文武訓 / 文訓下
一富貴の家の子として、つかさかうふり心にかなひ、世の中さかりにおごりならひぬれば、うき世のはかなきたはぶれあそびにのみ心をうつし、學問などのしづかなるつとめに、まめやかに心をよせんことは、いとかたくして、身終るまで人の道を知らず、驕樂にふけりて、人のうれひをわきまへず、文字を知らで、ふみ見るにちからなければ、ひじりのをしへを知らざるのみならず、からやまとの、古の世々の史にうとくして、今のかゞみにすべきやうなし。此比ありし事のみ知りて、わが日の本の、百年の內、近き昔をだに知らざれば、况や、中夏の唐、虞夏、殷周、秦漢晋、唐宋元は、いつの時やらん、五帝、三王は、是、何物といふことを知らず。斯くはかなくて年月を過ぎぬれば、いにしへのいたれる道にくらく、天地萬物の理を知らず、富貴の勢にまかせて、人をなやましくるしめ、不仁にしてあはれみなく、不智にして人の苦しみを知らず、むなしく一生を過ぎもて生き、とりけだものと同じく生き、草木と共に朽ちなば、人と生れしかひなくして、何の樂かあらん。
新字:一富貴の家の子として、つかさかうふり心にかなひ、世の中さかりにおごりならひぬれば、うき世のはかなきたはぶれあそびにのみ心をうつし、学問などのしづかなるつとめに、まめやかに心をよせんことは、いとかたくして、身終るまで人の道を知らず、驕楽にふけりて、人のうれひをわきまへず、文字を知らで、ふみ見るにちからなければ、ひじりのをしへを知らざるのみならず、からやまとの、古の世々の史にうとくして、今のかゞみにすべきやうなし。此比ありし事のみ知りて、わが日の本の、百年の内、近き昔をだに知らざれば、況や、中夏の唐、虞夏、殷周、秦漢晋、唐宋元は、いつの時やらん、五帝、三王は、是、何物といふことを知らず。斯くはかなくて年月を過ぎぬれば、いにしへのいたれる道にくらく、天地万物の理を知らず、富貴の勢にまかせて、人をなやましくるしめ、不仁にしてあはれみなく、不智にして人の苦しみを知らず、むなしく一生を過ぎもて生き、とりけだものと同じく生き、草木と共に朽ちなば、人と生れしかひなくして、何の楽かあらん。
書き下し
一富貴の家の子として、つかさかうふり心にかなひ、世の中さかりにおごりならひぬれば、うき世のはかなきたはぶれあそびにのみ心をうつし、学問などのしづかなるつとめに、まめやかに心をよせんことは、いとかたくして、身終るまで人の道を知らず、驕楽にふけりて、人のうれひをわきまへず、文字を知らで、ふみ見るにちからなければ、ひじりのをしへを知らざるのみならず、からやまとの、古の世々の史にうとくして、今のかがみにすべきやうなし。此比ありし事のみ知りて、わが日の本の、百年の内、近き昔をだに知らざれば、況や、中夏の唐、虞夏、殷周、秦漢晋、唐宋元は、いつの時やらん、五帝、三王は、是、何物といふことを知らず。斯くはかなくて年月を過ぎぬれば、いにしへのいたれる道にくらく、天地万物の理を知らず、富貴の勢にまかせて、人をなやましくるしめ、不仁にしてあはれみなく、不智にして人の苦しみを知らず、むなしく一生を過ぎもて生き、とりけだものと同じく生き、草木と共に朽ちなば、人と生れしかひなくして、何の楽かあらん。
現代語訳
富貴の家の子として、官位も心にかない、世の盛りに驕りに慣れてしまうと、浮世のはかない戯れや遊びにばかり心を移し、学問などの静かな務めに誠実に心を寄せることはたいへん難しく、一生を終えるまで人の道を知らず、驕りと楽しみにふけって、人の憂いをわきまえず、文字を知らず、書を読む力もないので、聖人の教えを知らないだけでなく、中国と日本の昔の代々の歴史にもうとく、今の手本とするすべもありません。近ごろあったことだけを知って、わが日本の百年のうちの近い昔さえ知らないのですから、まして中国の唐虞・夏・殷周・秦漢晋・唐宋元がいつの時代なのか、五帝・三王が何者なのかを知りません。このようにはかなく年月を過ごせば、古の至れる道にくらく、天地万物の理を知らず、富貴の勢いにまかせて人を悩ませ苦しめ、不仁で哀れみがなく、不智で人の苦しみを知らず、むなしく一生を過ごし、鳥獣と同じく生き、草木と共に朽ちてしまえば、人と生まれた甲斐がなく、何の楽しみがありましょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『格言聯璧』學問類・萬物一體、之を仁と謂ふ忠を竭し孝を盡す、之を人と謂ふ。國を治め邦を經む、之を學と謂ふ。 危を安んじ變を定む、之を才と謂ふ。天を經とし地を緯とす、之を文と謂ふ。 霽月光風、之を度と謂ふ。萬物一體、之を仁と謂ふ。 心術を以て本根と爲し、倫理を以て楨幹と爲し、學問を以て菑畬と爲し、文章を以て花萼と爲し、事業を以て結實と爲し、書史を以て園林と爲し、歌詠を以て鼓吹と爲し、義理を以て膏粱と爲し、著述を以て文繡と爲し、誦讀を以て耕耘と爲し、記問を以て居積と爲し、前言往行を以て師友と爲し、忠信篤敬を以て修持と爲し、作善降祥を以て受用と爲し、樂天知命を以て依歸と爲す。
