文武訓 / 文訓上
一和歌は、わが國俗の宜しきわざにて、ことばさとしやすく心も通じやすし。此故に、古人の歌、きはめてすぐれてよき事、もろこしのすぐれたる唐詩におとらず。いにしへ、婦人といへども、歌をよくよみたるともがら多し。もろこしの才女といへど及ぶべからず、これわが國俗によくかなへる故なり。
新字:一和歌は、わが国俗の宜しきわざにて、ことばさとしやすく心も通じやすし。此故に、古人の歌、きはめてすぐれてよき事、もろこしのすぐれたる唐詩におとらず。いにしへ、婦人といへども、歌をよくよみたるともがら多し。もろこしの才女といへど及ぶべからず、これわが国俗によくかなへる故なり。
書き下し
一和歌は、わが国俗の宜しきわざにて、ことばさとしやすく心も通じやすし。此故に、古人の歌、きはめてすぐれてよき事、もろこしのすぐれたる唐詩におとらず。いにしへ、婦人といへども、歌をよくよみたるともがら多し。もろこしの才女といへど及ぶべからず、これわが国俗によくかなへる故なり。
現代語訳
一、和歌はわが国の風俗によく合ったわざで、言葉はわかりやすく、心も通じやすいものです。それゆえ、古人の歌がきわめてすぐれてよいことは、中国のすぐれた唐詩にも劣りません。昔は、女性であっても、歌をよく詠んだ人が多くいました。中国の才女でも及ぶことはできません。これはわが国の風俗によく合っているからです。
解説
和歌が日本の風土と言葉によく合っているからこそ、古人の歌は唐詩に劣らない高みに達し、女性の歌人も多く生まれたと述べています。小野小町や和泉式部のような女流歌人を念頭に置いているのでしょう。益軒は、自分たちに合った形式でこそ力が発揮されると考えていました。組織や個人にとっても、他人の型をまねるより、自分の持ち味や環境に合ったやり方を磨くほうが成果が出るという教えとして読むことができます。
この章句が説くこと
和歌風土女性詩国俗
関連する章句
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『文武訓』文訓上之末一和歌は、いにしへ、賤者といへどこれを詠んで、心をかよはしけり。今は世くだりぬれば、只堂上のもてあそびとなりて、地下人、殊にかたゐなかには、此風をつたへがたし。都の人だに、堂上の伝を得ることかたし。ゐなかの人は、弥遠くして及びがたし。故にわが日の本の内にても、堂上は遠くして、和歌をつたへて知りがたし。況や詩は、はるかなるもろこしの風俗にて、わが国のことばにあらざれば、和歌の道堂上にあるよりも、いよいよ遠くして、其道に通じがたし。地下の人、又遠きゐなかの人の歌をよむは、堂上の詠に及ばずといへども、其こころことばかなへる事多し。是、わが国のことばなればなり。わがくにの詩は、身を終るまでもはら是に心を用ふる人にあらずんば、もろこしの下賤にも及びがたかるべし。
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『慎思録』巻之五和歌は、我が国俗の宜しき所にして、詞意通暁し易し。故に古人の歌詠は極めて精絶なり。古昔婦女と雖も、亦之を能くする者多し。唐詩は、本邦の風土の宜しき所に非ず。其の詞韻国俗の言語に異なり、中華に模倣し難し。故に古昔の名家と雖も、其の作る所拙劣にして、和歌に及ばざること遠し。我が邦は只和歌を以て其の志を言ひ其の情を述ぶべし。拙詩を作りて以て詅癡符の誚りを招くことを要せず。
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『文武訓』文訓下之末一やまとうたは、其意温雅にして其詞やさし。精巧なること唐詩におとらず。婦人の作る所といへども亦しかり。国字の文、貫之、伊勢、紫式部、清少納言などが作れるも、亦精巧なり。わが国の詩と文とにくらぶれば、大にまされりといふべし。是わが国のよろしき詞なる故なり。しかれば、わが国の仮名は、さるつたなき詩文をつくらんよりは、国俗にかなへる和歌を作るべし。日本の人、詩をつくるは、年長じて唐音を学ぶがごとし。
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『文武訓』文訓下之末一日の本は、もと温和慈愛の国なる故に、和歌も温雅にして情ふかし。其上精しく巧なること、もろこしの詩にもおとるべからず。和文も亦しかり。然らば学者も、なるべきほどは和歌を学び、和文を作るべし。是わが国の風俗土宜にかなひて、国風にそむかざるなり。わが国に生れて、和歌和文をすてて、もろこしの風を専につくること、わが国にそむけり。其つみふかし。わがともがらは才つたなくて、やまともろこしの才なければ、からやまとの詩文歌詞をつくることかなはず。其道理をいはば、おそらくはかくの如くなるべし。
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『文武訓』文訓上一むかしは、和歌は好色の媒にかぎらず、人倫の交に、たかきもいやしきも、折ふしにつけて、やまとうたを詠みおくり返して、情をかよはし、志をあらはせしこと、後代の及ばざる所なり。今の人、我が身の詠むまでこそかなはずとも、和歌はわが国の風俗にて、其言葉知りやすく、其ことわりもさとしやすければ、すこし心にかけてまなばば、などか知りがたからん。万葉集、古今集を先として、諸集を読み、其内の秀歌を誦しおぼえて、折ふしにかなひたる古歌を詠じてこころを慰めば、わがよからざる歌を、心をつくして詠むにはまさりなん。
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『文武訓』文訓上本邦の古文、淫靡柔軟の風をば見習ふべからず。麗飾を事とし、奇巧をこのむは、儒者の文にそむけるのみならず、文人の文においても貴ぶ所にあらず。凡、わが国の詩文は国俗にあらざれば、和歌和文の絶妙なるには、いささかくらぶべうもなくおとれりといふべし。本朝いにしへの名家、詩文にたくみなりといはれし人の作も、近代もろこしの名もなき末の世の作に及ばず。文字を業とする人にあらずんば、詩は作らずともありぬべし。されど今時は、世に詩をよく作る人多しといへば、古にもまされるなるべし。斯く天才あらば、作りても恥なかるべし。
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