い儒者までその誤りにならい、みな踏襲してしまいました。「習って察せず」(習慣となって考えない)と言うべきです。

解説

江戸の文人は、長崎を崎陽、播磨を播陽などと中国風に呼ぶのを好みました。益軒は、陽は本来「山の南・川の北」を意味する字であり、意味もなくつけるのは誤りだと指摘します。禅僧に始まった流行を名高い儒者まで無批判にまねた、と「習而不察」(『孟子』の語)で批判します。格好よさそうだからと意味を知らずに横文字の役職名や社名を使う今の風潮にも通じます。慣習を疑い、言葉の本来の意味を確かめる姿勢の大切さを教える一節です。

この章句が説くこと

言葉慣習官名地名考察

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る