-
『五常訓』巻之三・仁之下一程子の言に、聖賢の仁をいへる処をあつめて見ば、仁を知り得んといへり。今の学者、仁を知らんとならば、孔孟程朱の仁を説き給へる言を、数年の間、心をひそめて、求め味ふべし。急迫にすべからず。誠積み力久しくば、自然に其理を知るべし。若然らずば、聰明博学の人といへども、仁をば知りがたかるべし。
-
『初学訓』巻之三一人となりては、稚き時より、其父兄となる人は、其子弟に、書を読ませ、道を学ばしむべし。学問の道は他なし、只道を知りて、善悪を明らかにわかち、善を行ひ悪を去るにあり。故に、君子の学問は、仁心を保ち、つねに善を行ふを宗とす。善を行はざれば、博学にして経伝に明らかなるも、無用のことなり。大人は、善を行へば、其ほどこしひろし。然れども、極めて賤しき乞丐といへども、善を行ふに志あれば、其分に随ひて、其功多し。故に、学問する人は、只つねに善をするに志ありて、日々、善を行ふをつとめとすべし。
-
『童子問』卷上問ふ、先生曰く、文を学ばざれば則ち其の智必ず偏ると。然れども仏氏は不立文字を説き、近世王氏の学も、亦た読書・講義理を以て非と為す。彼皆非なるかと。曰く、規矩は方円の至りなり。至当は道の極なり。能く天下の知り難き所を知り、能く天下の行ひ難き所を行ふと雖も、然れども纔かに至当を失へば、則ち全体皆非なり。妙智は得易く、卓行は為し易し。唯だ至当を得るを難しと為す。其の悟り弥高ければ、其の偏り弥甚だし。故に君子読書窮理して、多く前言往行を蓄ふる者は、徒らに天下の道理を窮め尽くさんと欲するに非ず。蓋し天下の至当を得て止まらんと欲するなり。苟も学問に従事すれば、則ち高き者は俯し、卑き者は企て、軒き者は低れ、軽き者は昂がり、皆其の平らかなるを得て而る後に止む。豈に空虚に騖せ意の好みに任せて其の独智を恣にする者の能く及ぶ所ならんや。故に孔子曰く、仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩。信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞。勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱。剛を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂と。夫れ仁の徳は大なり、智の道は深し。然れども学びて以て之を照らさざれば、則ち猶ほ其の蔽有り。故に天下学問の功より大なるは莫く、亦た学問の道より貴きは莫きなり。
-
『慎思録』巻之一学を為すの道は、仁を為すを以て本と為し、忠信を以て主と為し、孝弟を以て先と為し、博文約礼を以て勤めと為し、君子為るを以て志と為す。是れ孔門人を教ふるの規模なり。仁なる者は何ぞや。是れ善を為すの総称、慈愛の理なり。孟子、放心を求むるを以て学問の道と為す。放心を求むる者は、乃ち仁を求むるなり。
-
『和俗童子訓』巻之二・総論下親仁とは、善人に親み近づくを云ふ。汎く諸人を愛して、其内にて、とりわき、善人をば親むべし。善人を親めば、善事を見習ひ聞きならひ、又其諫を受け、我が過を聞きて改むるの益あり。此六事は、人の子となり弟となる者の、身を修め人に交る道なり。勤め行ふべし。行つて余力あれば則用ひて学文とは、余力はひまなり。上に見えたる孝弟以下六事を勤め行ひて、其ひまには、又古の聖人の書を読んで、人の道を学ぶべし。いかに聰明なりとも、聖人の教を学ばざれば、道理に通ぜず、身を修め人に交る道を知らずして、過多し。故に必古のふみを学んで、其道を知るべし。是則身を修め道を行ふ助なり。次には日用に助ある六芸をも学ぶべし。聖人の経書を読み、芸を学ぶは、すべて是文を学ぶなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る