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文武訓 / 文訓下

ことに其時の風俗、彼の物語に書けるごとく、たはれたるならはしなれば、取わきて責むるにたらず。莠の苗をみだるをにくむは、其似て非なるゆゑなり。是は似て非なる類にはあらず。たとへば、大なる岩を以て、鳥の卵にくらぶるが如し。似るべくもあらざる事を云ひけさんこと、いはほをもて鳥の子をおすが如し。なさけなしといふべし。又今の人、彼の物語の其ことばの艶なるにめでて、道理のたがはざるとて、みだりに道理をつけておもねるも、いとおろかにひがひがしく聞ゆ。およそよきを取り、あしきを捨つるこそ、廣く書を見る人の知るべきことわりなれ。しかればかゝるあさはかなる書の内にも、しかるべきことあらば、取りて用ふべし。全體を用ふべき書は、聖賢の書の外には、もろこしの書にだにすくなし。

新字:ことに其時の風俗、彼の物語に書けるごとく、たはれたるならはしなれば、取わきて責むるにたらず。莠の苗をみだるをにくむは、其似て非なるゆゑなり。是は似て非なる類にはあらず。たとへば、大なる岩を以て、鳥の卵にくらぶるが如し。似るべくもあらざる事を云ひけさんこと、いはほをもて鳥の子をおすが如し。なさけなしといふべし。又今の人、彼の物語の其ことばの艶なるにめでて、道理のたがはざるとて、みだりに道理をつけておもねるも、いとおろかにひがひがしく聞ゆ。およそよきを取り、あしきを捨つるこそ、広く書を見る人の知るべきことわりなれ。しかればかゝるあさはかなる書の内にも、しかるべきことあらば、取りて用ふべし。全体を用ふべき書は、聖賢の書の外には、もろこしの書にだにすくなし。

書き下し

ことに其時の風俗、彼の物語に書けるごとく、たはれたるならはしなれば、取わきて責むるにたらず。莠の苗をみだるをにくむは、其似て非なるゆゑなり。是は似て非なる類にはあらず。たとへば、大なる岩を以て、鳥の卵にくらぶるが如し。似るべくもあらざる事を云ひけさんこと、いはほをもて鳥の子をおすが如し。なさけなしといふべし。又今の人、彼の物語の其ことばの艶なるにめでて、道理のたがはざるとて、みだりに道理をつけておもねるも、いとおろかにひがひがしく聞ゆ。およそよきを取り、あしきを捨つるこそ、広く書を見る人の知るべきことわりなれ。しかればかかるあさはかなる書の内にも、しかるべきことあらば、取りて用ふべし。全体を用ふべき書は、聖賢の書の外には、もろこしの書にだにすくなし。

現代語訳

とくにその時代の風俗は、あの物語に書かれているように、戯れた習わしでしたから、とりわけ責めるには足りません。莠が苗を乱すのを憎むのは、それが似て非なるものだからです。これは似て非なる類ではありません。たとえば大きな岩を鳥の卵に比べるようなものです。似るはずもないことを言い消そうとするのは、岩で鳥の卵を押しつぶすようなものです。情けないというべきです。また今の人が、あの物語の言葉の艶やかなのを愛でて、道理に違わないとして、みだりに道理をこじつけておもねるのも、たいへん愚かでひねくれて聞こえます。およそよいものを取り、悪いものを捨てることこそ、広く書を見る人の知るべき道理です。ですから、このような浅はかな書の中にも、しかるべきことがあれば、取って用いなさい。全体を用いるべき書は、聖賢の書のほかには、中国の書でさえ少ないのです。

解説

物語の風俗は時代のものだから責めるに足らず、儒学で断罪するのは岩で卵を押しつぶすようなものだと述べ、逆に物語に無理に道理をこじつけて持ち上げるのも愚かだと両極を戒めます。莠が苗を乱すのを憎むのは『孟子』尽心下に見える似て非なるものへの戒めです。結論は、よきを取り悪しきを捨てるのが読書の理で、全面的に用いるべき書は聖賢の書以外に少ないというもの。今でも、どんな本も鵜呑みにせず選び取って読む姿勢が大切です。

この章句が説くこと

読書取捨古典孟子判断

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