文武訓 / 文訓下
一和歌は、萬葉集をはじめとして、古今集より下つかた、世々にえりあつめられし二十一代の歌集、次に家々の集あり。いとまあらば見るべし。又歌物語などの和文を見るも、いにしへのわが國のこと葉にて風雅なれば、情をもよほしやすくして興をやるべし。和語を見るには、伊勢、貫之、紫式部、淸少納言が作れる和文の類、只古きこと葉の、いやしからず艶なるをもてあそぶべし。此等の書には、淫靡なること多し。只其詞をとりて不經なるをば捨つべし。ことわりたがへりとて責むべからず。いかんとなれば、聖學のいたれる道を以て、かゝる道知らぬおろかなる婦人などのつくれる、あさはかなる書のひが事を正さんとする人は、かへつて愚にこそきこゆめれ。
新字:一和歌は、万葉集をはじめとして、古今集より下つかた、世々にえりあつめられし二十一代の歌集、次に家々の集あり。いとまあらば見るべし。又歌物語などの和文を見るも、いにしへのわが国のこと葉にて風雅なれば、情をもよほしやすくして興をやるべし。和語を見るには、伊勢、貫之、紫式部、清少納言が作れる和文の類、只古きこと葉の、いやしからず艶なるをもてあそぶべし。此等の書には、淫靡なること多し。只其詞をとりて不経なるをば捨つべし。ことわりたがへりとて責むべからず。いかんとなれば、聖学のいたれる道を以て、かゝる道知らぬおろかなる婦人などのつくれる、あさはかなる書のひが事を正さんとする人は、かへつて愚にこそきこゆめれ。
書き下し
一和歌は、万葉集をはじめとして、古今集より下つかた、世々にえりあつめられし二十一代の歌集、次に家々の集あり。いとまあらば見るべし。又歌物語などの和文を見るも、いにしへのわが国のこと葉にて風雅なれば、情をもよほしやすくして興をやるべし。和語を見るには、伊勢、貫之、紫式部、清少納言が作れる和文の類、只古きこと葉の、いやしからず艶なるをもてあそぶべし。此等の書には、淫靡なること多し。只其詞をとりて不経なるをば捨つべし。ことわりたがへりとて責むべからず。いかんとなれば、聖学のいたれる道を以て、かかる道知らぬおろかなる婦人などのつくれる、あさはかなる書のひが事を正さんとする人は、かへつて愚にこそきこゆめれ。
現代語訳
和歌は、『万葉集』をはじめとして、『古今集』から下って、代々に選び集められた二十一代集、次に家々の集があります。暇があれば見なさい。また歌物語などの和文を見るのも、古のわが国の言葉で風雅なので、情を催しやすく、興を楽しめるでしょう。和語を見るには、『伊勢物語』、貫之、紫式部、清少納言が作った和文の類について、ただ古い言葉の卑しくなく艶やかなものをもてあそびなさい。これらの書には淫らなことが多いのです。ただその言葉を取って、道にはずれたところは捨てなさい。道理に違っているといって責めてはいけません。なぜなら、聖学の至れる道をもって、このような道を知らない愚かな婦人などが作った浅はかな書の誤りを正そうとする人は、かえって愚かに聞こえるからです。
解説
この章句が説くこと
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『文武訓』文訓上一むかしは、和歌は好色の媒にかぎらず、人倫の交に、たかきもいやしきも、折ふしにつけて、やまとうたを詠みおくり返して、情をかよはし、志をあらはせしこと、後代の及ばざる所なり。今の人、我が身の詠むまでこそかなはずとも、和歌はわが国の風俗にて、其言葉知りやすく、其ことわりもさとしやすければ、すこし心にかけてまなばば、などか知りがたからん。万葉集、古今集を先として、諸集を読み、其内の秀歌を誦しおぼえて、折ふしにかなひたる古歌を詠じてこころを慰めば、わがよからざる歌を、心をつくして詠むにはまさりなん。
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『文武訓』文訓上和歌をよまば、情をのぶるに事足りぬべし。古は、いやしき人まで和歌をよみて、たがひに其なさけを通はしけるこそ、うるはしきことに聞え侍れ。風体を正しくせば、好色の媒とせずして、人倫のまじはりに心をあつくし、なさけを深くするたすけともなりなん。されど、今は世くだり、心こと葉もいやしくなりにたれば、その才なき人、あながちに詠まんとせば、これになづみて学問のさはりともなりなん。其上和歌は、官家のをしへを受けざるゐなか人は、みだりによみがたし。ただ、万葉古今集以下、ふるき歌書を見おぼえて、折りにふれたる古歌をうち誦せんこそ、わがつたなき歌をよまんより、心のなやみなくいたづかはしからで、却りていとおもしろかるべけれ。
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『文武訓』文訓上之末一詩は、もろこしの詞なれば、文学せざる人の作れるは、ひがごと多し。和歌は、わが国の詞なれば、たやすかるべけれど、これ亦いにしへの世々にえらばれし万葉集、古今集以下に通じ、伊勢、源氏などのふるきふみを多く読まずして、歌をつくれば、言葉も心もひがごと多くして、歌とはいひがたし。すべて、詩も歌も、いにしへをかうがへず。みだりに作るべからず。しかるに詩歌を知らざる人は、わが作れるつたなき詞に、ほこらしく云ひさわぐも、をこがまし。すべて詩も歌も、其道知らでたやすくは作りがたし。
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『文武訓』文訓下之末一やまとうたは、其意温雅にして其詞やさし。精巧なること唐詩におとらず。婦人の作る所といへども亦しかり。国字の文、貫之、伊勢、紫式部、清少納言などが作れるも、亦精巧なり。わが国の詩と文とにくらぶれば、大にまされりといふべし。是わが国のよろしき詞なる故なり。しかれば、わが国の仮名は、さるつたなき詩文をつくらんよりは、国俗にかなへる和歌を作るべし。日本の人、詩をつくるは、年長じて唐音を学ぶがごとし。
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『文武訓』文訓上一和歌は、わが国俗の宜しきわざにて、ことばさとしやすく心も通じやすし。此故に、古人の歌、きはめてすぐれてよき事、もろこしのすぐれたる唐詩におとらず。いにしへ、婦人といへども、歌をよくよみたるともがら多し。もろこしの才女といへど及ぶべからず、これわが国俗によくかなへる故なり。
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『文武訓』文訓上之末一わが日の本の人、義理の学をせんには、四書、六経などの書を読まずしては、道を知りがたし。国字にて書きては、其理くはしからず。風雅の楽は、からの詩を用ひざれども、ふるきやまと歌をよみて、心をたのしましめ、才あらば、みづから歌をつくりて其情を通ずべし。詩を作るよりやすくして、心かよひ易し。しかれば、義理の学をするには、からの書を読まざれば通ぜず。風雅の楽志をいはんには、からの詩を用ひず、やまと歌を用ふべし。わが国の風俗をすてて、からのことばの通じがたきを用ふるは何ぞ。
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